06.29 聖人の秘密 中編
──アミィ、これってやっぱり……──
サン・ラシェーヌの大聖堂の中で、シノブは敬虔な仕草で手を合わせながら、アミィに心の声で問いかけていた。
彼は、大聖堂の正面に並ぶアムテリアと六柱の従属神の像を目の前にしている。
アムテリアの像を中心に、左右に三体ずつ、全部で七体の巨大な神像が、大聖堂の祭壇の後ろに、壁面を覆い尽くすように聳え立っている。
まるでギリシャ彫刻のようにリアリティと躍動感に溢れた神像を前にして立ちつくすシノブは、周囲からは聖地の荘厳な雰囲気に呑まれているように見えるだろう。しかし、彼の驚きは別のところにあった。
──あの、赤い肌で鼻の高い神像がポヴォール? それに、あっちの花が咲いた枝を持った女神像がアルフールだって?──
シノブが長々と見つめているのは、その二体の神像であった。
中央に安置されている一回り大きなアムテリアの神像。それは、神々の眷属である聖人ミステル・ラマールが遺した設計図や絵に基づいて造られたという。
そのため、シノブの記憶にあるアムテリアの美貌を良く表している、傑作というべき立像であった。
そして左右の神像も、同じようにミステル・ラマールの設計によるものらしい。いずれも見事な神像だが、そのうちの二体、戦いの神ポヴォールと森の女神アルフールの像は、シノブにあるものを想起させた。
──シノブ様、気がつかれましたね──
彼の隣に立つアミィが、神像を拝みつつ、シノブに心の声で答える。
──アミィは知っていたの?──
シノブは、何が、とは言わなかった。
彼は、アムテリアについてもそうだが、神々の秘密に触れるのは畏れ多いような気がしていた。だからシノブは、薄々察しているアムテリアの来歴についても、尋ねたことはない。
──私も、シノブ様のスマホから得た情報で初めて知りました。でも、お考えの通りだと思いますよ──
アミィの心の声は、僅かに微笑んでいるような雰囲気を伴っていた。
どうやらシノブの考えているとおり、アムテリアは自身の眷属を引き連れて来たらしい。
赤い肌で大きな岩を抱え上げた戦いの神ポヴォール、可憐な花が咲き誇る枝を手にした森の女神アルフール、特徴的な外見の二柱以外も、そうなるとシノブが知っている神々なのだろう。
彼は、男女どちらにも見える闇の神ニュテス、思慮深げな表情の知恵の神サジェール、鍛冶道具を持つ大地の神テッラ、航海の無事を祈るかのような海の女神デューネを見て、しばらく思案に耽った。
──でも、そうするとアムテリア様が従属神を創ったのではなく、連れて来たってこと?──
シノブは、神々への畏れを感じつつも自身の好奇心に負け、それだけは尋ねた。
──そうですね~。地球にいらっしゃったときとお姿も違うようですから、アムテリア様が再度誕生させたのかもしれませんよ?
