07.19 ベルレアン伯爵領軍出陣 前編
「……コルネーユ。本当に儂を置いていくのか?」
先代ベルレアン伯爵アンリは、当代伯爵であるコルネーユ・ド・セリュジエを見ながら呟いた。彼の緑色の瞳は、息子を恨めしそうな目で見つめている。
そんな先代伯爵の立ち姿には、普段の威風堂々とした雰囲気が薄れているようにシノブには見えた。だが、それは彼の気のせいではないだろう。
「父上、既に納得いただいたはずですが?」
ベルレアン伯爵は、父親と同じ色の瞳に呆れたような色を僅かに浮かべている。シノブとアミィが魔法の家を使ってドワーフ達を連れてきた日の午後遅く、彼らは伯爵の執務室へと集まっていた。
本来であればベルレアン伯爵領軍は、この日の午後そのまま出立する予定であった。だが、セランネ村から150名のドワーフ達が加わったため、半日出立を遅らせ翌朝としたのだ。
なにしろ魔法のカバンに格納したままの物資を出す必要もあったし、ドワーフ達を先発隊と後続隊のどちらに組み込むかの問題もある。そんなわけで従軍官僚となるシメオンは諸問題を処理すべく、イヴァールと共に現在も領軍本部で将官達と調整中であった。
幸い、王領軍がフライユ伯爵領に入るのに合わせて進軍する予定であったため、半日の遅れは問題にならないそうである。
現在、王領軍はボーモン・ラコスト街道を東進し、そこでボーモン伯爵領とラコスト伯爵領の領軍を吸収しつつ進んでいる。
それでも王領軍の先発隊は十日程度で王都メリエから約800km離れたフライユ伯爵領の領都シェロノワまで到達するという。この世界の行軍速度は、身体強化があるため地球の騎兵や歩兵のそれを大きく上回るらしい。
「確かにそうだが……しかし、前回の大戦を経験した者がだな。それに、セランネ村の勇士にも……」
どうやら、先代伯爵はドワーフの参戦により出陣への意欲が再燃したようだ。
「お爺様、私やシノブもおります。それに、今回もお爺様が出陣されたら父上の立つ瀬がありません」
シャルロットの言うとおり、先代伯爵が出陣するなら当代伯爵は留守を預かるべきだろう。さすがに伯爵家の者が誰も領内に残らないのは無用心というものだ。
そして、今回先代伯爵が出陣した場合、当代伯爵コルネーユが戦に出る機会は10年や20年先になるかもしれない。なにしろ、前回の大戦は20年前である。武勇を重んじるベルレアン伯爵家の当主としては、二度の大戦を父に譲るというわけにもいかないだろう。
「この娘の言うとおりですよ。私にも機会を下さるべきでしょうに。それより領内のことを頼みますよ」
もはや伯爵は苦笑いを隠すことはなかった。彼は父親の我がままを聞く時間も惜しいというように話を打ち切り、シノブへと振り向く。
「シノブ。君には領軍第四席司令官となってもらう。そして、セランネ村義勇軍を配下につける。義勇軍の部隊長はセランネ村戦士長のタネリ殿だが、指揮系統としては君の下に入ってもらう。
ドワーフの戦士達は君を『竜の友』として尊敬しているし、前戦士長のイヴァール殿も君の従者だ。この形が一番良いだろう。
……いきなり司令官になって大変だろうが、実務は領軍本部付きとして勉強してもらうし、彼らにどう戦ってもらうかは道々相談しよう」
伯爵の言葉に、シノブは真剣な表情で頷いた。
ベルレアン伯爵領軍の最高司令官は領主である伯爵、先代伯爵アンリが次席司令官である。今回先代伯爵は参戦しないため、出陣する中で次に続くのは継嗣で第三席司令官のシャルロットとなる。つまり、シノブは出陣する中では領軍第三位の司令官となるのだ。
「……シノブ。お主にジェレミーを預けよう。前回も参戦しているし、王都でもお主と親しくしていたそうだしな。ジェレミー、儂の代わりに存分に戦ってきてくれ!」
出陣できない先代伯爵アンリは無念そうな表情をしていたが、どうやらそれについては諦めたらしい。彼は、シノブに自身の腹心ジェレミー・ラシュレーを預けることにしたようだ。
「シノブ様、よろしくお願いします」
先代伯爵の言葉を受けて、ラシュレー中隊長がシノブへと頭を下げる。
「ああ、こちらこそよろしく頼むよ」
シノブも、前回の戦を知っているラシュレー中隊長の助けが得られることになり、思わず顔を綻ばせた。家臣となったアルノー・ラヴランもそうだが、20年前の戦いを経験している者が側近くにいてくれるのは戦争を経験していないシノブにとって非常に心強かったのだ。
「これでシノブの下には騎士が三名ですね」
シャルロットも、シノブの配下が増強されたのが嬉しいようだ。彼女は優しく微笑みながらシノブへと声をかけた。
