07.04 式典へ 前編
「シノブ様、タイが曲がってますよ。今直します……いえ、頭を下げてください」
着替えてきたシノブを見るなり、アミィは不満げな顔をした。
アミィは身長140cmくらいだから、シノブの肩よりも背が低い。そのため彼が立ったままでは結び直すことが難しいのだろう。
一旦爪先立ちをしたアミィだが諦めたようで、シノブに体を低くするようにと言い直した。
今日のシノブは貴族の礼装である。領都セリュジエールの服飾店ラサーニュで誂えた洗練された衣装で、胸には複雑な結び方のタイがアクセントとして配されていた。
しかしアミィが言うように、彼のタイは若干曲がっていた。どうやら結び方自体が間違っているようだ。
「そうかな。これでも問題ないと思うけど」
シノブは自身の胸元を見ながら、アミィに返事をする。シャツと同じく白いタイは、彼としては上手く結べたつもりであった。
「ダメです、せっかくのお姿が台無しです! 私が結び直します!」
アミィは可愛らしい頬を膨らませながら、シノブを見上げる。
小柄な、それも可憐な侍女服を着たアミィが怒ってみせても愛らしさが増すだけである。しかし彼女はよほど気に入らないらしく、シノブに不満そうな視線を向けると再び声を張り上げた。
「わかったよ。それじゃ、お願い」
シノブは言われた通りに頭を下げ、アミィと目線を合わせた。するとアミィは、一旦タイを解くと左右の長さを調整し、手早く結び直していく。
「はい、できました。これで大丈夫ですよ」
「ありがとう。アミィは何でも上手だね」
アミィは表情を緩ませると、シノブの胸元をポンと軽く叩いた。その仕草に微笑ましさを感じながら、シノブは礼の言葉を口にする。
なんだかネクタイを奥さんに結んでもらう夫のようだ。そんなことを思いながら、シノブは頼りになる導き手の頭を撫でた。
「いえ、お役に立てて嬉しいです!」
「アミィ様は本当に何でもお出来になるのですね。私も奥様や旦那様のお世話をするために色々学びましたが、この国のタイの結び方は複雑なので苦労したのです」
アミィは薄紫色の瞳に喜びの色を浮かべながら、にっこりと微笑む。すると後ろでソニアが感嘆の滲む声音で呟いた。他の侍女や従者と同じく、ソニアはアミィの後ろに控えていたのだ。
伯爵家の別邸のシノブに割り当てられた居室には、彼の側仕え達が勢ぞろいしている。
「そうですね。私も父が伯爵様に招かれるときなど結んであげましたが、あれは面倒でした。レナンを練習台にして何度も特訓しましたよ」
「姉さんに何度も首を絞められそうになりました……」
リゼットが実感の篭もった声で隣のソニアに同意をした。すると従者の少年レナン、リゼットの弟は過去の記憶が甦ったのか、げんなりした様子で続いた。
「ラサーニュさんのところで見て覚えたんですよ」
アミィは、彼らに振り向いて説明する。彼女は、賞賛の声に照れたのか、若干頬を染めているが、その狐耳はピンと立ちあがり、尻尾は嬉しげに揺れていた。
「一度見ただけで覚えたのですか。凄いです……」
ソニアはアミィの言葉に絶句した。彼女の猫のような金色の瞳には、驚きの色が表れている。
「まあ、アミィは何でも完璧にこなすからね」
シノブは、彼が地球で持っていたスマホの機能を継承したアミィなら、店員がタイを結ぶ様子など一度見れば簡単に覚えられるだろう、と思った。彼女は、録画や録音なども含むスマホの機能を、こちらの魔術に近い形で再現しているらしい。
「父やイヴァールさんからも聞きましたが、さすがは『竜の友』の右腕、ということですね」
幸い、リゼットやレナンはボドワンやイヴァールからアミィの逸話を聞いていたらしい。彼らは、シノブの言葉に素直に感心していた。
「俺の言った通りだろう。アミィを年齢どおりだと思ってはいかんぞ!」
そしてイヴァールも、彼らに陽気に笑いかけた。どうやら彼は、第一の従者であるアミィに敬意を払うようにと、色々教えていたようだ。
「イヴァール、リゼット達をよろしく頼むよ」
シノブは、笑顔を見せる彼に、後のことを頼んだ。彼は、これから王女の成人式典に出席するのだ。
子爵である彼は、当然成人式典への出席を許されていたが、従者を全員連れて行くわけにはいかない。彼に随伴できるのは、アミィだけである。そこで、残ったリゼット達は、イヴァールに任せることにしていた。
「おお、任せておけ。記念パレードでも、見物しに行くつもりだ」
イヴァールは、彼らの護衛をするようである。流石に慶事に沸く街を武装して歩くわけにはいかないので、ごく一般的な服を身に着けただけだが、彼なら素手だけで大抵のものを倒せるだろう。
シノブも信頼をこめてイヴァールに頷き返した。
「シノブ、準備ができました」
シノブの姿を眺める一同の下にシャルロットが訪れ、自身の婚約者に声をかけた。
「ああ、こっちも準備が終わったよ。じゃあ、出かけようか」
シノブとアミィは彼女の下に歩み寄り、別邸の廊下へと進み出た。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ、中々の男振りだね。礼装も綺麗に着付けているじゃないか」
ベルレアン伯爵は、シノブの服装を見て目を綻ばせた。
