07.21 ベルレアン伯爵領軍出陣 後編
「それでは……『全ての命を造りし大神アムテリア様に感謝を』」
シノブがアムテリアへの祈りを捧げると、晩餐に参加している者達がそれに唱和する。
ミュレ参謀やガスパール・フリオンの妹ルシールと領軍本部で会った後。シノブは、伯爵家の面々を魔法の家での夕食に招いていた。
拡張されたダイニングのテーブルは、20名で囲める巨大なものとなっている。そこには伯爵家の一同だけではなく、シノブの従者であるアミィやイヴァール、それにシノブと親交の深い者達が集まっていた。
まず、出陣する側からはベルレアン伯爵コルネーユ。そして、シャルロットにアリエルとミレーユの女騎士三人。それから従軍官僚として付き従うシメオンである。さらに、家臣からはジェルヴェとラシュレー中隊長が出席していた。
彼らを見送る側からは、先代伯爵アンリと伯爵の夫人であるカトリーヌとブリジット。もちろんミュリエルもいる。それに、ミュリエルの遊び相手でジェルヴェの孫であるミシェルも同席を許されていた。
シノブの家臣のうち、侍女であるアンナ、リゼット、ソニアは調理や給仕役として働いている。従者見習いであるリゼットの弟レナンや、アンナの弟パトリックもだ。それに、ミシェルの母サビーヌも、娘の世話役兼で給仕をしていた。
明日は出陣である。本来は歓送の宴であるこの晩餐は、伯爵の館で実施されるべきものである。だが、ミュリエルや先代伯爵の希望もあり、魔法の家で開催されることとなったのだ。
「ふうむ。こんな立派な屋敷が携行できるとはな。これだけの拠点を持って進軍できるとは羨ましいことよ。仮に軍全体が使用できるなら、戦のあり方も大きく変わるな」
先代伯爵は、給仕を受けながら感嘆した様子で頬髭をひねりつつ呟いている。
「父上、それはシャルロットも言いましたよ。本当に、父上の薫陶が行き届いているようで……」
ベルレアン伯爵は、そう言ってシノブと並んで座っているシャルロットへと目を向けた。
シャルロットの武術の師は先代伯爵アンリである。そのため、彼女の言動が先代伯爵に影響されているのは周知のことであった。しかし、伯爵の笑みを含んだ視線からは、言外の意味が感じられた。
「父上、そのことはもう忘れてください……」
父の言葉を受けて、シャルロットは恥ずかしげに頬を染めた。
武術に邁進し、他を切り捨てた過去を思い出したのか。シャルロットは羞恥を含んだ表情となり、更にシノブへと僅かに視線を動かした。
「シャルロット。何度でも言うけど、俺は凛々しい姿も大好きだよ」
恥じらう婚約者へと、シノブは微笑んでみせる。そして同時にシャルロットの隣、ミュリエルの様子をそっと窺う。
先ほど先代伯爵が武人としての感想を漏らしたとき、ミュリエルが僅かに表情を曇らせた。そしてシノブは、小さな淑女の不安そうな表情に気がついた。
たぶん伯爵も察していたから、冗談めいた言葉を父に返したのだろう。それ故シノブも、伯爵の言葉に乗ったのだ。
「本当に、シノブお兄さまはシャルロットお姉さまのことがお好きなのですね……」
シノブの言葉を聞いたミュリエルは、羨望の表情で二人を見ていた。
どうやら戦からは注意を逸らせたようだが、別の問題が発生したかとシノブは気を揉んだ。しかし杞憂であったらしく、ミュリエルは曇りの無い笑顔で二人を見つめている。
シノブは旅立つ前に領都の公園で彼女と交わした会話を思い起こしていた。彼は『シノブお兄さまと同じくらい強くて頼りになる人を探してください』というミュリエルの言葉を忘れたことはなかった。
したがってシノブからすれば、自身を慕うミュリエルが笑顔のままなのが不思議ではあった。だが悲しげな表情を見せるよりは良いと思ったので、そのまま見守る。
「貴女も貴女らしく頑張りなさい。そうすれば、きっと幸せが訪れますよ」
そんな思いに耽るシノブの横で、シャルロットは優しく妹の肩に手をやり元気付けていた。
