07.11 帝国の侵攻 中編
「セレスティーヌ様、必ずテオドール様と共に無事に帰って参ります。そして、その時は勝利の報告をお届けします」
シノブは、憂いの表情を浮かべるセレスティーヌに、明るく笑いかけた。
現在のところ早馬の知らせのみであり、どんな戦況か詳しいことはわかっていない。だが、アシャール公爵の言うとおり、王宮で待つ王女に必要なのは笑顔と自信に満ちた言葉だろう。そう思ったシノブは、敢えて快活な口調でセレスティーヌに別れを告げた。
「ええ、シノブの言うとおりです。『竜の友』の言葉に間違いはありません」
シャルロットも同じ考えなのだろう。シノブと同様にセレスティーヌへと優しく語りかける。
「はい。私も『王国の華』を目指すと誓ったのです。家臣や民を不安にさせてはいけませんものね。
王都で皆様のご活躍をお祈りしておりますわ……ですから、どうかご無事で……」
セレスティーヌは、気丈に微笑みつつも、やはりシノブやシャルロットが心配なのだろう。彼女の青い瞳は涙で潤んでいた。
「セレスティーヌ様、シャルロットも言った通り、私達は竜と戦っても生きて戻りました。ですから、ご安心ください。
……戻ったら、舞踏会の続きをしましょう。まだ、ラストダンスを踊っていませんしね」
王女の悲しげな表情を見て、シノブは冗談めいた口調で再びダンスを踊ろうと提案した。
「はい、シノブ様!」
セレスティーヌは可憐な微笑みを見せると、そのままシノブの胸へと飛び込んだ。彼女が勢い良くシノブへと寄り添うと、豪奢な金髪がふわりと宙に靡く。
シノブは、セレスティーヌをやんわりと受け止め、その背中に手をやった。そして、安心させるようにと優しく抱きしめる。
「シノブ様。お約束、きっと守ってくださいませ。私、楽しみに待っておりますわ」
王女セレスティーヌは、極上の笑みを見せると、そのままシノブの胸に顔を埋めた。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブとシャルロットは、アミィとアリエルを連れて小宮殿からベルレアン伯爵の別邸へと戻っていった。既に伯爵とシメオンは伯爵家の馬車で戻っている。シノブ達は、王女が用意した王家の馬車に乗って真夜中の王宮を出発し、伯爵家の別邸へと急いだ。
「遅くなりました、義父上!」
シノブは、伯爵家の別邸に戻るや否やサロンにいたベルレアン伯爵に帰還を告げた。
「いや、セレスティーヌ殿下にご安心頂くのも大事なことだよ。
既に別邸の使用人にはあらましを伝えた。シノブの従者達にもね」
伯爵が言うように、サロンには家令のジェルヴェやラシュレー中隊長、それにアルノー・ラヴランなど伯爵家の家臣に加え、シノブの従者であるイヴァール達も控えていた。
「それで明朝出立したいが、一つ頼みがある。アミィの魔法のカバンに物資を入れて運びたいのだが、良いかな?」
ベルレアン伯爵は、ボドワン商会から武器を買い付けて領都に持って行くつもりらしい。既に、ボドワン商会には、明日早朝までに物資を揃えておく様に伝達していると、シノブに告げた。
「もちろんです。武器だけではなくて、必要な物があれば何でも言って下さい。
なあ、アミィ?」
シノブは、伯爵へと頷き、アミィへと振り向いた。
「はい、シノブ様! 魔法のカバンにはまだまだ沢山入ります。セランネ村でも馬車何台もの武具を入れましたし、大丈夫ですよ!」
アミィも明るく返事を返した。彼女の言うとおり、セランネ村ではシメオンの発案で大量の武具を調達し、魔法のカバンへと格納していた。
普段であれば、魔法のカバンの性能に頼りすぎるのは問題である。だが、この非常時に、そんなことを言ってはいられない。王都から武器を調達することで、伯爵領軍の生還率が上がるのであれば、それに越したことはない。
「そうか、ありがとう。助かるよ」
シノブとアミィの返事に、伯爵は笑顔を見せた。
伯爵は、運ぶ予定の物資について大まかな量をシノブに伝えると、テーブルに置いてあったお茶を飲んで一息ついた。
「……シノブ様、よろしいでしょうか?」
二人の会話が一段落したと見たのか、シノブの侍女リゼットが声を掛けてきた。彼女の脇には、共に侍女となった猫の獣人ソニアも控えている。
「何かな?」
シノブは、おずおずと話しかけるリゼットを安堵させようと、柔らかく返事を返す。
「ソニアさんと相談したのですが、伯爵様の必要な物資以外も魔法のカバンに入るようでしたら、父の商品を運んではいかがでしょうか?
