07.07 王女殿下に祝福を 後編
「ふうん。そういうことだったのか」
シノブ達から奴隷解放やアドリアンとの決闘について聞いたアシャール公爵は、彼独特の軽い口調で呟いた。だが、その口調とは裏腹に、彼の目は鋭い光を放っていた。
「昨日、兄上からも聞いたがね。やっぱり当事者に聞くと色々ためになるよ」
昨日、公爵は王都に到着したらしい。公爵家の中では所領が王都に一番近いこともあるが、懐妊中の第二夫人レナエルの側を離れたくなかったようだ。
「クレメンはね、先代ベルレアン伯爵アンリ殿に嫉妬しているのさ」
クレメンとは、フライユ伯爵クレメン・ド・シェロンのことだ。
シノブはアシャール公爵の唐突な言葉に驚いたが、ベルレアン伯爵やシャルロットは平静な様子を保っている。おそらく彼らの間では、周知の事実なのだろう。
20年前のベーリンゲン帝国との戦争では、当時ベルレアン伯爵家の当主であったアンリが功一等となり、時の国王エクトル六世から『雷槍伯』の二つ名を授かった。
そのころクレメンは30歳。当然彼も伯爵家継嗣として勇敢に戦った。しかし援軍として参戦したアンリが敵将軍を槍の投擲で討ち取り、そのまま崩れた敵軍を蹴散らした。それゆえクレメンの奮戦は、随分と霞んでしまったらしい。
「元々、フライユは領地自体がベルレアンに比べると劣るからね」
アシャール公爵は、戦のことから領地へと話を転じた。
フライユ伯爵領はベルレアン伯爵領に比べると、七割弱の面積しかない。伯爵領の中では二番目に大きな領地だが、山がちで耕地が少ないのだ。
さらにベルレアン伯爵領はヴォーリ連合国との交易で繁栄しているが、フライユ伯爵領が接しているベーリンゲン帝国とは戦ばかりで交易どころではない。
「だいたいね、クレメンの改革が急に実ったのだって、昔から怪しまれていたんだ」
公爵もシメオンと同じように、フライユ伯爵領が急激に魔道具製造業を発達させたことを不審に思っていたらしい。
クレメンがフライユ伯爵となったのが18年前。帝国との戦争の2年後である。それから数年間を彼は内政改革に励んだらしいが、一時は王都の商人に多額の借金をしていたという。
「10年前くらいから、急に魔道具製造業が軌道に乗ったらしいね。そのころ王都の商人達の間では、あれは帝国から流出した技術だろうと、と噂になったものだよ。
もちろん、帝国の技術を奪うのは構わない。だけどあれだけ見事に持ち直すと、どんな裏事情があるのか、とね。
まあ我々としては、王国の為になるならと細かいことには目を瞑っていたわけだが……さすがに帝国直々だとは思わなかったよ」
アシャール公爵は、シノブ達に呆れたような顔を見せる。
「伯父上、やはりフライユ伯爵は帝国と繋がっているのでしょうか?」
シャルロットは、アシャール公爵に深刻そうな表情で問いかけた。
「その可能性は高いと思うがね。でも、そうやって我々を惑わすのが目的かもしれないよ?」
アシャール公爵は、シャルロットに早合点は禁物だ、というような口ぶりで指摘した。
「ですが……」
シャルロットは、査問会でのフライユ伯爵クレメンの態度を思い出したのか、不快そうな表情になる。
シノブも審議の間での一幕、慇懃無礼なフライユ伯爵の姿から帝国と何らかの関係があると感じていた。そのため内心ではシャルロットに同意する。
「クレメンと帝国の繋がりを疑うなら、充分な証拠を掴む必要があるのさ。
仮にクレメンを隠居させたとしても、嫡男のグラシアンがいる。次男のアドリアンが帝国の魔道具を持っているんだ。グラシアンも同じだと思わないかい?
