07.10 帝国の侵攻 前編
メリエンヌ王国の王都メリエ。その中枢は、ベーリンゲン帝国の侵攻という突然の凶報に大きな衝撃を受けていた。
王国を動かし守る上級貴族達は、大宮殿の右翼二階にあるポヴォールの間へと集まっていた。戦いの神の名を冠した部屋は、さほど広くはないが厳重な造りとなっており、軍議の内容を外に漏らさないよう、壁も厚く防音措置も充分施されている。
部屋の中央には、二十人ほどが囲める大きなテーブルがある。そこには、国王、先王、王太子などの王族、三公爵に六侯爵、謹慎中のフライユ伯爵を除く六伯爵が集っている。さらに、王族には警護の騎士、六侯爵には副官達が背後に控えている。
そんな高官達が集う中、シノブとシャルロット、そしてシメオンも、ベルレアン伯爵の背後に控えていた。彼らは、帝国の奴隷解放や魔道具解析、工作員と思われるソレル親子の尋問などに関わってきたため、国王アルフォンス七世から出席するように命じられていたのだ。
「軍務卿、状況は?」
国王は、全員が揃うと時間を惜しむかのように、軍務卿であるエチエンヌ侯爵マリユス・ド・ダラスに説明を求める。
「はっ! 二日前、12月3日未明にベーリンゲン帝国軍が、モゼル砦、ガンタル砦の二箇所に、同時侵攻をかけました。ガンタル砦に近い城壁から一時侵入されましたが、幸い内部に入った敵は撃破した模様です。
早馬からの情報は、以上です!」
エチエンヌ侯爵マリユスは、巨体に相応しい大声で、アルフォンス七世に戦況を報告した。
帝国は、メリエンヌ王国の獣人を奴隷とするために度々国境を越えて侵入している。しかし、それは小規模な人攫いや間者の侵入であり、軍隊に堂々と突破されたのは20年ぶりである。早馬で遠い国境から王都に大至急の伝達が行われるのは、当然のことであった。
メリエンヌ王国とベーリンゲン帝国の国境は、王都メリエからは1000km以上離れたフライユ伯爵領の東端である。地球の常識で考えれば僅か二日で馬による伝令が到着するとは考え難いが、この世界の軍馬には強力な身体強化がある。したがって良馬なら、長距離を時速40kmくらいでの走破は充分に可能であった。
しかも主要な街道には軍の伝令が一定間隔で待機し、伝令内容を受け渡していく。そのため騎馬兵による伝達速度としては、驚異的な速さが実現されていた。
それはさておきメリエンヌ王国の最東端でもある国境の地には、南北に連なる高さ10m近い巨大な城壁が築かれていた。
東西に延々と続く城壁の間には、北からモゼル砦、ガルック砦、ガンタル砦と三つの主要な砦が配置されている。それに三つの砦の間にも、兵士の駐屯所を兼ねた小規模な砦が設けられている。
ただし大軍を動かすことが可能な経路は、この三つの砦がある場所だけだ。それゆえ過去の大侵攻も、これらのいずれかを抜くことを目標としたものであった。
しかし砦や城壁には、投石機や大型弩砲が多数設置され、攻め寄る敵もそう簡単に近づくことはできない。そのため三つの砦は、王国の守りとして帝国の侵攻を長年防いでいた。
「王都に潜入していた工作員の事もありますし、この時期の侵攻、入念な準備に基づくものですな」
内務卿ドーミエ侯爵アントナン・ド・ペロンは、自身の部下である監察官が取り調べている帝国の間者達と関連付け、王女の成人式典の隙を狙った侵攻であると呟いていた。
「内務卿の言うとおりであろう。式典に合わせて、各伯爵は王都に集まっている。フライユ伯爵は当然、それにその後方を支える東方の伯爵達もだ」
国王アルフォンス七世は、ドーミエ侯爵の言葉に頷いた。
彼が言うとおり、帝国との最前線を担当するのはフライユ伯爵領軍であるが、大戦ともなれば、その背後に控えるベルレアン伯爵領、エリュアール伯爵領、ボーモン伯爵領、ラコスト伯爵領からも援軍を出す。
