06.28 聖人の秘密 前編
王宮から、王家の豪華かつ堅牢な四頭立ての馬車が大通りへと進み出た。
馬車の中には、王女セレスティーヌと共に、マティアスにシノブ、シャルロットが乗っている。
「シノブ様、大通りに出ましたが異常はありませんか?」
聖地サン・ラシェーヌに向かう馬車の中、豪華な座席に少し居心地悪そうに座っているマティアスは、心配そうにシノブへと問いかけた。彼らは、王女セレスティーヌを守りつつ、聖地へと向かう最中である。
馬車の周りは、マティアスが隊長を務める金獅子騎士隊から5小隊と、白百合騎士隊の1小隊が取り囲んで厳重に警戒していた。
そしてアリエルとミレーユも騎士鎧を着用し、白百合騎士隊と共に軍馬に乗って馬車に付き従っている。
「ああ、首輪や腕輪の魔力は感じない。アミィも異常はないと言っている」
シノブは、緊張気味の彼の顔を見て、内心苦笑しながら答えた。
彼の言うとおり、アミィは姿を消して遊撃として少し離れた位置から警戒していた。彼女は、時折シノブに心の声で連絡してくるが、今のところ異常はないようだ。
なお、今回イヴァールは同行していない。結局、イヴァールの戦斧は新調することになった。彼の強化された魔力を受け止めるには、ミスリルをもっと使う必要があるらしい。
下手に今の戦斧を改良するより新しく作りなおしたほうが良い、というのがトイヴァの結論であった。だから作成中の武器に魔力を馴染ませるために、イヴァールは彼らの下から離れられなくなってしまったのだ。
「マティアス殿。ソレル親子とその配下は、どうやらあれで全てだったようだ。諜報員はいるかもしれないが、戦闘奴隷はもういないだろう。シノブの魔力感知にも引っかからないようだからな」
シャルロットは、シノブを信じているせいか、普段と変わらない落ち着いた表情だ。
彼女が言うとおり、シノブは王都では『隷属の首輪』の波動を感知していない。『隷属の首輪』は、常時起動する魔道具だから、魔力の波動を隠す技術でもない限り、シノブの感知からは逃れられないはずである。
「そうですね。後は、強化の腕輪ですか」
マティアスは、シャルロットの言葉に頷きつつ呟いた。
体力や素早さを強化する腕輪に関しては、使用していないときは魔力の波動が出ていない。そのため、単に所持しているだけでは感知できない。
そういう意味では、『隷属の首輪』が近くにないといっても、安心はできなかった。
「大丈夫です。シノブ様やシャルお姉さまが守ってくれますわ。それに、マティアス達も」
セレスティーヌは、明るく三人に微笑んだ。
王家のしきたりである成人式典前の聖地訪問。帝国の間者が潜むかもしれない情勢だが、聖地に赴く彼女からは、もはや先日見せた不安は感じられなかった。
「そうですね。これだけの陣容です。安心なさってください。それに、シノブも魔力障壁を張っています」
シャルロットも、王女に微笑みかけた。
馬車の中には、彼らの他に二名の侍女が同乗している。もう一台、大聖堂で王女の世話をする侍女達が乗った馬車が、後ろに続いており、警護の騎士達はこの二台を取り囲みながら大通りを進んでいた。
そして彼女の言うとおり、シノブは魔力感知と同時に、馬車の外側に沿うように魔力障壁まで展開している。まさに、万全の布陣と言えた。
「……でも、騎士達には悪いのですが、こう取り囲まれていると何も見えませんわ」
セレスティーヌはシャルロットの言葉に笑顔を見せ頷いた。だが彼女は、窓の外に視線をやると、その表情を曇らせた。どうやら王宮の外に出るのは久しぶりらしく、街の様子をゆっくり眺めたかったらしい。
「仕方ありませんね。平時ならここまで厳重ではないと思いますが」
王女の不満げな声に、シャルロットは苦笑しつつ答える。
「シノブ様は、どんな魔道具でも感知できるのですか?」
王女の気晴らしをしようと思ったのか、侍女の一人が声を掛けてきた。
「ええ。魔力自体はわかります。でも、知らない魔道具からの魔力だと何の魔道具かはわかりませんね」
シノブは、アガテというシャルロットと同年代くらいの侍女に答える。
