07.12 帝国の侵攻 後編
「ボドワン殿も、セリュジエールに戻るのか……」
シノブは、アミィが魔法のカバンに大量の物資を仕舞うのを横目に見つつ、ボドワン商会の主ファブリ・ボドワンと話していた。
ベルレアン伯爵がボドワン商会から調達した武具を、魔法のカバンで領都セリュジエールに運搬する。昨夜、伯爵から依頼されたとおり、無限とも思える容量を持つ魔法のカバンに収納することで、これからの戦いに必要な物資を迅速に伯爵領に持ち帰ることができる。
そしてシノブの侍女となったリゼットやソニアの発案により、ボドワン商会の荷も一定量運ぶことになっていた。二人の侍女は商売に携わっていた経験から、ボドワン商会の荷を運んで輸送料を取ることでシノブの資金調達ができると提案したのだ。
そんなわけで早朝からボドワン商会を訪れたシノブやシャルロット達は、大量の物資を確認しているジェルヴェなど伯爵家の家臣や商会の使用人の脇で、主のファブリと待機していた。
「はい、元々私は王女様の成人式典でお集まりになった貴族様や騎士様を伯爵様にご紹介いただき、販路を広げるつもりでした。ですが、こうなってはそれどころではありません。
販路拡大は来年以降にし、今は一人の領民として皆様のお手伝いをしたいと思います」
ボドワンは、率直に自身の思惑をシノブへと説明する。
彼の娘リゼットと息子のレナンがシノブの使用人となったせいか、それとも当のベルレアン伯爵もいるせいか、随分と正直なことである。だが、それが彼の持ち味なのだろう。少なくともシノブは、裏表のない彼の態度を好意的に感じていた。
「なるほど。良質な武器が領都から供給されれば、きっと役に立つだろう。
そういえば、ドワーフの職人トイヴァ殿やリウッコ殿はどうするのかな?」
シノブはイヴァールと同じセランネ村出身のドワーフ、トイヴァとその息子リウッコはどうするのだろうかと気になった。トイヴァはイヴァールの戦斧を作った名工だし、今回新たな戦斧も作成した。彼らが領都にいれば、心強いと思ったのだ。
「彼らも、領都に戻ります。王都での商売拡大のためにこちらに来てもらいましたが、領軍の武具を優先しなくてはなりませんから」
ボドワンもシノブと同じように考えていたのだろう。彼は恰幅の良い体を大きく揺すりながら、シノブへと頷いた。
「王都の生活も悪くはなかったが、戦となれば俺達武器職人の出番だ! 領都どころか、遠征にだって付いて行くぞ!」
ちょうどそこにイヴァールと共に姿を現したトイヴァが気勢を上げる。彼の後ろには、息子リウッコの他にも妻や娘と思われる二人のドワーフの女性がいた。
「ボドワン殿?」
シノブは、トイヴァの言葉に驚いてボドワンの顔を見た。
「はい、伯爵様のご指示次第ですが、従軍の武器職人としてお使いいただく用意もあります。
領都から戦地までは600km以上ありますし、他の商会からも従軍するでしょう」
確かに、ボドワンの言うとおりである。戦地でそう簡単に武器職人を調達できるとも限らないし、領軍の共通装備を扱いなれた職人が従軍してくれれば心強い。
「もちろん、歓迎するよ。
イヴァール殿の戦斧を作った名匠がいてくれれば、安心して戦えるというものだね。
トイヴァ殿、リウッコ殿。よろしく頼む」
ベルレアン伯爵は、にこやかにボドワンに笑いかける。
戦争自体は喜ぶべきことではないが、領民が率先して協力してくれるのが嬉しいのだろう。ベルレアン伯爵は、歩み寄ってくる二人の武器職人を温かく迎えた。
「過分の言葉、痛み入る。アハマス族の武器職人マルコの息子トイヴァ、必ずや期待に応えてみせるぞ」
「アハマス族トイヴァの息子、リウッコと申す。父と共に加勢致す」
