06.31 メリエンヌに火花散る 前編
「はぁ……参りました……三人がかりでも相手にならないとは……」
シノブに剣を突きつけられたマティアスが、溜息を漏らす。
サディーユとシヴリーヌの模擬剣を弾き飛ばしたシノブは、マティアスの側面から己の模擬剣を突きつけていた。
王宮脇の練兵場で行われた、シノブとマティアス・ド・フォルジェの模擬戦。大方の予想通り、模擬戦はシノブの勝ちであっさりと終わってしまった。
そこで、今度は白百合騎士隊のサディーユ・ド・テリエとシヴリーヌ・ド・モンディアルを交え、一対三で戦ったが、これもシノブが危なげなく勝利したのだ。
「シノブ様、また指導していただけますか!? シャルロット様達も、シノブ様の指導で腕を上げたと聞いています!」
白百合騎士隊のシヴリーヌは、シノブに熱心に頼み込む。
彼女の隣では隊長のサディーユが苦笑している。しかしシヴリーヌは、そんなことには構わずシノブへと詰め寄っていた。
「ええ、王都にいる間は構いませんよ。伯爵家の別邸でも毎日訓練をしていますし」
シノブは、碧の瞳を輝かせて見つめるシヴリーヌに、柔らかな笑みを見せた。
「ありがとうございます! シノブ様の教えを受ければ、もっと強くなれそうです!」
普段から武術のことばかり考えているのか凛とした表情のシヴリーヌだが、シノブの前では年相応の笑顔を見せる。どうも武術の師として気に入られてしまったようだ、とシノブは内心苦笑した。
ただし更なる上をという純粋で強い意思には、シノブも素直に好感を抱いた。そのため和気藹々と話をしながら、観戦席で待つ王女達のところに戻っていく。
「凄いですわ! マティアス様達は、王宮でも屈指の達人ですのに!」
観客席から一番に声を掛けたのは、軍務卿エチエンヌ侯爵の娘イポリートだ。彼女は頬を紅潮させ、感嘆の声を響かせる。
「剣を流して腕が伸びきったところに一撃なんて……本当に素晴らしいですわ!」
代々軍務卿を務める家柄だけあって、イポリートは武術にも詳しいらしい。それに彼女は、自身もシャルロットを目標に鍛錬していると語っていた。
それにイポリートは日々鍛錬を重ねているそうで、シノブの攻防の意図も理解していた。
「お目に適ったようで、光栄です」
シノブは、王女セレスティーヌやその側に立つイポリート達に一礼する。彼に続き、マティアス達も主君の娘に恭しく頭を下げた。
シノブ達は、昨日聖地サン・ラシェーヌから戻っていた。
そして彼は帰って早々、マティアスやシヴリーヌの願いを叶えるために模擬戦を行うこととなった。結局、聖地への往復では何も起きなかったので、彼らの熱望する模擬戦を早速実施したのだ。
王族を警護する金獅子騎士隊の隊長マティアスや、白百合騎士隊でも腕利きのサディーユとシヴリーヌの戦いが観戦できるとあって、王女やその友人達も練兵場へと訪れていた。
もちろん、彼女達の周囲は白百合騎士隊が厳重に警護し、シャルロットやアリエル、ミレーユもそこに加わっている。
「シノブ様! お疲れ様でした!」
練兵場の中央から、観戦席へと戻ってきたシノブに、アミィがタオルを渡す。
「ありがとう。どうやら、相手にダメージを与えず勝てたようだね」
シノブは、彼女に労いの言葉を掛け優しく頭を撫でると、ホッと一息ついた。
彼は、以前シャルロットとの決闘で、彼女に治癒魔術が必要な打撲や捻挫をさせてしまったことを、後悔していた。
当時のシノブは、まだ身体強化や魔術を充分に活用できていなかった。そのためシノブは、力押しの一撃でシャルロットの模擬剣を打ち払ってしまい彼女に不要なダメージを与えた、と思っていた。
だが、決闘から二ヶ月以上経ち、シノブの技術も随分向上したようだ。アミィ達と模擬戦を繰り返した成果が実り、彼は自身の力をほぼ完全に使いこなすことが出来るようになっていた。
マティアス達自身やイポリートの強い要望で一対三の戦いをすることになったシノブだが、訓練の成果を確認できた事だけは良かったと、この数ヶ月を振り返っていた。
「シノブ様もマティアス達も、怪我が無くて良かったですわ」
セレスティーヌは、シノブや騎士達を案じていたようで、彼らが何事もなく引き上げてくると、安堵の表情を見せる。