シャルロットは異母妹のほっそりとした肩に優しく触れ、湖水のような青い瞳に深い愛情を篭めて微笑んでいる。
「はい! 私も頑張ります!」
ミュリエルは姉の励ましにニッコリと微笑むと、溌剌とした声で自身の決意を示す。そして、兄と慕う男と姉の仲睦まじげな様子を憧憬の表情で見つめていた。
「しかし、シノブは『ハシ』というものを器用に使うな」
先代伯爵も、伯爵やシノブが自身の発言をフォローしたと悟ったのか、ことさら明るい声音でシノブへ語りかける。そんな彼は、箸を持つシノブの手元を見つめていた。
先代伯爵アンリとシノブは掛け違うことが多かったため、一緒に会食したことは少ない。しかも、今までは伯爵の館での晩餐にシノブが招かれることばかりであった。そのため、先代伯爵はシノブやアミィが箸を使うのを初めて目にしたのだ。
「ええ、これは故郷の食器です。アミィが作ってくれた料理は故郷のものですから、こちらのほうが食べやすいのです」
シノブは、そう言って隣に座るアミィに、優しい視線を向けた。そして、アミィもそれに応えるように嬉しげな表情を見せる。
侍女が増えたため、給仕には参加せずテーブルについているアミィではあるが、料理のほうは、彼女の指揮で行われていた。魔法の家のキッチンは、もはや厨房と言ったほうがよい規模になっている。コンロ台やシンクもいくつも用意されているし、オーブンレンジも二機ある。
それらを使って侍女達が分担して調理した品々は、伯爵達に向けた王国風のメニューと、シノブとアミィのための和風メニューの双方が含まれていた。
「本当に、シノブ様とアミィさんは、その『ハシ』を上手に使いますね。魔術もそうですけど、お国には繊細な文化が沢山あるのでしょうね」
シノブが箸で魚を器用に解すのを見て、伯爵の第一夫人カトリーヌが賞賛の言葉を漏らす。シノブやアミィが食べているのは、王都で手に入れた魚を塩抜きした上で焼いたものである。
王都で手に入れた魚介類を、アミィは惜しみなく使っていた。焼き魚以外にも三平汁のような塩漬けの魚と野菜を入れた汁物、海苔を使った佃煮のようなものまで彼女は作っていたのだ。
晩餐までの時間はそんなになかったはずだが、米を手に入れたときと同様にアミィは魔術も使用して多くの品を拵えていた。彼女の努力と献身に、シノブは深く感謝する。
「そうですね。器用な人が多い国だとは思います」
シノブはベルレアン伯爵の側に顔を向け、隣に座すカトリーヌに頷いてみせる。
今のところシノブの本当の来歴を知っているのは、シャルロットとベルレアン伯爵の二人だけである。カルリエの町でシノブは自身の素性を打ち明けたが、伯爵は当面自身とシャルロットの二人だけに留めておこうとシノブに言ったのだ。
それ故カトリーヌ達は、以前と同様にシノブがこの世界の遠い国から来たと思っている。
「私達の故郷では、お米に字や絵を描く人までいるんですよ」
アミィは手先の器用な人が多い一例として、一風変わった事柄を挙げる。もちろん彼女は日本にいたわけではないが、シノブのスマホに含まれていた辞書や彼が日本にいたときに見たサイトの情報にでもあったのだろう。彼女は箸の先に米粒を一つ乗せ、伯爵達に見せていた。
「ほう! そんな小さな物に絵を描くのか! ……シノブ達の隔絶した魔術操作には、そのような工夫があったのだな」
先代伯爵は、シノブやアミィもそんな修行をしていたのか、と誤解したらしい。彼は自身の緑の瞳に驚嘆の色を浮かべている。
「……まあ、一種の修行としてやる人はいるみたいですね」
シノブは曖昧な言葉を返した。
さすがにシノブも米粒アートをやったことはない。もっとも精密な魔力制御を習得した現在の彼なら、米粒にレーザーで絵を描くことくらい出来るかもしれないが。
「シノブお兄さま、お帰りになってからでいいから私にも見せてくださいね」
案の定、ミュリエルはシノブも出来ると思ったらしい。彼女は、純真な笑顔でシノブを見つめている。