もちろん王領軍も戦の規模に応じて参戦するが、フライユ伯爵領と接しているベルレアン伯爵領、エリュアール伯爵領、ラコスト伯爵領の役割は大きい。
彼らは、フライユ伯爵領軍と共に前線に出ることもあるし、領軍が出陣して手薄になったフライユ伯爵領の治安維持や輸送など後方支援を担当する。この世界には魔獣もいるので、軍の全てが前線に集結した場合、町や村の防衛が出来なくなる。そのため、戦のときの後方支援は重要であった。
「敵軍の規模は?」
先王エクトル六世が、軍務卿に続いて問うた。
彼は、20年前の戦の当時、国王であった。だからであろうか、他の者達よりは平静な様子である。静かな、しかしよく響く声でエチエンヌ侯爵マリユスに敵の兵力を確認した。
「前線からの情報は、未だ判然としない部分もありますが、それぞれ四千、双方合わせて八千は間違いないようです。後方支援を合わせて、一万以上と思われます」
敵は二箇所の砦に攻撃を仕掛けてきた。軍務卿の報告では、それぞれに4000人ずつを当てたようである。
ちなみにメリエンヌ王国をはじめ、この地方の国々ではガラス工芸が盛んであった。そのため、レンズも既に発明されており、魔道具ではない光学式の望遠鏡も倍率は低いものの存在する。
軍ではそれらを活かした索敵は行われているが、今回は未明の侵攻であったため役に立たなかったようである。とはいえ、一旦、日が昇れば望遠鏡を使って、ある程度遠方まで確認することが出来る。そのため、防戦の間の確認とはいえ、軍務卿が上げる数字は充分な精度をもっているようだ。
「砦や城壁があるとはいえ、それは辛いでしょうな。陛下、早速援軍を送るべきでは?」
フライユ伯爵領の西南に位置する領地を持つ、ラコスト伯爵レオドール・ド・ロセルが、国王の意向を伺った。
城攻めは三倍の兵力というわけではないが、メリエンヌ王国でも砦や城壁を守る側が有利であることは広く知られている。王国の歴史では、およそ半分の兵力があれば余裕を持って帝国の侵攻を押し止めることが出来たらしい。
しかし8000人の敵主力に対して、フライユ伯爵領の全兵力はおよそ9000人である。この兵数は他領からの支援もあって他の伯爵領に比べて遥かに多いし、その多くが国境警備を担当している。とはいえ彼らだけでは短期間しか支えることは出来ないのも事実である。
「うむ。アシャール公爵、そなたが主将となり、王領軍を率いよ!
副将はテオドール、そなただ!」
なんと、国王アルフォンス七世は、アシャール公爵と王太子テオドールに出陣を命じた。
「必ずや陛下に勝利の報告を持ち帰りましょう!」
「王家の名に恥じぬよう、努めてまいります」
アシャール公爵とテオドールは国王の命令に、礼儀正しく一礼し拝命する。
「へ、陛下! アシャール公爵に加えてテオドール殿下までご出陣されるのですか!」
ギャルドン侯爵バティストは、国王の決断に驚愕したようで、主君への非礼を忘れて思わず叫んだ。
「そなたも知っての通り、フライユ伯爵の疑惑は晴れていない。彼にも当然自領に戻ってもらうが、かといって主将に据えるわけにはいかない。
だから、我が弟にして東方を管轄するアシャール公爵に軍を纏めてもらう。テオドールは悪いが旗頭だ。領都シェロノワか、都市グラージュで待機してもらう。
フライユ伯爵には領内で家臣を統率させるが、戦場には出さん。フライユ伯爵領軍は、息子のグラシアンに指揮をさせるが、単独では動かさん」
国王の言葉を聞いた諸卿は、安心したような表情を見せた。
シェロノワとはフライユ伯爵領の領都である。そして、グラージュは国境に最も近い都市だ。王太子は後方で兵の士気を高め、前線にはアシャール公爵が出る。そして、フライユ伯爵の嫡男グラシアンはいずれかの将の下で、自領の軍を動かす。
どうやら、国王はフライユ伯爵やその息子を、かなり警戒しているようである。
「ベルレアン伯爵、エリュアール伯爵は、早速領地に戻り自軍を纏めて参戦せよ!