二人ともイヴァール同様に時代がかった言葉遣いだが、父のトイヴァが悠然とした様子なのに対し、息子のリウッコは緊張を隠せないようである。やはり、このあたりは年齢や経験の差なのかもしれない。
「ベルレアン伯爵、トイヴァ殿達も我らに同行したいそうだが、良いだろうか?」
イヴァールは、伯爵に問いかける。ボドワンを含め、トイヴァ達は伯爵達と共に領都まで戻りたいようだ。伯爵家一行は、行きと同様に馬車を中心に乗馬の騎士隊が護衛する形だ。ただし、行きは足掛け五日かけて来た道程を、二日で戻る予定である。
先代伯爵が領都から王都メリエに急いだときも二日で移動したため、不可能ではないがかなりの強行軍である。
「我々は先を急ぐが、それでも良いのかね?」
伯爵は、ボドワンへそれらの事情を承知してのことかと確認した。
「はい。私達も、商売の都合で急ぐ時があります。伯爵様や軍の方々のような名馬は持っておりませんが、私の使う馬車は、それなりの良馬を使っております。ご迷惑はおかけしませんから、どうか同道をお許しください」
ボドワンによれば、商会の主として時間を惜しむことも多いため、自身が使う馬車と馬には大金を投じているという。イヴァールもそのあたりは確認しているらしく、伯爵に大きく頷いてみせた。
「承知の上であれば、こちらとしても助かるよ。領都に戻ったらすぐに軍を纏めなくてはならないからね。従軍する職人や、その準備をしてくれる商会主が急いでくれるのはありがたいことだ」
ベルレアン伯爵は、そう言ってボドワン達の同行を許可した。
「伯爵様、ありがとうございます」
伯爵の許しに、ボドワンは満面の笑みで謝意を示し、深々と頭を下げた。
「ところで、そちらの方々はトイヴァ殿のご家族かな?」
シノブは、トイヴァの後ろにいる二人の女性について尋ねた。彼は、セランネ村で会ったイヴァールの母や妹と似ているから間違いないだろうと思いながら、一応訊いてみる。
二人の女性は、ドワーフらしい容姿で浅黒い肌で背が低い。ドワーフの女性は、男性ほど種族的な特徴が出ない。そのため人族に比べて多少しっかり筋肉がついているように見えるが、人族の女性と体型自体の差異はあまりなかった。
ただし身長はドワーフらしく低い。10歳前後の少女に見えるアミィよりも、さらに小柄である。
「トイヴァの妻、サッラと申します」
「娘のティニヤです。よろしくお願いします」
シノブの想像通り、二人はトイヴァの家族であった。ドワーフに多い濃い茶色の髪と瞳の彼女達は、それぞれ名乗ると、一礼する。セランネ村でドワーフの女性達を見慣れたシノブには、サッラが40歳前後、ティニヤが二十歳前後のように見えた。
「ありがとう。イヴァールから聞いているかもしれないが、シノブ・アマノだ。
こちらこそよろしく頼むよ」
シノブは、緊張しているらしい二人に、やんわりと言葉をかけた。
「シノブ様、収納が終わりました! いつでも出発できます!」
そんなシノブに、アミィが元気よく声を掛けてきた。
アミィは狐耳をピンと立て、シノブの下に小走りに駆け寄ってくる。小鳥のように軽やかな彼女の背後では、フサフサした尻尾が元気よく揺れている。
「よし! それでは義父上、領都に戻りましょう!」
シノブも、そんな彼女の明るさが伝播したかのように快活な口調でベルレアン伯爵へと声を掛けた。
◆ ◆ ◆ ◆
ベルレアン伯爵一行は、初日で自領の南端カルリエの町まで進む予定であった。行きは、領都セリュジエールを出た後に都市アデラール、カルリエ、都市アシャール、コロンヌの町、王都メリエと四泊五日で旅してきた。それを二日で戻るのだから、相当な強行軍である。