「はい、皆様の戦いは素晴らしいものでしたが、見ていてドキドキしました」
大人しそうなマルゲリットも、王女の言葉に頷いた。
王女の友人の中では一番年齢が高い彼女は、イポリートの願いでシノブや王宮の精鋭が怪我をしないかと、心配していたようだ。農務卿ジョスラン侯爵の娘ということもあり、争い事は苦手なのかもしれない。
「でもお姉さま、シノブ様もマティアス様達も、凄かったですよ。私もあんな風に動けないかな……」
マルゲリットの妹ジネットは、戦い自体より、彼らの電光石火の動きに魅せられたらしい。青い瞳をキラキラさせながら、隣の姉に憧れ混じりの言葉を漏らす。
「そうですね! シノブ様達みたいに、風のように速く動きたいです!」
一同の中では一番幼いリュシーリアが、シノブへと興奮したように語り掛ける。まだ10歳で、しかも人見知りしない性格らしく、彼女はシノブの側に駆け寄り無邪気な顔で見上げている。
「貴女には無理よ! どれだけ身体強化をすれば、あんな事ができるのかしら!?」
リュシーリアの姉オディルは、妹を落ち着かせようと彼女の肩に手を掛ける。だが、オディルもシノブの戦闘能力には興味があるようだ。妹を窘めながらも、結局、同様にシノブを見つめている。
「シノブ様の身体強化は、エクトル一世陛下や、アルフォンス一世陛下のような、伝説の英雄の域だと思います。私達が真似をしても体を壊すだけでしょう」
歴史に詳しいらしいテルミート侯爵の娘ヴェロニクが、二人に宥めるような口調で語りかける。
大神官によれば、アルフォンス一世は聖人の血を引くという。それにエクトル一世は神託を授かった建国王だ。シノブは、彼らなら強い加護を授かっていても不思議ではない、と内心頷いた。
「王宮の騎士達も落ちたものだな! 三対一で、負けてどうする!」
シノブやマティアス達、そして彼らを囲む王女や令嬢達の和やかな空気を切り裂くように、練兵場に若い男の嘲るような声が響いた。
シノブ達は、思わず声がした観戦席の入り口へと振り返る。そこには、高位の貴族らしい一人の若者が立っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「アドリアン様、なんてことを言うのです!
マティアス様達は、すばらしい戦いぶりでした! ただ『竜の友』シノブ様が強すぎるだけですわ!」
憤然とした様子で、イポリートが男に反論する。
イポリートは武術に造詣が深いらしく、マティアス達の善戦を良く理解していたようだ。それだけに戦いを汚す男の発言が許せなかったのだろう、彼女は赤毛を振り乱して鋭い目つきで睨みつける。
「はっ! エチエンヌ侯爵家は、随分甘い教育をされているようだ!
軍人は結果が全て。そんな事もわからないようでは、王領軍を指揮する軍務卿の名が泣くと言うもの!」
ふらりと観戦席に入ってきた男アドリアンは、イポリートを嘲笑う。
彼は栗色の髪に琥珀色の瞳をした色白の貴公子であった。だが、その顔にはイポリートを馬鹿にするような軽薄そうな笑いを浮かべている。
「シャルロット、彼はもしかして、フライユ伯爵の?」
軍装の男は、シノブやシャルロットと同じ、白地に金の縁取りのマントを身に着けていた。シノブは、彼がフライユ伯爵の次男アドリアン・ド・シェロンではないかと思い、シャルロットへと尋ねる。
「はい、アドリアン・ド・シェロンです」
シャルロットは、突然乱入してきたアドリアンに眉を顰めながら、シノブへと頷いた。
「アドリアン殿! 私の騎士達を馬鹿にするのは許しません! 謝りなさい!」
いつも明るく優しげなセレスティーヌも、怒りのあまりかその白い肌に血を上らせ、アドリアンを叱り付ける。彼女は友人達の中から一歩進み出て、マティアス達へ謝罪するようにとアドリアンに言った。
「王女殿下。事実を指摘して何が悪いのです?」
アドリアンは、王女の前だというのに薄ら笑いをやめようとしない。そして、彼は王女の言葉を無視するように、その歩みを止めずに彼女達に近づいていく。
王女を警護する白百合騎士隊の面々は、彼の無礼な態度を正そうと詰め寄る。だが、セレスティーヌはそんな騎士達を手で制した。
「アドリアン殿。貴方はシノブ様に勝てるのですか?
