07.15 北へ 後編
──ガンド、久しぶり! 連絡できなくてすまなかったね!──
シノブは自身がこの世界に現れた場所、ピエの森へと訪れていた。彼は、ここを岩竜ガンドとの待ち合わせ場所に選んだのだ。
ベルレアン伯爵領内北方に広がるピエの森は、領都セリュジエールとヴァルゲン砦を結ぶベルレアン北街道の西側に位置する。領都から西方のポワズール伯爵領へと続くベルレアン西街道の北側の大半を占めるこの森は、そのままヴォーリ連合国との国境でもあるリソルピレン山脈へと続いている。
魔獣が多く棲むこともあり、ピエの森の中に入るものは殆どいない。そのため、シノブはここをガンドとの待ち合わせ場所に選んだのだ。
──『光の使い』よ。壮健そうでなにより。ここは清浄な魔力が満ちているから、心地よかったぞ。……話は飛びながらでも出来る。さあ我に装具とやらを取り付けろ──
岩竜ガンドは、翼を広げ首をもたげると、僅かに唸り声を上げた。
これは祝福を表す竜の仕草なのだが、本来はあたりに響き渡るような咆哮と共に行うようである。だが流石に周囲に配慮したのか、ガンドの恐ろしげな口から漏れたのは低く抑えられた唸りのみであった。
そしてガンドは言葉通り、身を伏せてシノブ達に騎乗するための装具を装着するように促した。何しろ全長20m以上の巨竜である。そのまま立ち尽くしていては、シノブ達には何もできない。
──わかった! ……アミィ、装具を取り付けよう!──
シノブはガンドに心の声で答え、そのままアミィにも伝える。
岩竜ガンドに乗るときはセランネ村のドワーフ達が作ってくれた装具を身に着ける必要がある。
ドワーフの職人達が作った装具は、首周りと腰周りを太い革で固定するものだ。そして、六畳間にも匹敵する背中には、横二列、縦三列に着座できるように、命綱を固定するための金具としがみつくための太い革の取っ手が付いている。
「はい! さあ、イヴァールさん、リウッコさん、装具を付けましょう!」
ガンドの様子を見て意図するところを察していたのだろう、イヴァールはアミィの言葉に静かに頷くと彼女が魔法のカバンから取り出した装具を広げるのを手伝いだした。
そんなイヴァールとは対照的に、竜を初めて見るリウッコは相手の巨体に驚いているようだ。彼は暫し動きを止めて巨竜を見つめていた。
何しろ全長20m、身を起こしたときには高さ10mにもなる巨竜である。肉食恐竜を思わせる体に翼を付加したようなその姿で高々と首を上げた仕草を見て、逃げ出さないだけでも大したものだといえよう。
しかし呆然としていたリウッコも三人が装具を取り付け始めるのを見て、慌ててその中に入っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
ガンドの念話を受けた後、シノブ達は早速ヴォーリ連合国へと行く面々を選出していた。領都まで程近い位置まで来ていたが、騎馬で飛ばしたほうが当然速い。そこで、シノブは伯爵家の馬車から自身の愛馬リュミエールに乗り換えることになった。
同行する面々は、アミィ、イヴァール、アルノー、そしてリウッコであった。第一の従者アミィは当然としてセランネ村の出身であるイヴァール、そして戦闘もこなすことができ、騎乗も得意なアルノーという人選は当然であろう。
そして、イヴァールと同じセランネ村のドワーフであるリウッコは、父のトイヴァの推薦であった。トイヴァは、せっかくセランネ村に行くならドワーフの精製した良質の金属を手に入れたらどうか、とシノブに進言していた。それに、村で鍛冶道具なども調達したかったらしい。
シノブも彼の言葉に感謝し、目利きのできるリウッコを同行することにした。他にもセランネ村で武器などを購入できるように、伯爵から資金も預かっている。その意味でも相場を知っているリウッコの同行はありがたかった。
そんな経緯でリウッコは、イヴァールが操るドワーフ馬ヒポに相乗りし、ここまでやってきたのだ。