彼らは馬車で王宮へと向かっている最中だ。伯爵家から王女の成人式典に出席するのは、ベルレアン伯爵コルネーユ自身に継嗣シャルロット、彼女の婚約者でブロイーヌ子爵のシノブ、ビューレル子爵の嫡男シメオンである。
この四人に加え、それぞれの従者として伯爵家の家令ジェルヴェ、アミィ、アリエル、ミレーユが随伴していた。
「義父上、ありがとうございます。ですが、タイはアミィに結び直してもらいました」
「それは仕方ありませんね。貴族の子弟でも、自分で上手に結べるものは意外に少ないのですよ」
シノブが苦笑しながら伯爵に答えると、シメオンが柔らかく微笑みつつ会話に加わる。
やはり貴族でも不器用な者は一定数いるらしい。特に武辺を標榜する者だと、礼装の着こなしより騎士鎧の迅速な着脱に重きを置くそうだ。
「そうか。貴族なら誰でも簡単に結べるのかと思ったよ。……ところでシャルロット、今日は大人しめなドレスなんだね。やっぱり、セレスティーヌ様が主役だから?」
シノブは胸元のタイを摘み上げたが、すべきことがあると思い出した。
せっかく婚約者が綺麗なドレスを着ているのに、話題にしないのは失礼だろう。そう考えたシノブは褒め言葉を紡ごうとするが、意外にもシンプルな装いに少しばかり戸惑う。
「ええ、それもあります」
どういわけだか、シャルロットは微かに頬を染めた。
領都セリュジエールの祝宴で着ていたワインレッドのドレスのような、左右にふわりと広がった衣装。今日シャルロットが選んだのは、少し砕けたパーティードレスと呼ぶべき品である。だが祝宴とは異なり派手さを抑えた深い青で、どちらかといえば目立たない側に入るだろう。
今日は12月5日であり、寒さも増してきた。したがってシャルロットのドレスも夏場だった祝宴とは異なり、袖は長く首下も覆った露出が少ないものだ。そのため彼女の衣装からは、清楚ではあるが落ち着いた印象を受ける。
それにシャルロットはアクセントとして、シノブがセランネ村で贈ったネックレスと王都を散策したときに買ったイヤリングを着けているが、それ以外は特に装身具らしきものはない。
シノブは彼女の均整の取れた姿態なら飾りなど無くても充分に美しいとは思ったが、その選択を訝しんでいた。
「シノブ様、既婚者や婚約済みの方は、こういった席では落ち着いた服を選ぶものです。パートナーがいるという意思表示になりますので。
逆に、お相手が決まっていない方は着飾ります。式典後の会食や舞踏会では、麗々しく装った御令嬢に注意したほうが良いですよ」
アリエルは、その琥珀色の瞳を悪戯っぽく輝かせながら、シノブに忠告した。
「そうですね~。私達みたいに従者として出席している人は別ですけど、未婚の御令嬢からすれば相手を探す場ですから。
でも、シノブ様の場合、軍服を着た従者でも危ないかもしれませんね。シヴリーヌさんとか」
彼女やアリエルは従者ということもあり、普段の軍服である。そして、王女を警護する白百合騎士隊のシヴリーヌ達も、当然軍装で臨むだろう。
「ありがとう。気をつけるよ」
シノブは、二人の忠告に感謝した。彼もジェルヴェの教育で、だいぶ貴族社会について詳しくなったつもりだった。しかし実践を伴わない知識だけに理解が追いついていない部分も多いと、改めて気を引き締める。
「シノブ様にはシャルロット様とアミィさんが側で目を光らせているから大丈夫ですよ。
……ところで、どうして私がシメオン殿の従者なんですか? 貴女のほうが似合ってますよ! 今からでも遅くないから交代しましょう!」
ミレーユは、シノブを安心させるように笑いかけると、同僚のアリエルへと振り向き、文句を言った。
彼女は、冷静なシメオンには落ち着いたアリエルのほうが似合いだと思ったらしい。
「シャルロット様とシノブ様をお助けするのは、私のように経験豊かな副官のほうが適任だからです。貴女はシメオン殿の側で、大人しくしていなさい」
アリエルは、すまし顔でミレーユへと言い返した。彼女はシャルロットの下を離れたくないのか、交代する気はないようだ。
素っ気ない返答に、ミレーユは不満顔となる。しかし彼女は上手い切り返しを思いつかないのか、悔しそうにアリエルを睨むだけだ。
「ミレーユ殿のお守りをするのは大変ですが、これもシャルロット様とシノブ殿の為です。私もなんとか耐えて見せましょう」
ミレーユの様子を面白く感じたのか、シメオンまで彼女をからかいだした。
「そういうところが女性から嫌われるんですよ! 最近少しは良くなってきたと思ったのに、どうしてシメオン殿はそういうことを言うんですか!」
シノブはミレーユの叫びを聞きながら、彼女とシメオンは案外似合いかもしれない、と感じていた。
それに、シメオンの皮肉は彼独特のユーモアだとシノブは知っていた。もしかすると、シメオンはミレーユを好ましく思っているのではないかと、彼は思ったのだ。
普段冷静なシメオンだが、女子をからかう小学生男子のような行動をしているのだろうか。シノブは、自身の奇妙な想像が、意外に真実を突いているのでないかと思い、静かに微笑んだ。
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次回は、2014年11月4日17時の更新となります。