いえ、貴方の実力ではマティアス達にも勝てないでしょう。彼らの腕を貶す前に、自分の腕を磨いたほうが良いのでは?」
セレスティーヌは、鋭い口調でアドリアンに語りかけた。
彼は以前シャルロットと決闘したが、全く相手にならず惨敗したという。そのことを知っているから、王女も彼の大言壮語に憤ったのだろう。
シノブが見るところ、サディーユやシヴリーヌの腕前は、領都で決闘したときのシャルロットを超えているようだ。そしてマティアスは彼女達よりも一段上である。
それ故シノブも、シャルロット達から聞いているアドリアンの腕前では、マティアス達に勝てないだろうと思っていた。しかし不遜な冷笑を浮かべる青年には、そんな想像を覆す何かがあるようだ。
──アミィ、アドリアンの魔力だけど、おかしくないか? それに、彼は強化の魔道具を使っているようだけど──
アドリアンの様子を不審に思った彼は、アミィへと心の声で問いかけていた。
彼は、アドリアンの魔力が常人のものとは思えないほど大きく膨れ上がっているのを察知していた。そしてシノブは自身の感知能力で、アドリアンが幾つかの魔道具を身につけていることを看破していた。
──はい、普通の人の何倍もの魔力があるようです。それに、なんだか不安定な気がします──
アミィもシノブと同じ考えのようだ。彼女は、戦闘時に見せる鋭い顔でシノブに頷いた。
「王女殿下。貴女は、そこのシノブとかいう男と結婚するのですか?」
セレスティーヌの目の前まで来たアドリアンは、シノブのほうに僅かに視線をやった後、彼女に問いかける。彼は、一応『王女殿下』とは呼んでいるが、その言葉からは王族への敬意は全く感じられない。
「そ、それは……アドリアン殿には関係ありません!」
突然の言葉に驚いたようで、セレスティーヌは一瞬口ごもる。しかし彼女は、再び厳しい表情でアドリアンを睨みつけた。
「ふうむ。やはり女公爵への道を歩まれるのですか……」
実は、国王アルフォンス七世がシノブに王女を娶らせようとした事は、王宮中に広まっていた。
侍従達もその場にいたので、彼らから噂が広まったらしい。あくまでも王の試しであった、という建前だが、それを信じている者は少ないようだ。
「それは、お父様が決めることですわ!」
セレスティーヌは、思わぬ方向に話が進んだせいか顔を赤く染めていた。
「では、私がシノブとやらに勝てば、貴女の婿となれるわけですね?」
アドリアンは、奇妙なことを言い出した。
彼の突飛な発言に、一同は顔を顰める。
「アドリアン殿、何を馬鹿なことを!」
マティアスが、あまりの暴言に耐えかねたように、怒声を上げた。
「黙れ下郎! 私は王女殿下と話しているのだ!
……竜を倒した男が王女の婿になれるなら、その男を倒した男は? 当然王女の婿に相応しいはずだ! そうだろう!」
アドリアンはマティアスを怒鳴りつけると、激昂した様子で早口に捲し立てる。
「アドリアン殿、貴方は私と勝負したいのですか? でしたら口先ではなく、腕前を見せるべきでしょう」
シノブは、アドリアンへと近づきながら、静かに語りかける。
彼は、アドリアンの様子がどこかおかしいと思い始めていた。このまま情緒不安定な彼を王女の側に置いておくよりは、自身との勝負を口実に引き離したい、そう思ったのだ。
「そうだとも! さすがは『竜の友』を自称するだけはあるな!
私、アドリアンは、お前に決闘を申し込む! まさか逃げたりしないだろうな!?」
アドリアンはシノブを指差すと、大声で言い放った。
「逃げませんよ。ちょうどここは練兵場です。決闘にこれほど向いている場所もない。……さあ、どうぞ」
シノブは彼に深く頷くと、練兵場へと誘った。
お読みいただき、ありがとうございます。
本作の設定資料に登場人物のイメージ第四弾を追加しました。
画像は「ちびメーカー」で組み合わせ可能な素材で作成しているため、本編とは異なります。なるべく作者のイメージに近づけてはいますが「だいたいこんな感じ」とお考え下さい。
読者様の登場人物に対する印象が損なわれる可能性もありますので、閲覧時はその点ご留意ください。
設定資料はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。
なお「ちびメーカー」についてはMie様の小説「そだ☆シス」にて知りました。
ご存知の方も多いかと思いますが「そだ☆シス」は「小説家になろう」にて連載中です。
楽しいツールを知るきっかけを与えてくれ、二番煎じを快く許可してくださったMie様に感謝の意を捧げます。(2014/10/25)