王都を朝旅立った一行は、コロンヌの町を過ぎ、都市アシャールに近い街道脇の草原で休憩していた。ちなみに、アシャール公爵以下の王領軍は、王都で軍を纏めるため、まだ出立していない。
それに王領軍の進路は、王都メリエから真東に進むボーモン・ラコスト街道であり、都市アシャールに彼らが来る事もない。東に進む王領軍は、十日余りを掛けてボーモン伯爵領とラコスト伯爵領を通過し、二つの領地から参戦する軍を吸収しつつフライユ伯爵領に入る予定であった。
「……シノブ。領都で見たときよりも、中が広くなっていないかね?」
ベルレアン伯爵は、魔法の家の中に入るなり、シノブの顔を怪訝そうに見た。
魔法の家は、場所さえあれば簡単に設置できる。そのため休憩の間、魔法の家で過ごそうと久しぶりに出してみたのだ。カードから展開した魔法の家は、以前と同様に外見はレンガ造りの小さな家であった。だが、その内部は伯爵が言うとおり、領都を出立する前より広くなっていた。
玄関から続く廊下は更に広くなっているようで、四人並んで歩くことすら出来そうな幅になっている。そして、その両脇の部屋数も増えている。扉の数が四つ増えているので、5LDKから9LDKになったようである。もう、LDKで表現すべきではないのかもしれない。
「そうですね……私も知りませんでしたが、従者の数に応じて拡張するようです……」
シノブも、これにはなんと答えるべきか迷ったが、義父となるベルレアン伯爵だけに、あまり適当なことは言いたくはなかった。
伯爵にはそろそろ本当のことを言うべきかもしれないが、聖地サン・ラシェーヌから戻って以来、アドリアンの事件とその後の対応、王女の成人式典に向けての準備、ベルレアン伯爵の別邸に来訪する各伯爵への応対などと忙しく、つい時期を逸してしまっていた。
シノブは今ここで伝えようかとも思ったが、周囲には他にも多くの者がいる。そんなわけで彼は、とりあえず外面的な事象のみを苦笑と共に呟いた。
「必要に応じて広がるとは……。それに、呼び戻す事もできるそうだが……いや、こんな途方もない魔道具だから、それくらい出来て当然なのか……」
伯爵は呆然とした様子で呟いている。
魔法のカバンも含めシノブがアムテリアから授かった魔道具には、シノブ達だけが利用できるように認証機能や盗難防止のための呼び戻し機能が備わっている。拡張した魔法の家に驚いた伯爵は、あまりに途轍もない機能ゆえか、それらを思い出したようだ。
「父上、シノブの魔道具が常識外れなのは、充分ご承知でしょう。そんなことより、早く休憩しましょう。昼食を含めても40分しか休めませんよ」
屋内を見回す父親を、シャルロットは旅の予定にも触れながら急かした。
「ああ、そうだったね。確かに今更だ。とりあえず、食事にしよう」
伯爵は娘の言葉に頷き、中へと入っていく。
そんな伯爵を見送りながら、シャルロットは微かに笑いかけた。聖地でシノブから真実を伝えられたシャルロットは、説明に詰まった彼のフォローをしてくれたようだ。シノブも、婚約者の助けに感謝しつつ微笑みを返し、リビングへと向かった。
魔法の家は前回の拡張と同様に、リビングやダイニング、キッチンも大きくなっていた。ダイニングテーブルには椅子が20脚並んでおり、ソファーもそれと同様に数が増えている。もはや、屋内は邸宅と呼ぶべき規模であった。
「シノブ様! すぐに用意しますから、少々お待ちください!」
アミィは、シノブに笑いかけると、広くなったキッチンへと軽やかに駆けて行った。
彼女に続いてリゼットとソニアの女性陣がキッチンへと行き、お茶の準備を始めた。魔法の家のキッチンには日本の住宅と同レベルのコンロがある。そのため野営ではなく魔法の家を出すことにしたのだ。