アミィは王都で騎士へと叙任された。それに、アルノー・ラヴランも先日シノブの家臣となったときに騎士になった。そしてジェレミー・ラシュレーは、アルノー達を助けた功績により従士階級から騎士階級へとなっていた。元々彼は先代伯爵の腹心として実績を積み重ねていたので、騎士になる直前であったらしい。
「父上、それでは留守をよろしくお願いします。シノブ、イヴァール殿やタネリ殿の様子を見に行こう」
ベルレアン伯爵は、父親の考えが変わらないうちに会議を切り上げようと思ったのか、口早に先代伯爵に自領の守護を頼むと、シノブを促した。
「わかりました、義父上。……アミィ、アルノー、ジェレミー。さあ、行こうか」
シノブはそんな彼らの様子に笑いを堪えながら、自身の従者と預かったラシュレー中隊長に声をかけた。
この国では、側近達を親しみを篭めて名前で呼ぶことが多いらしい。そのため、一時的に加わったとはいえ、自身の配下となったラシュレーも、シノブはアミィ達と同様に扱った。
「はい、シノブ様!」
シノブの言葉に、アミィはいつものように元気良く頷いた。
そして、アルノー・ラヴランやジェレミー・ラシュレーも、彼に信頼の視線を寄せている。ラシュレー中隊長も、早速シノブがアミィやアルノーと同様の対応をしてくれたのが嬉しいのだろう。彼は、その表情を綻ばせながらシノブを見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「しかし、シノブの家臣も徐々に整ってきたね」
伯爵は執務室を出て通路を歩きながら、シノブへと声を掛けた。
彼の言うとおり、シノブの家臣もだいぶ増えてきた。客分のイヴァールを別にすると、騎士としてアミィにアルノー。侍女アンナの父ジュスト・ラブラシュリもシノブの家臣となった。従士階級のラブラシュリ家は、一家全体がシノブの家臣となったのだ。
侍女はアンナを筆頭に王都で雇ったリゼットとソニア。従者見習いとしてリゼットの弟レナンとアンナの弟パトリックもいる。現在、彼らは魔法の家で夕食の準備をしている。以前は全てをアミィが行っていたが、彼らの参加で随分楽になったようだ。
それはともかく、王都で伯爵が女性ばかりと冗談交じりに言ったが、シノブの家臣団も多少はバランスが取れてきたようである。
「そうですね。ですが、まだまだ増やす必要があるでしょう」
アリエルとミレーユを従えて歩むシャルロットは父親の言葉に頷いた。だが彼女は、シノブの家臣を更に増やすべきだと続けて指摘した。
伯爵家の家臣は、騎士階級が約100名、従士階級が約500名である。これには、子爵家預かりとなっている家臣も含まれている。
例えばシメオンの家であるビューレル子爵家には40人ほどの家臣が預けられている。ビューレル子爵は都市セヴランの代官を務めているからでもあるが、それから比べればシノブの家臣は僅かしかいない。
「そうか……。それじゃ、ミュレ参謀にも家臣になってもらう?」
シャルロットの言葉を聞いたシノブは、自身と親しい領軍参謀の顔を思い浮かべた。
シノブはシャルロットと婚約している。戦争が始まったため結婚は先送りとなっているが、王家に婚約を認められ、シノブがブロイーヌ子爵となったことは家臣達にも公表された。したがって、シャルロット付きのアリエルやミレーユも、実質的にはブロイーヌ子爵家の家臣ということもできる。
しかし、そこまで加えても家臣10名に客分1名である。当面は代官職などに就く予定はないとはいえ、それでも数が足りないのは事実であった。
「それが良いと思います。彼は魔力量も多いので、いずれは騎士階級になるかもしれません。
父上、どうでしょうか?」
シャルロットは、ベルレアン伯爵へと、参謀マルタン・ミュレをシノブの家臣とすべきか判断を仰いだ。
ちなみに、家臣への採用や騎士階級と従士階級のどちらにするかは、領主の一存で決まる。家格を重んじる領主もいるようだが、ベルレアン伯爵領では、かなり実績優先であるらしい。
例えばミュレ自身も平民であったが、その才能を見出され従士となった。それに、ヴァルゲン砦のポネット司令も、平民から従士、そして騎士へとなった一人である。
もちろん、そんなに数が多いわけではないが、新たな騎士家を立てたり既存の騎士家に婿入りしたりなど、新規に騎士となる者は僅かながらいる。また、稀ではあるが実力不足だと従士に格下げになることもあるという。
「ミュレはシノブに信服しているから、ちょうど良いと思うよ。シノブさえ問題がなければ家臣に加えると良い。魔術に得意な者を集めて『魔術子爵』というのも面白いかもしれないね」