父は、元々王都で仕入れた品をセリュジエールに運搬する予定でした。ですから、カバンに余裕があればそれを運び、父から輸送料を取ってはいかがでしょう」
なんと、リゼットは父親であるボドワンの商会の荷を運ぶことで、シノブ達の資金を稼ごうと考えたようだ。彼女は、商品の販売価格の一割に相当する金額を輸送料としたらどうか、とシノブに提案する。
「それは、確かに名案だね。でも、お父さんからお金を取るなんて、よく思いついたね」
シノブは、さすが商人の娘リゼットだと感心しながら答えた。
「実は、ソニアさんの発案なのです」
リゼットは、そういうと隣のソニアを見た。
「本当でしたら、ブランザ商会から仕入れた荷なども運びたいところですが、急なことですから仕方ありません」
シノブの視線を受けたソニアは、にっこりと微笑みながら答えた。
彼女は、自身が勤めていたブランザ商会からも仕入れ、北方では珍しい食材をベルレアン伯爵領の領都セリュジエールで売りたかったようだ。そうすることでシノブの資産を増やすつもりだったのだろう。
「まあ、そこまでは仕方ないかな。でも、良く考えてくれたね、ありがとう」
シノブの言葉に、リゼットとソニアは微笑んだ。シノブも、二人が侍女としてだけではなく、それまでの経歴を活かして働こうとしてくれていることに、感謝の念を抱いた。
「それでは、レナンを父の下に走らせたいと思いますが、よろしいでしょうか?」
リゼットは、弟のレナンをボドワンのところに向かわせ、今晩中に必要な物を纏めさせたいようだ。
「わかった。念のために、イヴァールを護衛につけよう。イヴァール、お願いするよ」
シノブは、レナンとイヴァールへと顔を向けた。
「任せておけ!」
イヴァールは、陽気に片腕を突き上げ、シノブへと答えて見せた。
「レナン、荷物はかなりの量が入る。伯爵家で必要な物を除いても馬車20台分くらいは大丈夫だ。とりあえず、そのくらいを目安に選ぶよう、お父さんに伝えてくれ。
あと、もし良い板材と帆布があれば、別に仕入れてもらえないかな。ちょっと思いついたことがあってね……」
シノブは、ボドワンの嫡男であるレナンに運搬可能な量を伝えると、さらに幾つかの指示を追加していった。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ様、お願いがあります。私をシノブ様の家臣に加えていただけないでしょうか?」
シノブがイヴァール達を見送ると、ラシュレー中隊長と共に控えていた狼の獣人アルノー・ラヴランが、声を掛けてきた。
「アルノー殿が私の家臣に?」
シノブは、アルノーの言葉に驚いて、彼の顔を見つめた。
「はい。別邸で充分な休息を取らせていただき、私の体も既に回復しました。それに、シノブ様はこれから帝国との戦いに赴かれます。私が帝国の手先となっていた時の知識にも、お役に立つことがあるはずです。
どうか、家臣の末席に加えていただけないでしょうか?」
アルノーは、そうシノブに告げると、跪いて騎士の礼をした。
彼は、20年間帝国の戦闘奴隷として酷使されてきた。そのため、しばらくは別邸で休養していたが、充分に回復したようだ。そして、彼は戦闘奴隷となっていた間の記憶もある。もちろん、奴隷には最小限の情報しか与えられていないが、それでも国境周辺や帝国領の地理などは当然知っている。
「それは大変助かるが……義父上、良いのですか?」
シノブは跪くアルノーから、ベルレアン伯爵へと目を向けた。
アルノーは、伯爵家の従士である。せっかく復帰できたのだから、ゆっくり領都で過ごしたら良いのではないか、とシノブは思っていたのだ。
「良いに決まっているよ。子爵家の家臣といっても、伯爵家の一部には違いない。それに、シャルロットが女伯爵になったときには、シノブは準伯爵だ。結局同じことだよ。