そして、伯爵家の一行を離れたシノブ達五人は、セリュジエールを迂回し、そのままピエの森近くまで一気に軍馬を疾駆させていた。アルノーは森の近くの村で待機し、一行の軍馬を預かる。そのため、彼は森の外縁まで来た後、四頭の馬を連れて村へと引き返していった。
シャルロット達と魔狼を狩ったときもそうだが、ピエの森に騎乗したまま入ることは困難である。そのため、シノブ達はこうして村に馬を預けて森に入っていくのが常であったのだ。
それから日も落ちた森の中を歩くこと30分弱。シノブはガンドと心の声で時折やり取りしつつ、彼との会合を果たしていた。人の近づかない森である上、日没を過ぎていたため、ガンドも森の外縁ギリギリまで来てくれたようである。
──さあ、準備ができた! ガンド、セランネ村まで頼むよ!──
装具の取り付けを完了し、小山のような岩竜の背に乗ったシノブは、全員が命綱を金具に付け終わったのを確認すると、ガンドへと出発の意思を伝えた。
──それでは飛ぶぞ! 『光の使い』よ、新たな山の民に驚かぬよう告げてくれ!──
ガンドは微かに笑いを含んだような思念と共に、大空へと軽やかに舞い上がっていった。
幸いシノブが注意するまでもなく、リウッコは落ち着いた様子であった。イヴァールが王都で戦斧を新調したとき、ある程度は彼から聞いていたのだろう。もっともイヴァールと仲良く空の酒盛りを繰り広げている彼を見る限り、酒の力という可能性も高かった。
イヴァールとリウッコは、竜の背に乗る前にアミィが用意した皮袋をそれぞれの腰に大量にぶら下げていた。彼らは、それを次から次へと空けているのだ。
彼らなら樽があれば樽ごと飲み干すだろうが、空からそんなものを投下されても迷惑である。そこで以前イヴァールが取った方式、皮袋の登場となったのだ。
「どうだ、リウッコ! 空の酒は爽快だろう!
シノブ達はこの楽しみをわかってくれんのだ! お主と一緒に飛べて、やっと楽しみを分かち合うことができたぞ!」
「ああ、イヴァール! この寒さがまた気持ちいいな! 寒いお陰でますます酒が旨いというものよ!」
並んで座した二人のドワーフは、風切る音にも負けない大声で酒の味を語り合っていた。彼らはセランネ村のウィスキーと、メリエンヌ王国産のブランデーを交互に飲んでいるらしい。その姿にシノブは、ドワーフという種族の底知れない酒量に今更ながら呆れかえっていた。
──しかしガンド、君は意外と人間が好きなんだね──
シノブは後ろの酒盛りについては無視することにし、ガンドへと呼びかけた。彼が、リウッコが乗ることをむしろ楽しんでいるような気がしたからだ。
ガンドはセランネ村でも、イヴァールの妹アウネや村人達が触っても嫌悪感を示すことはなかった。それどころか、気持ち良さそうですらあった、とシノブは今更ながら気がついた。
──我らは人の子を嫌ってはおらん。残念ながら、彼らと意思を交わすことが出来ぬゆえ、疎遠になってはいるがな。だが、お互いに迷惑をかけぬためにも、なんとか出来たらよいとは思っている──
ガンドは、その思念に僅かな苦渋を滲ませながらシノブに答えた。長い生の間には、人と対決することが何度かあったのだろう。シノブは、彼の心の内を思いやり、そんなことを考えた。
──ガンドさんは人間が言っていることは理解できるんですよね?──
アミィがガンドに問いかける。
シノブやアミィは、ガンドが人語を解していることには気がついていた。それに、彼が日本語に基づいた思念を発していることも理解していた。
日本の女神であったアムテリアにより言語を授けられた人間は日本語を共通語としている。同様に、知性を持った生き物は日本語をベースにしているのかもしれない、とシノブは想像していたが、本当のところはわからない。
──うむ。だが、この口では人間の言葉は話せぬのでな──
ガンドは飛行を続けながら、悲しさを含んだ思念を返した。やはり、言葉が通じたら避けられた戦いもあったのではなかろうか。シノブは、そんな彼になんとか手助けはできないかと考えた。