「そうだね……それじゃ、食事が終わったらミュリエル達に贈り物をしよう」
シノブは我がままを言わず帰りを待つミュリエルに、何か出来ないかと考えていた。
幸い一つのアイディアを思いつき、しかもアミィと相談して実現可能だと確かめている。それをシノブ達は食事の後に披露する予定だったのだ。
「えっ、プレゼントなら、王都のがありますよ?」
ミュリエルは、シノブの言葉に怪訝そうな顔を見せる。そして彼女の隣では、ミシェルも同じような表情を浮かべていた。
シノブはシャルロット達と王都を散策したときに、二人へのお土産として可愛いアクセサリを入手していた。そして土産の品々は食事の前に渡している。
「あれは王都行きを我慢したご褒美だよ。……今度のは、戻ってくるまで元気でいられるように、って感じかな」
シノブは、家族が戦地に赴くミュリエルやミシェルの不安や寂しさを軽減したかった。そんな彼の思いを察したのか、同席していた者達は温かな笑みを見せていた。
◆ ◆ ◆ ◆
食事を終えた一同は、リビングへと移動していた。
「それでは、皆さんそこに並んでください」
アミィの言葉に、シノブや伯爵家の面々、そしてアリエルとミレーユ、ジェルヴェが集まった。彼らは前後二列に並んでいる。前列の者はリビングのソファーに座り、後列の者はその後ろに立っている。
ソファーにはミュリエルとミシェルを中心に、シノブやシャルロットなど若手の者が座っている。そして、その後ろには少女達の親や祖父が立っていた。
「皆さん、笑顔で……はい、もう良いですよ」
しばらく一同の様子を眺めていたアミィは、数瞬置いて声をかけた。それを聞いたシノブは、アミィの下へと歩み寄る。
「……じゃあ、やってみるか」
シノブの言葉に、アミィはリビングのテーブルの上に、1m四方ほどの大きな革を広げた。2mmほどの厚さで平らに整えられたそれは、革というよりは厚手の羊皮紙とでもいうべき物であった。
魔狼の皮から作られた丈夫な革布は、武具以外にも様々な用途に用いられる。高価であるため使い所は限られるが、重要文書ための用紙や最上質の画布にもなっていた。
シノブは以前魔狼を大量に売却したときに、それを使った革製品を幾つか手に入れていたのだ。
「はい……では、影を出しますね……」
アミィが呟くと、革布の表面より少し上が黒い何かで覆われた。
「これは……先ほどの私達? アミィの幻影魔術ですか?」
アミィの魔術を良く知るシャルロットが、シノブに問いかける。
「ああ、そうだよ」
シノブが言うとおり、アミィが出したのは、ミュリエルやミシェルを中心に集まっている一同の姿であった。ただし、それは黒い点や線で表現された細密画である。
濃淡をトーンやカケアミのような細かい線で表現したリアリティ溢れる絵。写真のような正確さも驚異的だが、なんとソファーにいなかったアミィの姿までミシェルの隣に加えられている。見たものを正確に記録し、幻影で自在に再現や加工が出来るアミィならではの神技であった。
「とても繊細な絵ですね……でも、ちょっと変わった感じがします」
ミュリエルは、革布の上の絵を見て首をかしげている。
アミィの幻影魔術で描いた画像は、輪郭線などが白いネガフィルムのような状態である。そのため、そういったものを知らない彼女には物珍しかったのだろう。
「だが、これをどうするのかね? 幻影魔術を革の上にずっと出し続けるわけにはいかないだろう?」
伯爵が言うとおり、いくらアミィでも幻影を永遠に維持することはできない。ソレル商会に潜入したとき、ラシュレー中隊長を狼の獣人に見せかけたように、一定時間が経過すれば幻影は消えてしまう。
「ええ、だからこうするのです……レーザー!」
シノブの声と共に、幻影の上に光が照射される。幻影の上に弱いレーザーを発生させたのだ。
レーザーは幻影の全面に垂直かつ均等に当てられていた。ただしシノブが術を行使したのは僅かな間で、数秒で消える。
「アミィ、幻影を消して」