アルノーの気持ちも固まっているし、私としても家臣が喜んで働けるように配するのは当然のことだよ」
ベルレアン伯爵は、シノブに頷いてみせる。彼はアルノーの気持ちを汲んでほしいといいたげに、シノブの顔をじっと見つめていた。
「シノブ。アルノーは、貴方に助けられた恩返しをしたいのです。彼の願いを叶え、その忠誠を受け取ってはいかがでしょうか?」
シャルロットも、シノブを後押しするように優しく言葉を掛けた。そして伯爵の背後では、ジェルヴェやラシュレー中隊長も、何かを訴えかけるような目でシノブを見つめている。
──シノブ様、これもアムテリア様が仰る絆だと思いますよ──
そして、アミィも心の声でシノブに口添えをする。シノブも、彼女の言葉に内心頷いた。
「わかった。アルノー、一緒に帝国と戦おう。そして、一人でも多くの奴隷を解放しよう」
シノブは、アルノーへと共に戦おうと告げた。
彼は、アルノーの20年間の苦労に報いるには、思うとおりに働いてもらうべきではないかと思ったのだ。
「はっ、ありがとうございます! この命、シノブ様に捧げます!」
アルノーは、跪いたまま深々と頭を下げる。
「それでは、アルノー。私からも餞別を贈ろう。
……アルノー・ラヴラン。そなたをベルレアン伯爵家の騎士階級とする。分家のブロイーヌ子爵家に仕え、子爵家のため、伯爵家のため、ひいては王国の為に忠節を尽くすように」
「お館様……」
ベルレアン伯爵の宣言に、アルノーは言葉を詰まらせた。彼は滂沱の涙を流し、伯爵を見上げている。
「さあ、シノブ。叙任式をしたまえ」
伯爵はシノブに向き直ると、叙任の儀式をするように促した。シノブは彼の言葉に従い、アルノーの剣を鞘ごと受け取る。
「……アルノー・ラヴラン。我、シノブ・アマノ・ド・ブロイーヌが、そなたを騎士に任ずる。『騎士となる者よ。大神アムテリア様の教えを守るべし。全ての民を守護すべし』」
シノブは叙任の決まり文句を唱えると、アルノーの剣を鞘から抜く。そして、その剣の平で彼の両肩を軽く叩くと、アルノーへと返した。
「『神々の教えと主君の命を胸に、我は民を守る剣となり盾となる』。……シノブ様、この命、如何様にもお使いください!」
シノブから剣を受け取ったアルノーは、再び深く頭を下げた。
「それでは、シノブ。アルノーを頼むよ。
……アルノー、シノブを支えてくれ。シノブは優秀だがまだ若い。お前の経験が生きることも多いだろう」
ベルレアン伯爵は、シノブと立ち上がったアルノーのそれぞれに、優しく言葉を掛けた。
「はい、お館様……」
アルノーは、ベルレアン伯爵の餞別の言葉に、再び瞳を潤ませた。
「それとアルノー、もう一つ、お願いがあるのだがね」
伯爵は、そんなしんみりとした空気を振り払うように、冗談っぽくアルノーに語りかけた。
「何でございましょう?」
アルノーは、伯爵の言葉が理解できないようで、不思議そうな顔をした。
「いや、簡単なことだよ。
シノブの周囲には女性が多い。客分のイヴァール殿を別にしたら、少年のレナンしかいないからね。お前には、男の家臣として頑張ってほしい。それだけさ」
そう言うと、ベルレアン伯爵は明るくアルノーに笑いかけた。
アルノーは一瞬目を見開いたが、シノブやその周囲を見回し、何か納得したような表情となった。
「義父上、ご配慮感謝します……と言ったほうがよろしいのでしょうか?」
シノブも、伯爵が場の雰囲気を変えようとしたのには気がついていたので、おどけたような表情で将来の義父に問いかける。
シャルロットや周囲にいた家臣達は、その様子に思わず迫り来る戦を忘れ、笑いを零していた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2014年11月18日17時の更新となります。