彼は、確か王女の居室にも居たな、と頭の隅で思いながら赤毛の侍女の質問に答えていた。
「そうでしたら、王宮などでは色々な魔道具を感知されたのではないですか?」
シノブが気安く答えたせいか、もう一人の侍女クローテも続けて問いかけてきた。
「そうですね。王宮は色々な魔道具があるようでした。
たぶん、多くは浄化や明かり、着火などでしょうね」
シノブは、栗色の髪の侍女に、当たり障りのない答えを返す。
「シノブ様、この辺りはいかがですか?」
セレスティーヌは、興味を引かれたのか、話に乗ってきた。
まだ王宮を出たばかりで中央区の中心近くである。各伯爵家の別邸や侯爵家の屋敷が多いこの近辺なら、魔道具も多いと思ったのかもしれない。
「そうですね……こちら……いえ、こちらのほうが多いかな?」
シノブは南に行く大通りに出ようとしている馬車の後方に一旦目をやったが、すぐに真横に向き直り、ある方向を指し示した。
「シノブ、そちらは我が伯爵家の別邸ですよ」
シャルロットは、彼の指し示した方向を見て、驚きの声を上げた。
「う~ん。もしかすると、私が持ってきた魔道具を感じ取ったのかもしれませんね」
頭を掻きながら告げるシノブの声に、一同は笑い声を上げる。
笑顔を見せる面々の中、シャルロットはシノブが別邸に魔道具を置いていないことを知っていたので、一瞬不思議そうな顔をした。だが彼女は、シノブが最初に目をやった方向を見ると、納得したような顔をする。
シノブが最初に見た後方、その先にはフライユ伯爵家の別邸があるのだ。彼女は、シノブに意味ありげな視線を送る。
シノブは、シャルロットに微かに頷くと、再び王女達への問いに答えていった。
◆ ◆ ◆ ◆
サン・ラシェーヌは、王国の成立直後に聖地とされた。そして、大聖堂はそれから90年余りの時をかけて築かれたらしい。
大聖堂は、他の多くの建物と同じように『メリエンヌ古典様式』に則っている。そのため正面から見る大聖堂は、アーチが幾何学的に配置された白い壁面が目立つ、優美で洗練された建物であった。
高さ50m以上はありそうな四角張った大聖堂の正面を見ると、まず大きなアーチと太陽を模したような円形の飾りが目に入る。
四角い壁面は、中央と左右の三箇所に大きく分けられ、それぞれにアーチと円形の紋章が配されている。そして三等分されたうちの左右は、そのまま四角い塔となり、天空へと伸びている。
そんな左右の塔を際立たせるかのように中央は一段低くなっており、後方の尖塔が微かに覗いていた。
高層部には、両脇の塔を繋ぐ回廊が設けられており、回廊を支える円柱の隙間からは後ろに控える三角屋根が覗き、その上には天空を突き刺すような尖塔が聳えていた。
「お疲れ様でした。行きは何もなくて良かったですね」
シノブは、王女セレスティーヌに声を掛けた。
サン・ラシェーヌは、王都の郊外であり5kmほど南に行くだけだ。王宮を起点としても、7kmあるかないか、といったところだろう。一行は、一時間半ほどで無事にサン・ラシェーヌへと到着していた。
シノブ達は、大聖堂の脇にある貴族用の宿泊施設に王女を送り届けると、施設の中のサロンに集まっていた。馬車に乗っていた面々に加え、白百合騎士隊の隊長サディーユ・ド・テリエや、副隊長格シヴリーヌ・ド・モンディアル、それにアリエルやミレーユもいる。
「ありがとうございます。皆さまのお陰ですわ」
セレスティーヌが、その豪奢な金髪を揺らし、一同に謝意を述べる。
「もったいないお言葉。騎士達も喜ぶでしょう」
マティアスは、王女に深々と頭を下げる。
「殿下。明日は一日、聖別の儀式でございます。今日はゆっくりなさいませ」
白百合騎士隊の隊長サディーユが、青い瞳を優しく輝かせ、王女に笑い掛ける。
シャルロットのときも警護したという彼女は、子爵の娘らしい。シャルロットがシノブに事前に教えてくれた情報によれば、同じような子爵家の嫡男に嫁いでいるが、その実績ゆえに騎士隊に残っているそうだ。
「サディーユ、ありがとう。貴方達も、折角ですからシャルお姉さま達とお話したら?
