06.30 聖人の秘密 後編
シノブ、アミィ、シャルロットの三人は、大神官ダンクールの話を聞くため、彼の居室を訪問していた。
ダンクールは、シノブとアミィを見るなり二人の加護の強さが聖人に匹敵するものだと言い、彼らを丁重に扱った。
大神官の言葉を聞いたシャルロットは、シノブが聖人のようにいつか離れていくと思い動揺したようだ。だが、ずっと一緒にいるというシノブの言葉に、彼女は落ち着きを取り戻していた。
「大神官殿。シノブ様は、聖人の残した遺物や古文書を見たいとお考えです」
シャルロットの憂いが晴れたのを見て、アミィは、単刀直入に大神官ダンクールに要件を切り出した。
当初の厳しい表情や口調ではないが、加護について察しているダンクールには、眷属として接するつもりになったのか、彼女は凛とした様子で話しかける。
「はい、それでは後ほど祈祷所に御案内いたします」
大神官は、アミィの強引とも思える要求を断るつもりはないらしい。彼は、アミィに恭しく頭を下げた。
「祈祷所とは、王女殿下が祈りを捧げる場所ですか?」
シノブは、明日、王女セレスティーヌが一日祈祷所に籠り、祈念の儀式を行うのを思い出した。
「その通りです。実は、祈祷所こそが大聖堂の中心なのです。
なぜなら、あの場所が初代国王エクトル一世が御神託を受けた場所。そして代々の大神官が、大神アムテリア様の御神託を授かる場所なのです」
シノブの言葉に、ダンクールは厳粛な面持ちで答える。
「もしや、私達の加護を知ったのは、お告げがあったからですか?」
シノブは、神託という言葉から、彼が丁重な扱いをする理由がわかったような気がした。
「はい。シノブ様のお言葉通り、先日祈祷所で祈りを捧げているときに御神託がありました。そのお告げにより、セレスティーヌ殿と共にシノブ様達がいらっしゃることを知ったのです」
ダンクールの説明によれば、彼自身も魔力や加護の強さをある程度は感じ取ることができるらしい。
とはいえ、聖人ミステル・ラマールが去ってから550年近く経っている。いくら大神官といえど、聖人の加護の強さを直接知っているわけではない。
一方のシノブだが、何故アムテリアから授かった加護について察知されたのかが明らかになって少し安心した。もしかすると神官に会うたびに聖人扱いされるのではないかと、先ほどから密かに案じていたのだ。
「大神アムテリア様は、シノブ様に聖人ミステル・ラマールの秘密をお伝えし、何かお困りのことがあれば手助けするように、と仰せでした」
ダンクールは、シノブにアムテリアからの神託の内容を伝えると、厳かな表情で一礼する。
「聖人の秘密とは?」
シノブは、聖人ミステル・ラマールが神々の眷属であることはアミィから聞いて知っていた。
だから秘密とは、そのことだろうかと一瞬考えた。しかし、アムテリアがシノブの知っていることを、わざわざ大神官から再度説明させるだろうか。
疑問を抱きながら、シノブはダンクールの返答を待つ。
「シャルロット殿が同席されておりますが、よろしいでしょうか?」
ダンクールは、アミィの様子を窺う。どうやら彼は、アミィが外見どおりの少女ではないと察しているようだ。
「問題ありません。シャルロット様は、シノブ様がお選びになった方です」
アミィは、ダンクールへと頷いてみせる。
「わかりました……聖人ミステル・ラマールは、二代目の国王であるアルフォンス一世の母君なのです」
大神官は、シノブ達に意外なことを言い出した。
ミステル・ラマールは男性であると思っていたシノブは、怪訝な顔をしてシャルロットを見る。しかし、彼女も知らなかったようだ。シャルロットは、その青い瞳に驚愕の色を浮かべている。