ある意味、シノブ様と同じかも──
アミィも良くわかっていないようで、疑問混じりの思念を返す。
──そうなるのか……まあ、この像を見るかぎり、ギリシャ神話の神々のような外見だからね──
シノブは、自身と同じでこちらの世界に適合するように姿を変えたのかもしれない、と考えた。
──だけど、どうして西洋人風なのかな? 確かに、この国の雰囲気には日本風の神像は合わないのかもしれないけど──
シノブは今更ながら、日本の神であったアムテリアが、なぜ西洋風の容姿をしているのか、と考えた。
──私にもわかりませんけど、自分の出身の国を贔屓するのはよくないことだ、とお考えのようです。
以前、どうして和食を世界中に広めないのか、と尋ねた眷属がいたそうですが、そうお答えになったと聞いています──
この世界には遥か東方に『ヤマト』という国があるらしい。アミィは担当していなかったようで、あまり詳しいことは知らないようだが、どうやら室町時代くらいの日本に相当する国家らしい。
アムテリアは、どうもその地方に合わせた文化を育てようとしているようだ。シノブは、もしかするとアムテリアも『ヤマト』に降臨するときは着物を着ているのだろうかと思い、内心苦笑した。
「……シノブ? 随分熱心にご覧になっているのですね。何か、お国と違ったところでもありましたか?」
シノブの隣に立つシャルロットが、不思議そうに彼を見つめる。
「いや、とても懐かしい神像だからね。思わず見入ってしまったよ」
シノブは僅かに苦笑しながら、シャルロットへと顔を向けた。
「そうですか。故郷の神像も、立派なものだったのでしょうね。
……シノブ、今日は大聖堂をゆっくり見て回りましょう。後ほど大神官のダンクール様ともお会いできますから、色々なお話が聞けると思います」
シャルロットは、シノブが古い事柄に興味を持っていると知っている。そのため彼女は納得した様子で、大聖堂に収められた古文書や遺物があると続けた。
そしてシャルロットによれば、一般に公開されないものでも大神官の許可があれば閲覧できるらしい。
「そうか! なら聖別の儀式が終わったら、大神官様に聞いてみよう!」
シノブは思わず顔を綻ばせ、大きく頷いた。
大神官テランス・ダンクールは、現在、王女セレスティーヌの聖別の儀式を行っている最中である。
メリエンヌ王国の初代国王エクトル一世は、現在のサン・ラシェーヌで神託を得て王国を築き上げた。そのため王家に生まれた者は、彼の事跡に倣う意味もあり成人前にサン・ラシェーヌで祈りを捧げる。
王女は今日、聖別の儀式を行い身を清め、明日は一日祈祷所に籠り祈念の儀式を行うという。どうも、エクトル一世の故事を儀式化したものらしい。
「はい。それまでは私が説明しますね」
シャルロットは、シノブの喜ぶ様子を見て、にっこりと微笑んだ。
◆ ◆ ◆ ◆
神官とは、神々に仕え、常にその教えに沿って生きる者達である。
もちろん、神官以外の人々もアムテリアやその従属神を信仰している。しかし、常に神の示す道に則って生きているわけではないだろう。
殆どの者は、神々を畏れ敬っていながらも、それぞれの欲望に流されているのではないだろうか。だが、神官達には、純粋に神々を信仰し、その教えから外れず生きることが求められる。
アムテリアが守護するこの惑星では、神官になり長年修行をして神々の教えを守って生きると、神の加護が与えられる。もし、元々加護を持っていれば、それが強化される。
しかし、信仰を失ったり神の意思に背いた行動を取ったりすると、神の加護は失われる。そして、加護を失った神官は、神殿を追われる。
それに加え、加護を失って神官をやめた者には、世間の目が厳しく仕官はできない。さらに貴族出身なら、普通に神官をやめただけなら貴族籍に戻れるが、加護をなくした場合は籍を剥奪されたままである。
このように、信仰に忠実に生きることが求められ、信仰を失った場合の不利益が非常に大きいため、我欲のために神官になって加護を貰おうという人は、まずいない。
そもそも、元々魔術師に匹敵する魔力を持っていたり、武人として活躍できるだけの身体強化ができたりする場合、制約の多い神官になろうとはしない。