竜と戦った女騎士なんて、我が国の長い歴史でも、初めての事ですわ」
昨日、警護の打ち合わせで彼女達もシノブやシャルロットと会っていた。だが、重大な任務の前でもあり、挨拶も早々に打ち合わせへと入ってしまった。
そのため、シャルロットもサディーユやシヴリーヌとあまり話せなかったようである。
「殿下、ありがとうございます。でも、話よりも手合わせをしたいですね」
シャルロットやアリエルと年が近そうなシヴリーヌが、興味深そうな視線をシャルロット達に向ける。
彼女は、領地を持たない軍系男爵の娘らしい。だが、武術に傾倒しすぎたのか、一生を白百合騎士隊に捧げる、と公言しているという。
その言葉通り早く戦いたいのか、彼女はアッシュブロンドの髪を大きく揺らし、三人の女騎士を見つめていた。
「モンディアル、手合わせは無事に王都に戻ってからだ! 私だって、シノブ様に手ほどき頂きたいのを我慢しているのだからな!」
マティアスの言うとおり、シノブは王都に戻ったら彼と模擬戦を行うことになっていた。
軍人として己を磨き上げることに邁進しているマティアスだが、重要任務の前だから模擬戦の申し込みをなんとか我慢したらしい。
「マティアス殿! それでは私もシノブ様と手合わせして良いですか!? もちろん、マティアス殿の次で構いません!」
シヴリーヌは、碧の瞳を期待に輝かせ、マティアスとシノブを交互に見る。
「シヴリーヌ、もう少しお話らしいことはできませんの? シノブ様が、呆れていましてよ」
セレスティーヌは、シヴリーヌとマティアスの言葉に、王宮の騎士は武術しか興味がないのか、と思われないか気になったらしい。彼女は、その青い瞳でシノブを気遣わしげに見つめた。
「セレスティーヌ様、頼りになる部下をお持ちで、喜ばしいことだと思いますよ」
シノブは、王女を安心させるように優しく言葉をかけた。
「ありがとうございます! 私は、殿下を一生お守りしようと誓っているのです! 親が持ち込む縁談など、私より弱い相手しかいませんし!」
シヴリーヌは、シノブの社交辞令を本気に取ったようで、嬉しげな声を上げた。
「……シヴリーヌ殿。私が言うのもなんだが、強い相手に拘りすぎるのもどうかと思うぞ」
シャルロットは、微かに頬を染めながら、同年代のシヴリーヌに忠告する。
「まあ! シャルお姉さまの照れたお顔を拝見できるなんて!
シノブ様、竜を鎮めたことよりも、こちらのほうが偉業だと思いますわ!」
セレスティーヌの驚き半分冗談半分の言葉に、サディーユやシヴリーヌも頷いている。
「セレスティーヌ様。私は、最初からこの笑顔しか見ていないので、なんともお答えしかねます」
シノブは、赤くなるシャルロットには可哀想かもしれないと思いながら、自身の思いを口にした。誤魔化すよりは、はっきり彼女への愛を口にすべきだと思ったのもある。
シノブの言葉を聞いた面々は、大きくどよめいたが、一拍置いて温かな笑みを漏らした。
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