06.32 メリエンヌに火花散る 中編
フライユ伯爵の次男アドリアン・ド・シェロンと、シノブは練兵場の中央へと歩み出る。
先ほどまで模擬戦を行っていたシノブは既に胸甲を着けているが、アドリアンは軍服のままである。そこでアドリアンは、従卒達が持ってきた胸甲から一つを選び出し、その身に着けた。
そして二人は武器を取る。いつものようにシノブは小剣と同じ大きさの模擬剣を片手に持ち、盾は持っていない。
一方、アドリアンは大剣のように巨大な模擬剣を手に取った。どうやらアドリアンはシノブと同じく剣のみで戦うようだが、どちらかといえば攻撃力を重視した剣技を使うとみえる。
彼はシノブと同じく身長180cm少々であるが、それほど筋肉が多いようには感じられない。そのためシノブは、アドリアンの選択を少々意外に感じていた。
──アミィ、アドリアンをセレスティーヌ様達から引き離すのには成功したけど、用心してね──
シノブは決闘の場に歩きながら、アミィに心の声で注意を促した。
アドリアンの唐突な決闘の申し込みをシノブが承諾したのは、どこか落ち着きがなく感情に任せた発言をする彼を警戒したためである。
それにアドリアンは、魔道具を隠し持っているようだ。だからシノブは、アドリアンが暴発し王女やその友人達に無礼を働く前に彼女達から遠ざけるつもりで、模擬戦へと誘導したのだ。
──はい。シャルロット様達にもお伝えします──
アミィも彼の言動を不審に思っていたらしく、シノブに緊張した思念を返した。
「シノブ様、アドリアン殿。私が立会人ということで良いですか?」
金獅子騎士隊の隊長マティアス・ド・フォルジェが、二人に確認する。
「ええ、お願いします」
シノブは、マティアスに頷いてみせる。
ここにいる騎士の中では、彼が最上位者であり腕も立つ。彼が立会人を務めるのが妥当だろう。
「それでは、念のため、お二人の装備を検めさせていただきます」
マティアスは、形式通り、決闘をする二人の装備の確認を行うと宣言した。
決闘を行う場合、魔道具を持ち込まないように武器や防具、服に至るまで事前に確認する。多くの場合は、確認の手間を省くために、立会人が用意した服や装備を着けて戦うらしい。
通常、この国の決闘は攻撃魔術や魔道具を使わずに行う。命を奪うことを避けるため、武器は刃を潰した模造のもので、頭部に攻撃を当てることは禁止されている。
もちろん、模擬剣でも当たれば骨折し、刺突すれば相手の体を貫く。
しかし治癒魔術が存在するため、ある程度の怪我は織り込み済みのようだ。心臓や肺などへの攻撃を避けるため胸甲を身に着け致命傷を避けるだけで戦えるのは、魔術のある世界故といえよう。
とはいえ、それは通常の攻撃のみの場合である。魔術や魔道具での攻撃を受ければ、こんな装備だけでは防ぐことはできない。
「それでは、アドリアン殿から……」
マティアスは装備を改めようと二人に近づいた。彼は、先刻まで模擬戦を行っていたシノブの装備を確認するのは後回しにしたようだ。
そもそも、シノブの装備は模擬戦の前に従卒達が用意したものだ。だから彼は、アドリアンの後で形式的に検めるつもりなのだろう。
「マティアス、無礼である! 伯爵家の子息である私が、不正を行うはずはないだろう!」
アドリアンは、近づいてくるマティアスに大剣を向けた。
「装備の検めは、決闘を行う際のしきたりですぞ!」
マティアスは、いきなりの行動に驚いたようだが、アドリアンを厳しく非難した。
「アドリアン殿の言う通りで構いません」
シノブは、アドリアンが魔道具を身につけていることを、魔力感知で察していた。
彼は、アドリアンが魔道具の使用を誤魔化すために身体検査を避けたのだと思っていた。だが、下手に逆らって暴れられては困ると思い、アドリアンの言葉を受け入れたのだ。
「ですが……」
「マティアス殿。私の検査をお願いします」
不満げなマティアスに、シノブは自分を検査するように促した。
「マティアス殿。今はセレスティーヌ様達からアドリアンを引き離したほうが良いでしょう。私のことより、警護をよろしくお願いします」
自分の装備を検査するマティアスに対し、シノブは彼にしか聞こえないように小声で囁いた。
マティアスは一瞬目を見開くが、彼もアドリアンの行動を不審に思っていたらしく、大きく頷き返す。
「……シノブ様の装備に問題ありません。
それでは、決闘を開始します。シノブ様、アドリアン殿。中央にお進みください」
マティアスの声に、二人は練兵場の中央へ、ゆっくりと歩んでいった。
◆ ◆ ◆ ◆
「準備はよろしいか? ……始め!」
マティアスの声に、二人は大きく飛び退り、距離を取る。
シノブと同様に、アドリアンも身体強化を使ったようで、一飛びで二人は5mほど後方に下がった。
「竜退治の勇者がどれほどのものか、見せてもらうぞ!」
アドリアンはそう叫ぶと、刃渡り1m以上の大剣を振りかぶり、シノブへと一足飛びに迫った。
「きゃあ!」
王女か、その友人達の誰かの声か。
上段から振り下ろす一撃を視認できたのだろう、一人の少女の声が練兵場に響いた。
アドリアンの突進は高度な身体強化によるものらしく、20m近い距離を一瞬で詰めていた。だから、シャルロット達騎士やアミィを別にしたら、ある程度の素養がなければ何が起こったかもわからないだろう。
そんな叫びをよそに、アドリアンは決闘のルールを無視し、シノブの脳天めがけて大剣を雷のような勢いで振り下ろしていた。
「さすがに、防いだか! だが、耐え切れるか!?」
アドリアンが両手で振り下ろす大剣を、シノブは右手に握る小剣で迎え撃っていた。
落雷のような轟音と共に火花を散らして衝突した二本の剣は、シノブの頭上で止まっている。アドリアンは大剣を押し込もうとするが、シノブは片手だけでそれを支え続けていた。
「ウォォ!」
アドリアンが獣のような咆哮を発すると、彼の体が一回り膨れ上がった。外見だけではなく筋力も上昇したようで、シノブの小剣が押され始める。
「シノブ様!」
王女セレスティーヌの悲鳴が響き渡ったその瞬間、シノブは体を開いてアドリアンの大剣を逸らした。勢い余ったアドリアンは、鈍い音と共に大剣を地面に打ち当て、体勢を崩す。
──アミィ、念のために魔力障壁を張って! やっぱり何かおかしい!──
シノブは、アドリアンから一旦距離を取り、アミィへと心の声で指示する。
アドリアンの魔力は、いまや膨大な量に膨れ上がっていた。シノブが今まで出会った中では、ベルレアン伯爵やアリエル達の魔力量が最も多かった。だがアドリアンは、彼らとは桁違いの巨大な魔力を発していた。
──はい! 皆さんを包む障壁を張りました!
