08.01 ガルック平原の会戦 前編
ベーリンゲン帝国の西端。メリエンヌ王国に接する領域。そこには、王国側と同様に砦が築かれている。
メリエンヌ王国は南北に続く城壁で国境を守り、進軍可能な三つの平原には砦を築いている。北から、モゼル砦、ガルック砦、ガンタル砦である。
それと同様に帝国側も平原を挟んで平行に城壁を作っている。こちらは、北からノルデン砦、ゼントル砦、ジルデン砦という。双方の城壁は10km近く離れており、投石機や大型弩砲で直接攻撃することはできない。
双方とも高さ10mほどの城壁に守られているため、いかに身体強化が使える戦士達といえど、無手で乗り越えることができるのは、一万人に一人もいない。
したがって、砦や城壁を崩すための攻城兵器をどう運用するか。それが、戦術の要であった。
「ブロンザルト。王国の動きは?」
大将軍ベルノルト・フォン・ギレスベルガーは灰色の瞳を僅かに動かし、右手に座る男に問いかけた。
ベルノルトは40代半ば。鍛え上げられた肉体のお陰で数歳は若く見えるが、軍歴は30年近くにもなる歴戦の将軍である。
「予想通り、ガルック砦に集結していると思われます」
将軍エグモント・フォン・ブロンザルトは、恭しげな口調で大将軍の問いに答える。彼は、王国に侵入した間者から定期的な連絡を受けている。そのため、王国軍の動きも、ある程度は把握できているのだ。
「間者は?」
ベルノルトは、若干年下のエグモントとは長い間行動を共にしている。それ故、最小限の言葉しか発しなかった。
「王都は全滅のようです。フライユの手勢は、かの地の支援者が匿っておりますので」
そんなベルノルトの短い問いでも、エグモントには意図が明確に伝わっているようだ。彼は、落ち着いた様子で潜入者の現状を説明する。
やはり、強固な城壁の向こう側から情報を得ているのは、王国側の協力者あってのことらしい。
「20年前の戦いで潜入させた生き残りか。フライユの家臣に潜り込んだのだったか?」
大将軍の左手に座っている男、将軍ボニファーツ・フォン・ライゼガングが口を開いた。身長190cmを超える大将軍ベルノルトほどではないが、彼に続く巨漢である。彼は、二人とは違い30代後半くらいのようだ。
「ああ、その通りだ。グレーナーの一族だ。むこうではマリュスという名で騎士をしている」
巨漢二人とは違い平均的な身長と体型の将軍エグモントは、知的な容貌を僅かに歪めながら将軍ボニファーツに答えた。
「どうしたのだ?」
エグモントの浮かない表情が、ボニファーツは気になったようだ。
「グレーナーは無事だが、商人に化けた部下達は潰された。グレーナーの従者達がいるから、国境越えには支障がないが……」
エグモントの言っているのは、ソレル商会のことだろう。だが、彼の言葉通りなら、サミュエル・マリュスと名乗っていたフライユ伯爵の家臣には、まだ多くの手下がいるらしい。
王都から脱出したマリュスの行方は杳として知れないが、その手下達が奴隷とする獣人達の誘拐や国境越えを支援しているようである。
「ふっ、20年かけて作ったブロンザルト家自慢の潜入組織も、壊滅か?」
「ライゼガング!」
ボニファーツのからかうような言葉を、大将軍ベルノルトが鋭く叱咤する。
「ギレスベルガー様。こやつの短慮はいつものこと。気にしてはおりません」
エグモントは激昂する様子もなく、それどころかベルノルトに取り成す始末である。どうやら、ボニファーツは思ったことをそのまま口にする性格のようで、しかもエグモント達はそれを充分承知しているらしい。
「うむ。それで、王国が向かいのガルック砦に集結しているのは間違いないのだな?」
ベルノルトも、ボニファーツの気質は重々承知しているようで、あっさりと王国軍の動きに話を戻した。彼らがいるのは、ゼントル砦。王国がガルック平原と呼び、帝国がゼントル平原と呼ぶ平地を挟んだ向かい側には、ベルノルトが口にしたガルック砦がある。
「はい。我らの誘いに乗ったようで、王太子は後方の都市グラージュに入るようです。王国軍を指揮するのはアシャール公爵。これも予想通りです」
帝国側は、王国の動きをかなりのところまで把握しているようだ。