王都でクレメンを隠居なり処刑なりして、それを理由にグラシアンが離反したらどうする? フライユ伯爵領は、あっという間に帝国領になるよ」
シャルロットの不満げな様子を見て、アシャール公爵は彼女に優しく語りかけた。
「クレメン達は怪しげな魔道具は持っていなかった。まあ、戦闘奴隷や強化の魔道具の件で呼び出されたのだから、よほどの間抜けでもないかぎり、そんなものは持ってこないだろうがね。
だがアドリアンが持っていたものを、グラシアンが、そしてその配下が持っているかもしれない。
まあ、まずはセレスティーヌの成人式典を終えて、それからクレメンと共に彼の領地に行くことになるだろうね。まったくレナエルも身篭っているというのに、余計な仕事を増やしてくれたものだよ」
アシャール公爵は、そうぼやいて見せた。普段の奇矯な発言からは想像しがたいが、彼は愛妻家らしい。
「義伯父上が行くのですか?」
シノブは、彼がフライユ伯爵領に行くと知って驚いた。
「伯爵家第二位のフライユの当主と息子を調べに行くのだからね。それなりに権威が無くては務まらないさ。それに、東方や北方は我がアシャール公爵家の担当だからね」
彼は、オベール公爵家が東南、シュラール公爵家が西方の担当だとシノブに教える。ちなみに、南西方向はガルゴン王国であり、これは王家自身が対応するらしい。
「まあ、さっきも言ったけど成人式典が終わってからのことだ。式典を無事に終え、王国の結束を示すことも大事なのだよ。
さて、そろそろ午餐会も始まるだろう。我々も行くとしようじゃないか」
アシャール公爵は、そう言うとシノブ達に扉のほうを指し示した。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達は、午餐会に参加するため大宮殿の右翼にあるアルフールの間へと移動した。王女達がパレードから戻ると、昼食を兼ねたパーティーである午餐会が開かれる。
アルフールは森の女神であり植物全般を司るため、豊穣の女神として信仰されている。午餐会や晩餐会が行われる場所に彼女の名前が冠されているのは、そのためであろう。
アルフールの間も、光の間と同様の煌びやかな装飾が施された大広間であった。広い室内には、幾つものテーブルが置かれ、それぞれに軽食や飲み物が置かれている。
午餐会は王女の成人を祝う場であるが、同時に貴族達の交流の場でもある。それゆえ、自由に会話できる立食形式となっていた。
一応、壁際にはソファーとそれに合わせたテーブルも用意されている。だが、そこで休むのは老齢の者達であり、多くは広間の各所に立ち和やかに談笑していた。
「シノブ殿! お久しぶりです!」
シノブの耳に、少年らしい元気の良い声が響いた。
シノブが声のしたほうを向くと、ポワズール伯爵の嫡男セドリック・ド・メレスが歩いてくるのが、彼の目に入った。セドリックは、にこやかに微笑みながら両親と共にシノブの側にやって来た。
ミュリエルの婚約者候補でもあるセドリックは、薄い色のアッシュブロンドに灰色がかった青い瞳をした、細身の少年である。この国の成人男子は大柄なため、13歳の彼もシャルロットやアリエルと殆ど変わらないくらいの背の高さであった。
「シノブ殿!」
和やかに挨拶するシノブ達の下に、声変わり前の少年の声が聞こえてくる。
今度はボーモン伯爵の息子ディオン・ド・バダンテールである。彼は10歳と若いが、嫡男であるため当然午餐会に招待されている。
ディオンは、碧の瞳を少年らしく明るく輝かせながら、小走りに近づいてくる。こちらも後ろには父親のボーモン伯爵や夫人達がいる。
「やあ、セドリック殿、ディオン殿。元気そうだね」
シノブは、彼らに明るく答える。シノブは十日ほど前から到着しだした各伯爵と、ベルレアン伯爵の別邸で顔を合わせていたので、セドリックやディオンとも既に面識があった。
そしてセドリック達の声で気が付いた貴族達が、シノブへと注目をする。
彼らはシノブの側に寄ろうか迷っている様子だ。おそらくアシャール公爵やベルレアン伯爵が周りにいるため、子爵や男爵などでは声を掛けにくいのだろう。
そんな中、王女を通じてシノブと知り合いになった侯爵の娘達は、躊躇うことなくシノブの周囲に集まってきた。
「ほう。シノブ君は子供達にもモテるんだね!」
アシャール公爵は、感心したような声を上げた。
セドリックやディオン、そして同年代の少女達が集まった様子は、とても賑やかで活気に溢れていた。そして陽気な公爵は子供達の楽しげな雰囲気がお気に召したのか、満面の笑みを浮かべている。
「まあ……アシャールの義叔父様、ひどいです。私、もうすぐ成人しますのに」
ドーミエ侯爵の娘エルティーヌは、穏やかにアシャール公爵の言葉に反論する。
彼女の叔母レナエルは、アシャール公爵の第二夫人である。そのためエルティーヌは公爵に親しげに笑いかけていた。
「成人前ということは、やっぱり子供ではないかね?
それに大人だというなら、もう少し落ち着いたほうがいい。シノブ君を囲んでいる諸君は、まるで兄に甘える弟や妹みたいだね!」
冗談めいたアシャール公爵の言葉に、周囲の大人達は苦笑している。シノブを取り囲んでいた少年少女達は、その様子を見て慌てて少し距離を取った。
「さて、シノブ君。竜を鎮めた話を聞かせてくれないかね!
子供達は既に聞いているようだが、まだ聞いていない者も多かろう。彼らにも竜がどんなものか教えてやってくれたまえ! 私も聞きたいしね!」
アシャール公爵はシノブに向けて片目を瞑ってみせる。
既に公爵は都市アシャールで竜の話を聞いている。どうやら彼は、余計なことをシノブに尋ねる者達を排除したいようだ。確かに祝宴の場で戦闘奴隷やアドリアンの事件について話すべきではないだろうし、シノブもそんな事を話題にされても返答に困る。
「それでは……シャルロット、補足は頼むよ」
シノブは隣に立つシャルロットに声を掛けてから、竜の狩場での出来事について話し始めた。
◆ ◆ ◆ ◆
「その、魔力への干渉というのは、どんな相手に対しても行えるのかな?