「大神官殿。私は聖人は男性だと思っていたのですが……」
シノブは、ダンクールに素直に聞くことにした。秘密を説明してくれるというのだから、これで終わりではないだろう。彼は、そう思ったのだ。
「聖人ミステル・ラマールは、実は女性なのです。当時は、今以上に男子が尊重されていたので、男装でお過ごしになったそうです。
大神官には、神々のお言葉で『ラ』は女性を『マール』は男性を意味すると伝わっております。おそらく、聖人は真実をそこに暗示なさったのでしょう」
シノブは、この世界に来る前、一学期だけだが第二外国語で履修したフランス語を思い出した。
フランス語では『male』は男性を意味するが、男性名詞の定冠詞は『le』である。その場合日本風に発音するなら『ルマール』となるのではないか。
どうやら、聖人は女性名詞の定冠詞『la』をつけて、自身の本当の性を暗示したようだ。
「アルフォンス一世は、公式にはエクトル一世の第一夫人ユルシュル様の子とされています。
ですが、本当はエクトル一世と聖人ミステル・ラマールの御子なのです」
大神官は、シノブ達に、さらに説明を続けていた。
この国は一夫多妻だから、アルフォンス一世の出生を偽る必要はないかもしれない。しかし、国家建設の過程にある彼らは、聖人ミステル・ラマールが女性であると告げたくなかったのだろう。
出産までの間、ミステル・ラマールとユルシュルは一時的に神殿に姿を隠した。そのため、高位の神官などごく僅かな者しか、真実は知らないままだった、とダンクールは語る。
「すると、王家には神々の使徒の血が流れているわけですね」
シノブは、大神官の告げる真実に驚きを隠せなかった。
だが彼は、それゆえ王家が敬われているのだろうか、と何となく腑に落ちたような気もしていた。
「はい。それに、この国の貴族は互いに婚姻を繰り返しております。ですから貴族には、僅かながら聖人の血が流れています」
大神官は、シノブの推測を裏付けるように頷いた。
おそらく、七伯爵家の初代も、このことを知っていたのだろう。だから、彼らは王家との婚姻を繰り返し、自身の一族にも聖人の血を入れようとしたのではないか。
大神官の説明を聞きながら、シノブは王家と各伯爵家の結びつきに隠された真実に思いを馳せた。
「よくわかりました。しかし、それを私に告げるということは……」
シノブは、大神官へと問いかける。
聖人の血が王家に流れていることを説明し、王女との婚姻を勧めるつもりなのか。それとも、安易に妻を娶らないようにとの警告か。シノブは、彼の真意を聞きたかった。
「私としては、いずれの道を進まれるべき、と言うつもりはありません。大神アムテリア様の御神託に従って、真実をお伝えするのみです。
……ですが、一言忠告させていただくなら、シノブ様の思うとおりに歩まれるべきだ、と思います。
聖人も、建国途中で御出産されることの不都合はご理解されていたと思います。ですが、それでも愛の証を残したかった。そう考えております」
大神官ダンクールは、シノブに優しく微笑んだ。今までシノブやアミィを敬う様子を見せていた彼は、シノブの困ったような顔を見たせいか、孫の悩みを聞く祖父のような笑みを浮かべながら、彼に答えていた。
「ありがとうございます。お言葉の通りだと思います」
シノブは、大神官の温かい言葉を聞き、悩みが晴れたような気がしていた。
そもそも彼はシャルロットと結婚すると決めたとき、自身の加護のことなど関係ない、と思っていた。聖人も、使命を果たしつつも愛に生きた。シノブは、その事実を知り、勇気付けられたような気がしていた。