もっとも王国は、王太子や公爵が出陣したことを別に隠してはいない。それにフライユ伯爵領に進軍してきた王領軍には、彼らの旌旗も掲げられている。
そもそも王族やその親族が軍を率いているのは、王家が今回の戦を重視しているという意思表示でもある。そのため王領軍も、彼らの存在を喧伝し人心を安堵させるよう努めているのだ。
「ならば、このゼントル平原でアシャールを仕留める!」
「はっ、その為の手筈は整えております」
大将軍ベルノルトの殺気すら篭もった言葉を、エグモントは表情一つ変えずに受け止めた。
やはり帝国の狙いは、王国軍をおびき寄せての殲滅だろうか。エグモントの冷静な表情と、それを当然のことのように見つめるベルノルトとボニファーツ。三人の将軍達は示し合わせたかのように、西方の窓へと目を向けた。
そこには、白く雪化粧をしたゼントル平原……王国風に言うならガルック平原が広がっていた。この白い画布に描かれるのは、やはり鮮血による地獄絵なのだろうか。その場合、赤く鉄の匂いがする塗料は、どちらの国が差し出すのか。
帝国の将軍達が見つめる中、平原を西から東に吹き抜ける風は、血を望む悪魔の笑声を思わせる不気味な音と共に吹き抜けていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「この私が副将だと?」
アシャール公爵の説明に、フライユ伯爵の継嗣グラシアン・ド・シェロンが疑問の声を上げた。彼は落ち着きと威厳を持ち合わせた30前の武人だが、今は鋭い視線でアシャール公爵を睨みつけていた。
「そうだよ。本隊の副将だ。文句はないだろう?」
アシャール公爵は、グラシアンの冷たい怒りに満ちた顔など気にせずに、いつも通りの調子であった。
「ある。本隊が王領軍なのは、仕方がない。だが、ベルレアン伯爵が左翼を率いるなら、私が右翼を。そうあるべきだろう。そもそも……」
ガルック砦で軍の編成会議に参加していたシノブは、以前シメオンがグラシアンのことを名誉を重んずる人物と評していたことを思い出した。
そのシメオンは、ここにはいない。彼は、シャルロットと共に都市グラージュの総司令部にいる。
そもそも、彼は内政官であり、戦地に赴くより後方支援に回るのが妥当だ。それに、伯爵とシノブは、彼の知恵がいざと言うときにシャルロットの助けになると思っていた。それ故、グラージュに残したのだ。
同様に、シノブの侍女であるアンナ達や、従者見習いのレナンやパトリック、そして彼らの監督役であるジュストはグラージュにいる。侍女達はシャルロットやアリエル、ミレーユの世話をするし、まだ成人もしていない少年達を戦場に連れてくるわけにはいかないからだ。
「右翼は、マティアスが指揮をする。さっきも言っただろう?」
シノブが、都市グラージュに残してきた面々を思い出しているうちに、グラシアンの抗議が一段落したらしい。シノブ同様にそれらを聞き流していたらしいアシャール公爵が、面倒だと言わんばかりの口調で、決定事項を繰り返した。
「マティアスは、子爵継嗣だろう。ならば、伯爵継嗣の私のほうが上に立つべきだ」
グラシアンは、どうあっても右翼の指揮官に納まりたいのか、マティアスがフォルジェ子爵家の跡取りであることを攻撃材料にした。確かに、身分の上ではフライユ伯爵家の後継者であるグラシアンのほうが上だと言うこともできる。
「マティアスは子爵だよ。代替わりしたんだ」
グラシアンの主張に、アシャール公爵は意外なことを口にした。シノブが王都を去ったとき、マティアスは子爵継嗣であったはずだ。そのためシノブを含むベルレアン伯爵家の面々は、思わずアシャール公爵へと視線を動かした。
「申し遅れました。12月6日付で襲爵しました」
アシャール公爵に続き、マティアスが発言した。12月6日といえば、帝国侵攻を聞いた翌日である。この事態を想定して襲爵させた。そうとしかシノブには思えなかった。
「……くっ、そういうことは、早く言え」
グラシアンは憎々しげな表情でマティアスを睨んでいた。今まで冷静さを保っていた彼も、マティアスの襲爵には何か感ずるものがあったようだ。
「君の父親も、養子に出した息子のことを内務卿に伝えるのが遅れたようだね。まあ、お相子ということで許してほしいものだね!」