岩竜のときほどではないですが、大抵の攻撃は防げます!──
シノブの指示を受け、アミィは魔力障壁を張ったようだ。彼は、観戦席のほうにアミィの魔力が展開されるのを感じ取った。
「アドリアン殿。貴方は一体……」
シノブは、アドリアンを見つめ、思わず呟いた。
色白の美男子といってもいい外見のアドリアンであったが、彼の皮膚は赤黒く染まり、その目は血走っている。もはや理性を失っているのか、彼の半開きの口からは唸り声が出るのみであった。
「ウゥゥゥ……グガァッ!」
再び獣のように叫ぶと、アドリアンが刹那のうちにシノブに接近してくる。
彼は暴風のように大剣を振り回し、荒々しい攻撃を繰り出した。一回り太くなった彼の腕は、常人の見て取ることの出来ない剣速で、シノブの胴を薙ごうとし、頭を打ち割ろうとする。
アドリアンの尋常ならぬ様子に、その身に着けた魔道具が暴走しているのだろうと、シノブは推測していた。手負いの獣のような狂乱ぶりは、本来彼が意図していた行動だとはシノブには思えなかったのだ。
そこでシノブは、アドリアンの攻撃を受けつつ隙を探る。あるときは小剣を痛めないように巧妙に流し、あるときは太さのある鍔元近くで受け。怒り狂う敵手の疾風のような剣撃を、シノブは技巧を凝らして凌いでいった。
「ガァァッ!」
アドリアンが地も砕けよと上段から打ち下ろす大剣は、シノブの小剣に流され僅かに軌道を変えて彼の右下に逸れる。超人的な筋力で切り返しアドリアンはシノブの足を切り払いに来るが、そこには彼の姿はない。
焦って追いかけるアドリアンが鉄をも貫く勢いで放った突きは、シノブの体捌きで躱される。そこから彼は強引に横薙ぎに移るが、これもシノブの小剣に鍔元を押さえられ威力を発揮できなかった。
「グォォォガァァァッ!!」
相手に翻弄されるばかりのアドリアンは、怒りを更に増したようだ。彼は一際大きな声で吼え狂った。
アドリアンは膨れ上がる魔力で、さらに身体を強化しているようだ。限界が無いかのように速度と威力を上げ、シノブへと斬撃を繰り返していく。
どうやらアドリアンは、知性が低下した代わりに野獣のような超感覚に目覚めたらしい。彼は、正統な剣技だけではなく動物のような突拍子もない動きも交え、シノブの隙を狙う。
(一体、どこまで魔力が増えるんだ……そもそも、魔力がいきなり増加するなんて、どんな魔道具だ?)
シノブは威力を増していくアドリアンの大剣を防ぎながら、怒涛のように繰りだされる彼の連撃が途切れるのを待っていた。
魔力の増加と共に、アドリアンの剣撃はさらに速さと重さを増している。この世界に来た直後のシノブであれば、とっくに打ち倒されていただろう。
(アミィやシャルロット達との訓練が役に立っているね。それに、イヴァールのお陰で重い一撃も上手く流せるようになったし)
シノブは、アドリアンの骨に響くような重たい打ち下ろしを防ぎながら、仲間との訓練を続けた成果を感じていた。
アミィの魔力操作、シャルロット達の華麗な剣技、イヴァールの重量感あふれる攻撃への対応。シノブが今まで学び、接してきた武術は、いつの間にか彼の中で独自の技を作り上げていた。
そして、その技は膨大なシノブの魔力を効率よく活かすことができる、シノブ流魔法剣術とでも言うべきものに育っていたのだ。
もはやアドリアンは激しい殺意を隠すことなく、シノブに襲い掛かってくる。シノブの卓越した技術と身体能力だから、なんとか凌げているが、常人なら一撃で地に伏すことだろう。
既に戦いは決闘の形式を逸脱し、死闘と言うべき様相を呈していた。だがシノブは、なんとかアドリアンを抑え、彼を殺さぬまま捕らえたかった。シノブは、彼が魔道具の暴走に引きずられていると思ったのだ。
だからシノブは、今はアドリアンの暴虐ともいえる攻撃に耐え続けた。彼は、その技を十全に発揮して颶風のように襲いかかる大剣を防ぎながら、反撃の機会が訪れるのを待っていた。
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