それなら、殆どの相手を簡単に封じることができそうだが」
シノブの話が終わると、一人の青年が声を掛けてきた。
彼の名はデュスタール・ド・ラガルディーニ。まだ三十歳前の彼は、当代のエリュアール伯爵その人であった。
「人間は竜ほど魔力に頼っていないから、倒れるほどではないと思います。もちろん身体強化などは使えなくなり、常人並みの体力に制限されます。ですが裏を返せば、常人程度には動けますので」
シノブは、エリュアール伯爵へと丁寧に説明をした。
魔力を糧にして生きているともいえる竜だからこそ、魔力干渉で地に伏した。言ってみれば、鯨が浮力の無い陸上では行動できないのと同じである。
それに対し人間は、通常の生活では僅かな基礎身体強化を行っているだけで、魔力干渉では行動不能とならないだろう。
「魔道具はどうなるのですか?」
今度はエチエンヌ侯爵の嫡男シーラス・ド・ダラスが質問をしてくる。軍務卿の息子だけあって魔道具を使った戦闘に強い興味があるのだろう、彼は巨体を乗り出すようにしている。
「知っている魔道具であれば、壊さずに無効化できますよ。ですが、知らない物は壊してしまう恐れがありますね」
シノブは、期待に瞳を輝かせるシーラスに対し、穏やかな笑みと共に答える。
「それは残念ですね。できればそこの燭台で試してもらいたかったのですが」
よほど期待していたのかシーラスは、大袈裟に両手を広げて溜息をついてみせる。
「シーラス殿が弁償してくださるなら、やってみましょうか?」
「いや、それは勘弁していただきたい!」
シノブが冗談交じりに彼に答えると、シーラスは慌てて手を振る。そんな偉丈夫の意外な姿に、シノブの周囲の者は大きな笑い声を上げていた。
「シノブ君、何かこう祝宴を盛り上げるようなことはできないかね!」
そんなやり取りを見ていたアシャール公爵が、シノブへと唐突に声を掛ける。
「王宮の中で魔術を使っても良いのですか?」
「公爵家筆頭の私が許可する、やりたまえ!」
シノブは、公爵の突飛な発言に驚いて思わず問い返した。だがアシャール公爵は、相変わらずの調子で、自身の胸を叩いて問題ないと言いたげに頷いた。
「シノブ、伯父上の言うことを聞いたほうがいいですよ。また、何か変なことをするかもしれません」
シャルロットが『竜の友』の連呼を思い出したのか、眉を顰めながらシノブに忠告する。
「そうですね……」
シノブは、あたりを見回しながら考え込んだ。そして、彼はテーブルの上に活けてあった花に目を留めた。それは、この国ではナルキサスと呼ばれている、水仙の一種を中心に纏めた切り花の束であった。
「……なら、こんなのはいかがでしょう」
シノブは、ガラスの花瓶に生けてあるナルキサスに目をやると、活性化の魔術を使った。彼が僅かに魔力を送り込むと、花瓶の中の花が心なしか元気よくなったように見えた。
どうやら花瓶の水には、花持ちが良い様に僅かながら糖分が混ぜてあるらしく、栄養は充分足りているようだ。シノブが安心して魔力をつぎ込むと、花瓶の中の花がより一層華やかに咲き誇る。
「おお……」
その光景を見た近くの者達が、嘆声を漏らす。
さらにシノブは、魔力の範囲を広間全体に広げた。彼の魔力が広がるにつれ、会場中の切り花や鉢植えの花が、美しさを増していく。シノブの魔力が浸透するにつれ、蕾は開き、満開の花はますます華麗に咲き乱れる。
色とりどりの花が元気よく花開き、それぞれの魅力を主張するように輝く様。それは、まさに百花繚乱とでもいうべき壮観さであった。
「綺麗……」
シノブのすぐ側にいた、ジョスラン侯爵の娘マルゲリットが溜息をついた。彼女だけではなく周りにいる各侯爵の令嬢達も、陶然として見惚れている。
「シノブ殿、凄いです! 私もあんな魔術が使えたらなぁ……」
「ディオン殿、私達では魔力が足りませんよ。それに、私達には影響させずに花だけを活性化するなんて、どんな風にすればできるのか……」
少女達とは違って、ディオンやセドリックなど少年達はシノブに憧れの視線を送っている。
そして暫しの驚きから醒めた大広間にいる人々は、この世のものとも思われぬ見事な様子を時を忘れうっとりと見つめていた。
「偉大なる国王アルフォンス七世陛下ならびに王族の皆様方のご入場!」
ちょうどその時、アルフールの間の大扉が開き、国王や王女セレスティーヌ達が室内へと入ってきた。
彼らは、室内の競うように咲く花々を見て、驚いたような表情を見せた。だが、シノブへと注目する人々を見て何かを察したようで、香気漂う大広間の中央に向かって優雅に歩み始めた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2014年11月10日17時の更新となります。