彼女達は、アミィに教えられながら、食器棚からカップなどを取り出している。
「あの……私達もお手伝いします」
トイヴァと一緒に魔法の家に付いてきた娘のティニヤが、おずおずと申し出た。隣では、トイヴァの妻サッラも腕まくりをして準備している。
「シノブ、使ってやってくれ。ティニヤ、アミィに聞けば問題ない。頼むぞ」
なんと、イヴァールがティニヤに口添えをした。彼は、ティニヤとも親しいようで、ごく自然な感じで彼女へと言葉をかけた。
「いいのか?」
シノブはイヴァールへと問いかける。
ボドワンとトイヴァは、今後の武器調達の相談もあるため、魔法の家に招かれていた。そして、彼らと共にトイヴァの妻や娘も招かれていたのだ。彼女達は客人扱いで良いとシノブは思っていたが、イヴァールの考えは違うらしい。
「ただで飯にありつくよりは、この方が良かろう。それにティニヤは働き者なのだ。何もしない方が気に病むと思うぞ」
イヴァールは甲斐甲斐しく手伝うティニヤの姿を見つめたまま、シノブに答える。
無骨なドワーフらしからぬ姿に、シノブはイヴァールとティニヤの間柄を理解したような気がした。そこでシノブは自身の推測を確かめるべく、隣に座るシャルロットへと視線を動かした。
シノブの意味ありげな表情に、シャルロットは優しい表情で微かに首肯する。どうやら自分の勘はあたっていたようだ、とシノブも笑顔を返す。
もしかすると戦斧を作り直す間イヴァールがボドワン商会に入り浸っていたのは、ティニヤの側に居たかったからではないか。そう思ったシノブは、イヴァールを穏やかな目で見つめていた。
「そうですね。ティニヤさんは気働きも良さそうです。セランネ村でも人気者だったのでは?」
アリエルも二人のことが気になったようだ。彼女は遠回しに、ティニヤとのことをイヴァールに問う。
「うむ。トイヴァ殿が村を離れた時は、村の若衆が随分恨んだものだ。それに、王国行きを心配するものも多かった。
だが、王都でも元気にやっていたようで安心したがな」
イヴァールは、そんなアリエルの思いを知ってか知らずか、淡々と当時の思い出を語っている。しかし最後の一言には、彼の本音が滲んでいるようだ。
「イヴァールさんは優しいところもあるんですね~。……誰かさんと違って」
ミレーユもそんなイヴァールから何かを感じたらしく、彼を見ながら羨ましそうに呟いた。そして彼女は最後に一言小さな声で付け足しつつ、側に座るシメオンの方をチラリと見る。
「ミレーユ殿もお手伝いしてきたら良いのでは? そうすれば、誰かが優しい目で見てくれるかもしれませんよ」
シメオンは微かに微笑みながら、ミレーユへと手伝うように促した。
どうやらシメオンは、今回も韜晦を選んだようだ。しかし流さずに応じたのは、ある種の自己主張なのかもしれない。
「わ、私はシャルロット様の副官ですから! それに、手伝いは足りているじゃないですか!」
ミレーユは赤毛を振り乱しながら、シメオンを睨みつけた。
誘いをかけてみたら、つれない言葉が返ってきた。これではミレーユが憤慨するのも無理はなかろう。
「アミィ殿もシノブ殿の腹心ですよ。まあ、人それぞれの役割がある、というのは同意しますがね」
シメオンは、すました顔でミレーユに言い返す。
シノブはシャルロットと顔を見合わせ、思わず苦笑した。どうやら、こちらの二人は先が長そうだ、と思いながら、シノブは昼食の準備が整うのを待っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2014年11月20日17時の更新となります。