ラコスト伯爵、ボーモン伯爵は、王領軍と共にフライユへと進軍する。これは、王国を守る大戦である!」
国王アルフォンス七世の雷鳴のような大音声に、臨席した諸卿は、恭しく頭を下げていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブよ。そなたには、ぜひベルレアン伯爵領軍の一員としてフライユ伯爵領へと赴いてほしい」
シノブは、国王アルフォンス七世から、直々の頼みを受けていた。
会議の後、ベルレアン伯爵コルネーユとシノブ達は、国王の命でその場に残っていた。彼らの他には、先王エクトル六世に、王太子テオドール、そしてアシャール公爵がいる。
「ええ、当然参加するつもりです……もちろんベルレアン伯爵の許可があればですが」
シノブは、帝国に囚われている奴隷を解放する絶好の機会だと思っていたので、伯爵領軍の一人として従軍するつもりであった。だが立場上、ベルレアン伯爵の許しを得るべきだと思ったので、その意を示した。
「陛下のお言葉を頂くまでもなく、シノブには我が右腕として共に戦ってもらおうと思っておりました。
テオドール殿下はお任せください。そして、必ずや帝国軍を駆逐してみせます」
ベルレアン伯爵は、国王の意図を察したようで、柔らかく微笑みながら主君に一礼した。
「すまぬな。我が子を守るために、人の子も戦場に赴かせる。人としてはどうかと思うが、これもこの国を守るためだ」
アルフォンス七世は、ベルレアン伯爵とシノブに、僅かに頭を下げた。
フライユ伯爵が疑惑の渦中にある今、国を束ねる王家としては王太子を現地に派遣して、王国の結束ここにあり、と示したい。だが、王子は彼一人である。アルフォンス七世が、跡取りの安全を考慮するのは当然のことであった。
「もったいないお言葉。我らは臣下でございます。王国の為に尽くすのは当然のこと。
これからも何なりとお命じくださいませ」
そう言うと、ベルレアン伯爵は再び国王に深々と頭を下げる。そして、シノブ達も彼同様に主君への敬意を表した。
「コルネーユ、シノブ。王国を、そして息子を頼む」
「シノブ殿。よろしくお願いします」
アルフォンス七世とテオドールがシノブ達に掛けた言葉には、君臣の枠を越えた思いが滲んでいるようだ。彼らは、厳粛な中にも信頼を含んだ眼差しで、シノブやベルレアン伯爵達を見つめていた。
「……それでは、準備がありますので失礼します」
ベルレアン伯爵は、国王アルフォンス七世へと断りを入れ、退室しようとした。
「シノブ君、待ちたまえ!」
ベルレアン伯爵と共に部屋を辞そうとしたシノブを、アシャール公爵が呼び止めた。シノブは、何事かと怪訝に思いながら、彼を振り向いた。
「帰る前に、セレスティーヌを慰めてやってくれんかね!
なにしろ舞踏会の最後が滅茶苦茶になってしまったからね。それに兄の出陣だ。戦場に出る騎士は、姫君を安堵させてから出立するものだよ!」
アシャール公爵は、冗談を交えながらシノブへと微笑みかけた。
本来、成人式典の舞踏会では、終幕近くに主役とそれをエスコートする者がもう一度踊りを披露する。その後は、ダンス好きな者が夜遅くまで踊りに高じるが、主役達はそこで退席する慣わしであった。
それが、突然の凶報により舞踏会が中断されたため、ラストダンスが行われないまま会は閉じられてしまったのだ。
「わかりました。ご忠告ありがとうございます」
確かに、エスコートを引き受けた以上それくらいの配慮をするのは当然のことであろう。それに礼儀や常識ということを抜きにしても、シノブも多くの人を見送る王女を案じていた。
兄であるテオドール、叔父であるアシャール公爵、そして王宮の騎士達。セレスティーヌは王女として、彼らを笑顔で見送らなくてはならない。シノブは、自身の祝賀の日が戦争の幕開けとなったセレスティーヌの内心を思い顔を曇らせた。
「シノブ君! そんな顔をしてはいけないよ!
旅立つ戦士は笑顔で別れを告げるものさ。そして、それを見送る女性もね。さあ、セレスティーヌの下に行ってあげたまえ!」
アシャール公爵は、あくまでも明るくシノブに助言する。そして、シノブはそんな彼に感謝しつつ、シャルロットと共に小宮殿へと赴いた。
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次回は、2014年11月16日17時の更新となります。
本作の設定資料に、神々や神話についてを追加しました。
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