07.06 王女殿下に祝福を 前編
大宮殿の光の間。そこは、謁見などが行われる王宮で最も格式が高い広間である。
正面の壇上には玉座が設置され、そこにはメリエンヌ王国の君主である国王アルフォンス七世が座している。彼の両脇には先王エクトル六世と王太子テオドール、そしてそれぞれの夫人達が、割り当てられた席に着いていた。
さらに王族の脇には、大神官テランス・ダンクールも控えている。彼は王女に祝福を与えるため、昨日から王都へと訪れていた。
壇から下った広間はというと、中央を大きく開けて左右に多くの貴族が整列していた。王族の分家である公爵、国政に携わる侯爵、各地方を治める伯爵を始め、官僚や軍人として王都に勤める子爵や男爵が、位階の順に並んでいる。
壇に向かって右手には公爵筆頭であるアシャール公爵に続き各伯爵が、左手にはオベール公爵とシュラール公爵に続いて六侯爵が整列していた。そして彼らの後ろには、それぞれの一族が数人ずつ控えている。
本来であれば、アシャール公爵の側に彼と七伯爵、オベール公爵の側に二人の公爵と六侯爵が並び、八人ずつの上級貴族が玉座の両脇に集うはずである。だがフライユ伯爵の謹慎により、伯爵家の側に一つ空きが生じていた。
シノブは伯爵家筆頭のベルレアン伯爵コルネーユのすぐ後ろに、シャルロットと並んで控えている。ベルレアン伯爵家はアシャール公爵家のすぐ隣に位置しているから、先日会ったアシャール公爵の嫡男アルベリク達の顔も見える。
そんな左右に居並ぶ貴顕達を眺めていたシノブは、玉座の反対側へと目をやった。
光の間は奥行き50mほどの大広間である。
遠くに見える広間の入り口である巨大な扉は、謁見の間に相応しく人の何倍もの高さがあった。その表面には王家の紋章である二頭の金獅子が支える盾が刻まれている。獅子が支える王冠を戴いた盾には、王家の象徴である白い百合が重なっている、君主に相応しい図案の紋章である。
そして扉に刻まれた王家の紋章は、室内の明かりで燦然と輝いていた。
光の間の高い天井も、ベルレアン伯爵の館にある迎賓用の大広間と同様に華麗な絵画が描かれたものであり、そこには明かりの魔道具を仕込んだシャンデリアが各所に配されている。その上、白い化粧漆喰が美しい左右の壁には大きな窓が設けられ、冬の優しい光が溢れんばかりに差し込んでいる。
それら数々の明かりに照らされた室内は、光の間の名に相応しく眩しさすら感じる輝きに包まれていた。
そんな煌びやかな光の間をシノブが眺めていると、下手のほうが僅かにざわめいた。
「偉大なる国王アルフォンス七世陛下のご息女、セレスティーヌ王女殿下の入場!」
式典の為に選び抜かれた衛兵の美声と共に、光の間の巨大な扉がゆっくりと開かれた。そして、白いドレスに身を包んだ王女セレスティーヌが、静々と入室してくる。
セレスティーヌは、精緻な幾何学模様を描く寄木細工の床に敷かれた、入り口から玉座まで続く真紅の絨毯の上を、優美な挙措でゆっくりと進んでいく。彼女が進むにつれて、繊細な作りのティアラや守り札でもある大きな宝石をつけたミスリルのブローチが、シャンデリアの光を反射して虹のような光を放つ。
今日のセレスティーヌは、成人式典という事もあり伝統的なデザインのドレスであった。
ドレスは純白の艶やかな布地で、袖が長く首下まで慎み深く覆っているものだ。どうもパニエを着けているらしくスカートはふんわりと広がっているが、レースなどの飾りは抑え目だ。おそらく、可愛らしさより清らかな美しさを強調しているのだろう。
むしろ純白の装いに彩りを添えるのは、彼女自身の豪奢な金髪であった。大粒の宝石をつけたティアラを戴いた美しい髪は、頭上の額冠と競うかのように光り輝いている。
玉座へと歩み寄る王女に対し、周囲の者は恭しく頭を下げる。そしてセレスティーヌは、両脇に整列した貴族達の間を楚々とした仕草で進み、ついに玉座の前に至ると国王の前に跪いた。
「王女セレスティーヌよ。聖地での清めを無事に終えたそなたは自立した王族となる。民のため、国のために尽くす覚悟はあるか?」
国王アルフォンス七世は、威厳に満ちた声で、王女に成人としての覚悟を問うた。
「はい。私、セレスティーヌ・ド・メリエンヌは、民のため、王国のためにその身を賭して尽くし、王族としての矜持をもって生きることを誓います」
セレスティーヌは跪いたままで、父の問いに凛とした声音で答えた。
この国の王族は、成人の前に聖地サン・ラシェーヌにてアムテリアに祈りを捧げる。本来、成人の儀式は、聖地での祈祷を果たすことだった。だが時代が下るにつれて、その後に行われる王宮での宣誓式が成人の儀式とされたようである。
「ならばよし。王女セレスティーヌを成人と認める」
国王の言葉を受けて隣に控えていた大神官ダンクールがセレスティーヌの前に進み出て、彼女のティアラを一旦外すと、高々と掲げた。
「セレスティーヌ殿の成人は、大神アムテリア様がお認めになった。セレスティーヌ殿、大神の教えを守り民の手本となるように」
大神官は、光の間に朗々と響き渡る声で祝福の言葉を唱え、セレスティーヌにティアラを再び着ける。
「大神官様のお言葉のままに」
セレスティーヌは恭しく頭を下げると静かに立ち上がり、居並ぶ貴族達へと向き直る。
「列席の者達よ。我が娘セレスティーヌは成人となった。以後も娘を支え導いてくれ」
国王アルフォンス七世の厳粛な言葉に、居並ぶ貴顕達はいずれも最敬礼をもって応えた。
◆ ◆ ◆ ◆
「さて、午餐会までは休憩だ」
ベルレアン伯爵コルネーユは、割り当てられた控えの間に戻ってくると、シノブやシャルロットに微笑みかけた。
「セレスティーヌ様達が戻られるまで、2時間くらいでしたか?」
シノブは、伯爵にこの後の予定を確認する。王女達が、記念パレードを行っている間、列席した貴族達は休憩となる。そしてパレードが終われば午餐会、つまり昼食を兼ねたパーティーが始まるのだ。
「そうだね。パレードは中央区だけのはずだから、そんなものだろう」
伯爵は、シノブの問いに頷いた。
パレードには国王を始め王族が参加する。今頃、王宮の騎士隊に守られて彼らが乗った馬車が王都へと進み出た頃だろうか、とシノブは窓の外を眺めながら考えに耽った。
「シノブ、セレスティーヌ様が気になるのですか?