アシャール公爵は、王都でのフライユ伯爵クレメンの言動を持ち出した。
フライユ伯爵は、次男アドリアンを子爵家に養子に出したことにして隠居を逃れた。その仕返しのつもりなのかもしれない。
シノブは、こんな調子で帝国と戦えるのかと一抹の不安を抱きながら、会議の様子を見守っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「……言いたいことはわかっているよ。だけど、あれくらいのお遊びはいいじゃないか。
こっちはクレメンと十日以上も同じ馬車に乗ってきたんだ。いくら私でも、いいかげん腹の探りあいには疲れたよ!」
アシャール公爵に割り当てられた部屋に呼び出されたベルレアン伯爵とシノブ。その顔を見るなり、部屋の主は、片手を上げて彼らの発言を制した。そして彼は、口早に身も蓋もないことを言い出した。
そんな彼の様子に、ベルレアン伯爵とシノブ、先に室内にいたマティアスと軍務卿エチエンヌ侯爵の嫡男シーラスは、思わず苦笑した。
「それにね、ああやって挑発すれば、グラシアンが尻尾を出さないかと思ったんだよ。
まあ、あれくらいで崩れる男ではないとは思っていたがね……とはいえ、いいかげんハッキリさせたいじゃないか」
ガルック砦について早々、日も落ちようという時間であったが、グラシアンを呼び出して会議を行ったのには、そんな思惑もあったようだ。会議にしては、子供の喧嘩のような一幕を含む波乱含みのものであったが、それもグラシアンの動揺を誘う芝居ということか。
その証拠に、マティアスはベルレアン伯爵やシノブに、すまなそうな表情を見せていた。
「義兄上、会議の意図はわかりました。それで何故お呼びになったのですか?」
先ほどの件で追及するのをベルレアン伯爵は諦めたようだ。彼はアシャール公爵に、呼び出した理由を尋ねた。
「もちろん本当の軍議をするためさ! 私だってレナエルが待っているし、早く片付けて帰りたいからね! ……それにシノブ君だって、シャルロットの誕生日より前に帰りたいだろう?」
愛妻家のアシャール公爵は、本気かどうかわからないが、妊娠中の妻を帰る理由に上げた。
「……義伯父上。流石にそれは、無理ではないでしょうか?」
シノブもシャルロットの誕生日は知っていた。彼女の誕生日は12月25日である。今日が12月18日だから、あと一週間しかない。
「『竜の友』がそんな弱気でどうするのかね! 私はシノブ君の活躍に期待しているのだよ!
君達のことだから、活躍しすぎたら大変なことになると思っているんだろう?
だけど、そんな無駄な心配はやめたまえ!
君は、既に充分すぎる偉業を成し遂げたんだ! もう少々伝説を作ったって、大して変わりはしないよ!」
アシャール公爵の正直すぎる発言に、シノブと伯爵は思わず絶句した。
「シノブ様……諦めたほうが良いです。私も、この調子で子爵位継承を黙っておくように言われたのです」
マティアスは、子爵となった今でも、シノブを敬称付きで呼ぶつもりのようだ。
シノブは、そんな彼に呼び方を訂正するように頼むか、それともアシャール公爵を説得すべきか、一瞬迷った。
「シノブ、まずは総大将のご意向を伺おう。……それで義兄上、何をすれば良いのでしょう?」
ベルレアン伯爵のほうが、シノブより立ち直りは早かったようだ。アシャール公爵との付き合いの長さが、その差の原因かもしれない。
「そうだね、まずは君達が何を準備しているか教えてくれ。君達のことだから、手ぶらで来たわけじゃないだろう?」
アシャール公爵は、子供のような悪戯っぽい笑顔をみせている。だが、彼の碧の瞳は真剣な色を浮かべていた。
シノブは公爵の慧眼に内心驚きながら、ベルレアン伯爵と共に領軍の新たな伝達方法である『アマノ式伝達法』やドワーフ達と共に用意した物資について語っていった。
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次回は、2014年12月24日17時の更新となります。
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