◆ ◆ ◆ ◆
祈祷所は、大聖堂の裏手にあった。
昼間シノブ達が見た七柱の神々の像が安置されている祭壇の、ちょうど裏側にあたる。ダンクールの説明通り、本当の聖地である祈祷所を中心に大聖堂が拡張されていった結果、このような配置になったようだ。
シノブ達はダンクールに先導され、祭壇の脇の通路から祈祷所に向かっていく。夜も遅いため、通路にはシノブ達以外には人影もなく静まり返っている。
「ここが祈祷所です。ここには、大神官以外は、特別な儀式の際にしか入ることはできません」
大神官ダンクールは、薄暗い通路を明かりの魔道具で照らしながら、シノブ達に説明する。
シャルロットは成人式典の直前に祈祷所に入ったことがあるが、シノブとアミィは初めてである。シノブは、どんなところなのだろうか、と期待に胸を躍らせていた。
「それでは、私はここでお待ちしています」
ダンクールは扉を開けると、シノブ達に道を開け、恭しく一礼する。どうやら、彼は一緒に入るつもりはなさそうだ。
「大神官殿。案内ご苦労様でした。さあ、シノブ様、シャルロット様、入りましょう」
アミィは、ダンクールに軽く頷くと、シノブ達を室内へと誘った。
彼女は相変わらず凛とした態度を保ったままである。シノブは、アムテリアの神託が下る聖地だから、アミィも眷属としての態度を崩さないのだろうか、と疑問に思いながら、彼女に続いて祈祷所に入っていった。
「ここが祈祷所か……」
シノブは、予想外の光景に、思わず声を漏らした。
石造りの大聖堂とは異なり、祈祷所の内部は白木で作られていた。正面には数段の階段があり、その奥には数十人が座れそうな、板敷きの広間があった。そして、その奥にはアムテリアの神像がある。
アムテリアの神像は、大聖堂とは異なり等身大のようだ。神像は祈祷所と同じく木製のようだが、生きているかのように精緻で活力に満ちており、神聖な空気を漂わせていた。
「ここで、靴を脱ぐのです。シノブの魔法の家と同じですね」
階段の前で、シャルロットがシノブに話しかける。
どうも、祈祷所の中だけは日本風に作られているようだ。アムテリアのことを知るミステル・ラマールが、聖地の本体ともいえるこの場所だけは、神々の好む形にしたのかもしれない、とシノブは思った。
「シノブ、こちらには古文書の写本があります。遺物も複製がこちらに収められているはずです」
シャルロットは、シノブに祈祷所の中を説明する。
「……まずは参拝しよう」
シノブはシャルロットに微笑み掛けると、祈祷所の中央に進み威儀を正した。次に、彼は二礼二拍手一礼の作法に則り、アムテリアの神像を参拝する。
そして彼と共に、アミィとシャルロットも、同じように参拝していた。
「シャルロット、どうしてその作法を……」
シノブは、シャルロットも自分達と同様に礼拝し拍手を打ったことに驚き、思わず彼女の顔を見つめていた。
シノブが驚くのも無理はない。昼間、大聖堂を訪れた人々は普通に手を合わせるだけだった。それに彼は、このような作法をこの世界に来てから見たことはなかったのだ。
「シノブこそ……これは、王家に伝わる作法なのです。
王家の者は、祈祷所に入る前に大神官から教わるのですが……」
シャルロットも、驚きの表情を見せる。
彼女は、これは聖人が伝えた作法だと、シノブに語った。
「そうか……シャルロット。俺は、アムテリア様のいた世界から来たんだ」
シノブは、これもアムテリアの計らいなのかもしれない、と思いつつ、シャルロットに自分の来歴を告げていた。
「その……それは、神々の世界から、ということですか?