伯爵は、娘と同じ意見だったようで即座に同意した。彼は、シノブの周りに魔術の得意な家臣を配し家中に彼の技術を広めたいと考えたようでもある。
「はい。ミュレ参謀は魔術も熱心に学んでいるし、司令官となった以上、私付きの参謀がいたほうが助かりますね。ありがたく家臣に貰い受けます」
シノブは、伯爵とシャルロットの言うとおりにミュレを家臣として受け入れることにした。
ミュレはシノブの魔術を学ぼうと熱意を燃やしているし、シノブのことを尊敬もしているようだ。それに、彼が口にしたように参謀として勉強してきた家臣がいるのは、これからの戦いで心強い。
「わかりました。アリエル、領軍本部に行ったらミュレ参謀を呼んできなさい」
シャルロットは、腹心であるアリエルにミュレを呼ぶように指示をした。彼らは、これから領軍本部へと行くのだ。そこにはセランネ村義勇軍だけではなく、今回従軍する軍人や、後方支援を行う家臣も集まっている。そして、ミュレも従軍する一員であるから当然その場にいるはずだ。
「わかりました、シャルロット様」
彼らに随行しているアリエルは、足早に歩みながらもシャルロットに対し、軽く頭を下げる。
彼女達は騎士鎧を装着しているが、兜は被っていないし、頭を覆うための鎧下も下げている。そのため、会釈に合わせてアリエルの栗色の髪がかすかに揺らめいた。そんなアリエルの凛々しくも優美な会釈は、彼女の副官としての有能さを象徴するかのようであった。
「ミュレ参謀ですか~」
一方、もう一人の腹心ミレーユは、何か言いたげな表情をしている。彼女は、口を尖らせながら、その青い瞳に寂しげな色を浮かべていた。
「ミレーユ、どうしたのですか?」
シャルロットは、腹心の様子が気になったようだ。彼女は、歩みながらもミレーユを気に掛けるように見つめている。
「……いえ、また魔力が多い人が家臣になるんだな、と思っただけです」
ミレーユは、少々元気のない口調で、シャルロットに答えた。
彼女は、あまり魔力の多いほうではない。それ故、シノブやアミィから学んだ『アマノ式魔力操作法』を熱心に練習し、少ない魔力を有効に活用すべく努力してきた。
そのため今では彼女は、魔力量からは想像もつかない身体強化能力を身に付けている。おそらく、シノブと決闘をしたときのシャルロットよりも強くなっているはずだ。
しかし、一段魔力が多いシャルロットは、更にその上を行っている。そんな彼女からすれば、シャルロットほどではないが魔力量が多いミュレは、羨望の対象なのだろう。
「大丈夫ですよ! 私はシノブ様より魔力は少ないです。でも、シノブ様と違ったことができます!
ミレーユさんの弓や馬術は、ミュレさんの魔力が多くたって真似はできません!
自分の特技を上手く活かせば、何倍でも活躍できるんです!」
アミィは、仲のよいミレーユが悲しそうなのが気になったようだ。普段伯爵達の前ではあまり発言しないアミィが、ミレーユの側へと近づき、その手を取った。
「アミィさん……」
ミレーユは、自分を見上げるアミィを僅かに瞳を潤ませながら見つめている。
「アミィの言うとおりだね。俺が言うのも変だけど、魔力だけが全てじゃない。
俺は、義父上やジェルヴェさんに助けられないと、貴族として振舞うこともできないよ。
それに、戦だってこれが初めてだしね。ミレーユの弓術や馬術、期待しているよ」
ミレーユは、魔力を封じられた竜相手とはいえ、その弓術で前に立つイヴァールを支えた達人である。そして、馬術は領軍一の伝令兵にも匹敵する。シノブの言葉は決して大袈裟ではなかった。
「はい! シノブ様、アミィさん、ありがとうございます!」
二人の言葉に、ミレーユは笑顔を取り戻した。
彼女はその赤毛を元気良く靡かせながら、シノブ達に頷いた。
「ミレーユ、貴女が笑顔でいてくれないと困ります。その笑顔が、貴女の一番の武器ですよ」
シャルロットも、ミレーユへと優しい言葉を掛けた。
「……はい、シャルロット様! ……あの、私がミュレ参謀を呼んできます!」
そういうなり、ミレーユはシノブ達の返答を待つことなく駆け出していった。シノブには、走り出す彼女の目元が、僅かに光っていたような気がした。彼女は、きっと主に泣き顔を見せたくなかったのだろう。
そんな思いを抱きながら、シノブもさらに歩みを速め領軍本部へと向かっていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2014年12月4日17時の更新となります。