マティアス殿やサディーユ殿達が警護しているから、大丈夫ですよ」
外を眺めるシノブに、シャルロットが問いかける。
彼女は、シノブが帝国の手先が現れないか案じていると察したのだろう。安心させるような笑顔を浮かべながら、婚約者の側に並んで外を見た。
ベルレアン伯爵家に割り当てられた控えの間は、大宮殿の二階にあった。だが、王女達が乗った馬車は既に王宮の外に出たのか、窓からは見えなかった。
「ああ。この前の聖地訪問より厳重に警護しているようだからね」
シノブは、シャルロットへと頷き返した。
王宮の騎士や兵士が大量に動員され、馬車の周囲を警護し順路に目を光らせている。王都に諜報員が残っていたとしても、手を出すことはできないだろう。
「まあ、ここは王宮の騎士達の顔を立てることだね。いくらなんでも、大勢の者が見守るパレードを王領軍以外の者が警護しているようでは、彼らも立つ瀬がないだろう」
伯爵もシノブの隣に立つと、彼の肩に手をやりながら冗談交じりに語りかけた。
「そうだよ! それより、帝国の間者について聞かせてほしいね、シノブ君!」
いきなり響いた声に振り向くと、そこにはアシャール公爵ベランジェ・ド・ルクレールの姿があった。
彼は、緑色の瞳を好奇心で輝かせながら、足早にシノブへと近づいてきた。
「義伯父上、従者も連れずに出歩いて良いのですか?」
シノブは、いきなり現れた彼に、思わず問いかけた。
「ここは私の実家だよ。気ままにしたって良いじゃないか」
アシャール公爵は、シノブへと気安げに笑いかけた。
国王の異母弟である彼は、アルフォンス七世と良く似た顔立ちをしている。だが、髭を蓄え威厳に満ちた国王とは違い、アシャール公爵の顔には親しみやすさが溢れていた。
彼は手入れが面倒で髭を生やさないらしい。だが仮に髭があったとしても、国王のような威厳は感じないだろう、とシノブは思った。
「ですが、伯父上……」
シャルロットも眉を顰める。おそらく彼女はシノブと同様に、身軽に出歩くアシャール公爵を心配したのだろう。
「固いなぁ……。シノブ君、シャルロットの成人式典の話を聞いたことはあるかね?」
「お、伯父上、その話は……」
アシャール公爵の言葉に、シャルロットは何故か慌てた様子をみせた。どうやら成人式典の話とは、彼女にとって非常に気まずいものらしい。
「シノブ君。我が姪は、成人式典に騎士鎧で現れたのだよ」
アシャール公爵は、シャルロットが成人式典に男装して現れたとシノブに教えた。王家の男子は、騎士姿で成人式典に臨むと、彼は説明を続ける。
「男同様に大神官殿に剣を渡して祝福を受ける我が姪の姿を、列席した女性陣は頬を染めて見守っていたよ。あれはシノブ君にも見せたかったなぁ……」
アシャール公爵は、その光景を思い出しているのか、遠い目をしている。そしてシノブの横でシャルロットは真っ赤な顔で俯き、ベルレアン伯爵とシメオンは笑いを堪えていた。
「しかも、そのまま騎士鎧でパレードに出たものだから、あんな王子様がいたのかと王都の民が噂したらしいね」
アシャール公爵は駄目押しと言わんばかりに、パレードの様子まで説明しだした。
「シャルロット。俺は、凛々しい君の姿も大好きだよ。別に照れなくても良いじゃないか」
シノブは、赤い顔をしたままのシャルロットに、優しく語りかけた。思えば、彼女に惹かれたのは領都での決闘からだったと、シノブは当時を振り返る。
そして彼は、伯父の言葉に恥らうシャルロットの肩を、優しく抱き寄せた。
「シノブ……」
優しい笑顔を見せるシノブを、シャルロットは恥ずかしげな顔のままで見上げる。羞恥のあまりか、彼女の青い瞳は涙で潤んでいた。
「これは参ったね。兄上の脅しに屈しなかったというのも納得だよ!
いや、コルネーユは本当に良い婿を見つけたものだね!」
どうやら、アシャール公爵は彼なりの思惑があってシャルロットをからかっていたようだ。彼は、二人の仲睦まじい様子を見て、降参したというように肩を竦めてみせる。
ベルレアン伯爵コルネーユを始め、その場にいた一同は、彼の様子に思わず笑いを零した。そして、シノブと寄り添ったシャルロットも、その様子を見ていつしか笑顔となっていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2014年11月8日17時の更新となります。