そして、そんな厳しい制約を乗り越えているからこそ、神官達は人々の尊敬を受けている。特に、聖地の大神官ともなれば、民衆からは神々の使徒のように敬われる。
また、王族や貴族も、大神官の意見を無視することはできない。王が世俗の頂点に立つとしたら、大神官は信仰の頂点に立つ存在といえる。
王女セレスティーヌが聖別の儀式に入る前に、シノブは大神官テランス・ダンクールを見た。
彼は、白髪に白く長い髭の、一見どこにでもいそうな温厚そうな老人であった。だが、その眼差しは清く澄み、穏やかだが深みのある口調には一点の曇りも無く、正に聖人の後継者というべき何かがあった。
聖人ミステル・ラマールに興味を抱くシノブは、彼なら聖人の事跡を正確に伝承しているのではないか、と期待していた。
「お待たせしました。シノブ様、アミィ様。シャルロット殿も、壮健そうで何よりです」
夕食後、シノブ達は大神官に会うために、大聖堂の一角にある彼の居室を訪れていた。
アリエルとミレーユは、聖別の儀式を終えた王女セレスティーヌの警護を白百合騎士隊と共に行っている。そのため、ここには、シノブ、アミィ、シャルロットの三人しかいない。
「その……なぜ私達を敬うのですか?」
シノブは、自分達に恭しく頭を下げる大神官ダンクールに困惑していた。
それに大神官はシノブとアミィを様付けで呼んだが、なぜかシャルロットはそう呼ばなかった。
大神官は、王に匹敵する権威の持ち主らしい。だから王女セレスティーヌも、シャルロットと同様に呼ばれていた。
それなのに何故自分とアミィは特別扱いされるのか、シノブにはわからなかったのだ。
「それは、お二人が大神アムテリア様の強い加護を授かっておられるからです。お二人は聖人ミステル・ラマールと同等……いえ、シノブ様は、それを超える加護を授かっていらっしゃる」
大神官ダンクールは、確たる口調で告げると、シノブとアミィに再度深々と頭を下げた。
「大神官殿。シノブ様は、加護をひけらかすおつもりはありません」
アミィは、強い口調で大神官ダンクールへと言い放つ。普段は控えめな彼女だがシノブを守るためと思ったのか、大神官を鋭い表情で見据えていた。
「はい、アミィ様。この事は私の胸のうちに収めるつもりです。それに私以外の神官は、お二人の加護が聖人ミステル・ラマールに比肩するものだとは気がつかないでしょう」
「それなら良いでしょう。……これは、大神アムテリア様のご意思でもあるのです。くれぐれも口外しないように」
大神官ダンクールの言葉にアミィは頷くと、重ねて注意をする。
「はい、当然のことでございます」
大神官は、孫娘のような外見のアミィに、丁重に頭を下げる。
見事な白髪に白い髭の大神官からは、自身が聖人と呼ばれてもおかしくないような清らかな威厳を感じられる。だから、そんな彼が小柄なアミィを敬うのは、ある種異様な光景であった。
しかし今のアミィは、彼のように恭しい態度で接するのがむしろ自然に思えるような、神気とも言うべき何かを漂わせていた。
「ダンクール殿。……シノブは……やはり聖人の再来なのでしょうか?」
シャルロットは、大神官の言葉に最初は驚いたようだ。だが、今までシノブを見ていて察するところがあったのか、取り乱しはしなかった。
しかし彼女には気になることがあるようで、恐る恐るというのが相応しい、遠慮がちな口調で大神官に尋ねる。
「俺は聖人じゃないよ。ちょっと他の人より加護が強いだけさ。それに、聖人のようにどこかに行ったりしない。ずっと君の側にいるよ」
シノブは、不安げな彼女に優しく声を掛けた。
そして彼女の手に自分の手をそっと重ね、安心させるように笑いかけた。
「ああ……シノブ……今のお言葉、本当ですね?」
シャルロットは、青い瞳を潤ませながら、隣に座るシノブを見上げる。
シノブの想像通り、シャルロットは彼がいつか自分の下を去るのではないかと心配していたようだ。
「本当さ。驚かせてごめんね」
シノブは、シャルロットの瞳をじっと見つめながら、彼女の手を強く握り締めた。
シャルロットも、安心したようにその顔を綻ばすが、シノブの手を両手で強く握り返してくる。シノブは、彼女の微かに震える肩に手をやり、そっと抱き寄せた。
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