──……う~ん。そうだ、ガンド! こういうのはどうかな!?──
シノブは『アマノ式伝達法』として広めつつある、モールス信号のような音の長短による伝達方法を利用できないかと考えた。
全ての人と意思疎通できるわけではないが、セランネ村のドワーフ達が覚えてくれたら、そして、そこから街道沿いのドワーフ達に広まってくれたら、ガンドとドワーフ達の関係もより良好になるのでは、と考えたのだ。
──なるほど、それは良い! 『光の使い』よ、是非教えてくれ!──
シノブの提案を聞いたガンドは、嬉しげな思念を返してきた。
それを聞いたシノブは『アマノ式伝達法』の平文用の信号表をガンドに教えることにした。この方式は伯爵領内で民間にも公開する予定であり、いずれは王国内のみならず交易相手であるドワーフ達にも広めようと伯爵と相談していたものだ。
シノブとアミィが『アマノ式伝達法』をガンドに伝えているうちに、セランネ村へと近づいてきたようだ。シノブは、街道沿いにポツリ、ポツリと見える村々の灯りを見ながら、そんなことを頭の隅で考えていた。
ガンドは、既にシノブ達が教える『アマノ式伝達法』をほぼ完璧に理解したようである。今は、思念の中で長音と短音を発して文を作成し、アミィのチェックを受けているところだ。竜の知能が極めて高いせいか、信号表も見ないのに彼はほとんど間違いなく文章を綴っていく。
スマホの能力を使って信号表を暗記しているアミィはともかく、今ではガンドのほうがシノブよりも上手いくらいである。
感心しつつ見守るシノブの耳に、突然ガンドの咆哮が届いてきた。断続的に長短が混じる吼え声は、明らかに『アマノ式伝達法』によるものだ。
「シノブよ! これは『アマノ式伝達法』か!? ……『シ・ノ・ブ・よ・あ・り・が・と・う』……だと? お主、竜に言葉を教えたのか!」
イヴァールはシノブと同様に軍事知識の一環として『アマノ式伝達法』を覚えたから、ガンドの発した音の連なりが何を意味するか、すぐに察したようだ。彼は一瞬驚きの表情を浮かべたものの、間を置かずに破顔する。
「これが言葉なのか!? それより、竜に言葉を教えられるものなのか!?」
リウッコは半信半疑の表情で叫んだ。だが信頼するイヴァールの言うことだけに、なんとか彼は信じたようである。
「そうとも! これが『竜の友』シノブよ!
リウッコ、こんなことで驚いていては、これからの戦いでは生き残れんぞ! 敵にやられずとも、シノブの見せる技で心臓が止まってしまうからな!」
イヴァールの言葉に、リウッコは唸り声を上げながらも頷いているようだ。
シノブは彼らの様子に苦笑しながらも、巨竜の嬉しげな咆哮を聞いていた。ガンドはアミィやイヴァールの名も口にしている。人間の言葉とは違うが、それでも自身の口から発した言葉をイヴァールが理解してくれたのがよほど嬉しかったのだろう。
岩竜ガンドはその翼で高々と飛翔しながら、何度も『アマノ式伝達法』で己の思いを天空に響き渡らせていた。
「……イヴァール! セランネ村の人達に『アマノ式伝達法』を教えよう! ガンドは人間と仲良くしたいんだ!」
シノブは後ろを振り向き、風に負けないように大声でイヴァールへと呼びかけた。するとイヴァールは大きく頷き、酒袋を持った片手を掲げてみせる。きっと地上であれば、彼は杯を掲げてみせたことであろう。
地上には、一際大きな灯りの群れが見え出した。おそらく、あれがセランネ村だろう。
シノブの脳裏には、セランネ村の大族長エルッキ達の驚く顔が浮かんできた。そしてシノブは高揚した気持ちのまま、村の温かな灯りを見つめていた。
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次回は、2014年11月26日17時の更新となります。
本作の設定資料に、第7章前半に王都で登場した人々の紹介文を追加しました。
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