シノブの指示で幻影が消された後には、少女達を囲む伯爵家の人々の姿があった。シノブはアミィの幻影術を利用して、レーザーによる印刷を行ったのだ。
アミィの幻影で遮られなかった部分には、レーザーにより人々の姿が革布に焼きついていた。それも幻影の繊細な描写を、そのまま写し取っている。
「先ほどの幻影も繊細で素敵でしたが……。でも、こちらのほうが馴染みやすいですね……」
カトリーヌが漏らした呟きに、何人かの者が思わず頷く。
幻影で描いた集合絵が白黒反転した状態であったため、革布の上の絵は輪郭線が黒く、影の部分は濃く表現されている。彼らの反応は当然だろう。
「……シノブお兄さま、これを私に?」
ミュリエルは、緑の瞳を潤ませながら、シノブを見上げている。
「ああ、そうだよ……ミシェルちゃんにも今作るからね」
シノブは、ミュリエルの言葉に頷くと、ミシェルにも微笑みかけた。
アミィが記憶した幻影の中には、ミシェルの母サビーヌや祖父ジェルヴェもいる。祖父が戦地に赴くミシェルにも、シノブは集合絵をプレゼントしたいと考えていたのだ。
「ありがとうございます、シノブ様!」
「ミシェル、良かったですね」
シノブに満面の笑みを見せるミシェルと、その隣で微笑むミュリエル。シノブは、再びこの絵のように集まる日が来ることを願いながら、二枚目の絵の作成に取りかかった。
◆ ◆ ◆ ◆
翌朝、領軍本部の訓練場には、出陣する軍勢が集合していた。
まずはシノブ達を含む先発隊。領都守護隊から選抜されたおよそ200名の騎士と、その指揮をする領都守護隊司令ダニエル・マレシャル、本部隊長オーブリー・アジェなど。もちろん、総司令官であるベルレアン伯爵とそれに続くシャルロット達も含まれている。
そして、巡回守護隊の三隊を中心に構成された後発隊も集まっている。合計1200名の巡回守護隊と、傭兵隊やセランネ村義勇軍であるドワーフ達。それに、伯爵領の従軍武器職人などの民間人もいる。
朝8時に先発隊が、そして1時間後の9時に後発隊が出発する。そのため、先発隊と後発隊の双方が、領軍本部に参集していた。
「……此度の戦には、テオドール王太子殿下も参戦される。これは、王国の威信をかけた大戦である!
その大戦に加わるべく集った諸君は国を守る尊い盾である。その崇高な思い。そして日頃磨いた武芸……それを活かすのは?
……そう。今、この時だ!
無法にも侵攻してくる帝国軍を撃破し、己の家族を友人を……愛する人々を守ろうではないか!」
正面に用意された演壇に上がったベルレアン伯爵コルネーユの檄に、集まった兵や民が大きな鬨の声を上げ賛同する。
伯爵は、押し寄せる熱い思いに応えるかのように笑顔で彼らに手を振ってみせる。そして、怒涛のようなざわめきが収まると、彼は演壇を降り、その正面へと向かう。
それと同時に、先代伯爵アンリが演壇に上がっていく。彼は、演壇に息子であるベルレアン伯爵が向き直ると、微かに頷いた。
「ベルレアン伯爵コルネーユ。そして旅立つ勇士達よ。我々はそなた達の活躍を信じ、ここを守る。だから、後顧の憂いなく戦ってほしい。
そなた達に大神アムテリア様の加護があらんことを! ……旅立つ勇士達に、捧げ剣!」
先代伯爵アンリの獅子吼というべき大音声と共に、見送りに集まっていた領軍兵士達が一斉に抜剣し、その目の前に燦然と煌めく刀身をかざした。
シノブ達は彼らの抜剣礼に答礼すると、遥か遠くへの戦地に続く第一歩を踏み出した。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2014年12月8日17時の更新となります。
本作の設定資料に、メリエンヌ王国の地名に関する説明を追加しました。
5章以降に出た地名を「024 地名4(メリエンヌ王国・その2)」としています。
設定資料はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。