やはり、シノブは神の使徒だったのでしょうか?」
シャルロットは、シノブの言う事が理解できないようで、不安そうな表情を見せる。
「そうじゃない。アムテリア様は、この世界をお創りになる前に、別の世界の神様もしていたんだ」
シノブは、アムテリアやアミィから聞いた話を、シャルロットに伝えた。
そして彼は、アムテリアが過去に慈しんでいた世界から自身がやってきたことを、彼女にゆっくりと話していった。
「……だから、俺は神の眷属でも使徒でもない。アミィは眷属だったけどね」
シノブは、シャルロットに説明を終えると、彼女に優しく微笑み、隣に立つアミィの頭を撫でた。
「はい! でも、私も今はただの狐の獣人です。シノブ様と同じで、ちょっと魔力量が多いですが」
アミィも、シャルロットを安心させようと思ったのか、冗談を交えつつシャルロットに笑いかける。
「……貴方はずっと私の側に居て下さるのですね?」
シャルロットは、シノブが別の世界から来たということより、彼が離れていかないかが気になるようだ。彼女は、今にも泣きそうな顔でシノブを見上げている。
「さっきも言っただろ? 俺はシャルロットの側にずっといる。アムテリア様に誓うよ」
シノブは、シャルロットを抱き寄せ、アムテリアの神像へと目を向けた。
「シャルロット、シノブの言葉を信じなさい。彼は、貴女を生涯の伴侶とすると定めたのです」
なんと、シノブ達が見つめる先には神像はなく、そこには厳かな光に包まれた女神アムテリアの姿があった。いつの間にか現れた彼女は、優しく微笑みながらシノブ達を見つめている。
「アムテリア様!」
シノブは、突然のことに驚いた。
そして、アミィは慌ててその場に跪いたようだ。シノブの隣の空気が動き、微かに白木の床板が軋む音がする。
「アミィ。この前も言いましたが、遠慮しないでよいのですよ。お立ちなさい」
アムテリアは、アミィに優しく語りかける。彼女の言葉に促され、アミィは静かに立ち上がりシノブの後ろに控えた。
「シノブ……本当に大神アムテリア様が降臨されたのですか?」
シャルロットは、目の前の光景が信じられないようで、シノブに尋ねる。
「ああ、アムテリア様だ。俺をこの世界に連れてきて下さり、今まで助けて下さったお方だよ」
シノブは、驚愕の表情を見せる彼女を安心させるように、柔らかく答えた。
「シノブ。貴方がシャルロットに己の秘密を明かしたことで、また一つ絆が強くなりました。
心から信頼できる者を見つけ、己の真実を伝える。貴方のように特別な秘密を持つ者だからこそ、そう簡単にできることではないでしょう。
ですが、彼女は貴方を受け入れてくれました。これからも、絆を結ぶべき人を見出しなさい。それが、貴方の幸せになり、さらに、多くの人の幸せへとなっていきます」
アムテリアは、シノブにこれからの道を示すように、優しく厳かに語りかけた。
彼女はその神秘的な美貌に温かい笑みを浮かべ、翠玉のように煌めく瞳に慈しみの色を浮かべてシノブを見つめる。
「アミィ、シャルロット。これからも彼と支えあって生きるように。私はいつでも見守っています」
続いてアムテリアは、ゆるやかに波打つ金髪を揺らしながらシノブに寄り添う二人を順々に眺め、慈愛の篭もった言葉を授ける。
そしてアムテリアが、シノブ達に祝福を与え終わると、辺りは暖かく柔らかな光に包まれた。その光は徐々に強くなっていき、最後には目が眩まんばかりの閃光を放つ。
シノブは、強烈な光に思わず目を瞑ってしまった。一瞬の空白の後、彼が再び目を開けると、アムテリアの姿は消えて彼女を象った神像が元通りの姿で立っていた。
「シノブ……今のは、夢ではないのですね?」
シャルロットは、つい先ほどまでの光景が、幻だと思ったのか、シノブの顔を見上げて問いかける。
「夢じゃないさ。アムテリア様が本当に祝福して下さったんだよ。そしてアムテリア様が仰るように、俺達は支えあって生きるんだ」
シノブはシャルロットとアミィの肩に手をやり、明るく笑いかける。すると二人は同じように顔を輝かせて頷き、シノブの胸へとそっと身を寄せた。
お読みいただき、ありがとうございます。




