リーフとフェンネル
それは、この樹上世界フォレスティアを支えている始原の大樹<ユグドラシル>。
神がフォレスティアを創造されたと伝えられている大樹。かつては一本であった樹は分かれ、今ではいくつもの樹上世界が広げられることとなった。
そして、その樹上世界を支える柱たる樹のことを総称し、人々はユグドラシルと呼ぶ。
クヌギたちが住んでいる場所は、ユグドラシルを中心とした大地<リアース>の上で日々の生活を営んでいる。リアースとは神様がかつての大地を再生したとの意味で称えられ、また、リアースはユグドラシルを中心におよそ円状に広がっている。
しかし、世界とはただ造っただけでは世界とはならない。なぜなら、文化・文明が築かれてこそ世界となるのだから。
故に、樹上世界そのものは神様が造ったとされるが、樹上世界の文化を築いたのはリアースに住む人々だ。はるかな昔、樹上世界に上った人々が何もない大地でゼロから協力し合って、国を都市を村を作り上げたのだ。
そして、現在ではかつて荒廃した地上が——ただの歴史とされるぐらい繁栄することができた。
無論、人々が集団で生きる以上、統治するものは絶対的に存在する。
それが、人が生きる上での規律であり、理性でもあるからだ。
樹上世界を作ったのが神であるならば、樹上世界を治めるのは王という存在。
それを象徴するかのように、王はリアースの中心であるユグドラシルの樹皮を繰り抜き、城を構えていた。自分たちが統べる国である<ミズガルズ>の大地を見渡せるようにと高き所から見守っていた。
その王が住まう城の一角で一人の青年が汗を流していた。
「次っ!」
玉のような汗を浮かべ、息が切れながらも気迫の衰えを微塵も感じさせない力強さ。その青年の心を代弁するような赤き紅葉のようなザンバラとした髪。手には木剣を携え、動きやすい訓練用の簡素な服を着ていた。
「も、もう無理です……リーフ隊長」
リーフの周りには、同じような格好をした男たちが倒れていた。誰も彼も、全力で何時間も走り回ったかのように疲労困憊していた。
それを見たリーフは木剣を降ろし、嘆息した。
「全くお前らは……もう少し根性を見せんか。これでは訓練にならんぞ」
倒れ臥したままの男たちは、起き上がる気力もないが手だけで『おいおい』とリーフの言葉に反応していた。
「朝からぶっ続けで訓練してたら誰でもこうなるっすよ〜!」
「隊長申し訳ありません。……限界です」
そんなことを告げた。
「わかったわかった。それでは本日の訓練はここまでとする! 各自、昼食後は持ち場につくか、訓練を続けるように!」
ヘロヘロになりながらも、リーフの部下たちは整列し「了解しました」と整然と終わりの挨拶をし、解散した。その解散した内の一人がリーフに近づき質問した。
「隊長は午後どうなさるんですか?」
「俺は午後からは外の見回りに出かける」
「そ、そうですか。ははっ……。さすが隊長ですね」
こんなにもハードな訓練を行った後だというのに、さらに外の見回りができるリーフが信じられないかのような眼差しで、部下の面々はそそくさと解散して行った。
静かになった訓練場。一人になったリーフは軽い溜息をついたところ、
「うっわ~、リーフ何そんな景気の悪そうな顔してんだ?」
「何だ……フェンネルか」
フェンネルと呼ばれた女性が訓練場の入口に立っていた。
明るい笑顔でリーフに語りかけたフェンネルは、肩口まで切りそろえられた白金色の髪を風にたなびかせ、タッタッタと軽快な足音を立てリーフに駆け寄り人懐っこそうにニンマリとした笑顔を浮かべた。
それは、子供が誰かをからかうような、無邪気ないたずらっ子のような表情だった。
「くくくっ、今お前の樹士隊の面々が死人のような顔して出て行ったぞ~!」
「むっ。別に何もしていない。普通に訓練を行っただけだ」
何か変な風に勘ぐられるのが心外だというように、リーフはムスッと腕を組んだ。
「にゃっは~。普通ね。普通か。そりゃヘロヘロになるわけだな」
「ふん。根性が足りんのだ」
「いやいや、リーフ。アタシたち小隊長の面々の訓練に耐えられる下っ端の樹士がいるわけないじゃんか。なのにアタシたちの普通に付き合わせちゃダメだろ」
「……それぐらいわかっている」
フェンネルに言われるまでもなく、リーフもそれぐらいわかっていた。
だが、今はそんなことを言っていられる時期ではないのだ。
「フォレスの実が生るのが近いから焦るのはわかるけどさ。部下の体調管理を行うのも上司の役目だと思うわけなんだが、そこんとこどうさ?」
ニコニコと笑顔で本質を突くフェンネルに、リーフも参ったように手を挙げた。
「……お前の言うとおりだ。忠告痛み入る」
「にゃっは~。わかったらそれで良し」
「それで、用件はそれだけか?」
当然、リーフはそんな忠告のためだけにフェンネルがここに来るわけがないことを知っている。すると、フェンネルも笑っていた顔を少し引き締めた。
「いんや~、それだけじゃないぞ。――《芯蟲》の動きが活発になってきたらしい」
それまで、固い表情を崩さなかったリーフがピクッと反応した。
「ちっ、蟲どもめ。大人しくてしていればいいものを」
芯蟲という言葉を聞いて、リーフは苛立ちを隠さず舌打ちした。
「まぁな~。近いうちに隊長クラスの面々集めた対策会議やるみたいだわ。内容は言うまでもなく《芯蟲》対策になるだろうから準備しとけよ」
「わかった。わざわざすまなかったな」
「いいってことよ。同じ釜の飯を食った仲間じゃんか」
へっへーとフェンネルは、暗い話題はこれまでというように笑った。
「ところでさ。さっきの訓練では物足りなかっただろ? アタシと模擬試合でもやらないか? 最近、アタシも張り合える奴がいなくてつまんないんだよ~!」
「ふっ、なるほど。それが目的か」
訓練場まで足を運ぶからおかしいとは思いつつも、その可能性に関しては考慮していなかったと、リーフは少し呆れて笑った。
「なっ! いいだろ!」
「望むところだ――と、言いたいところだが今日は午後から外回りがある。試合はまた今度改めて行うことにしよう」
「あれ? 小隊長のお前が外回りって珍しいな。あっ、もしかしてあれか! 外回りとかこつけて、森の猛獣相手に訓練するつもりだな〜」
そんなことはありえないという感じで、冗談めかしくフェンネルがそう言うと、ギクッとリーフは本音を付かれたかのように、体が反応してしまった。
「うっわーマジで? 訓練相手いないからって猛獣相手に訓練って……。そこまでいくとさすがのアタシでもびっくりだぞ」
「待て、勘違いするな! 外回りも本当だが、訓練相手は猛獣ではない! 人だ!」
「はっ? 余計信じらんないよ。アタシらの相手できるのなんか、樹士隊の隊長クラスじゃないと無理じゃんか」
フェンネルの疑念は当然だった。樹士隊の面々は、フォレスティアの治安を維持するために組織されたものだ。危険な任務は当たり前のように行う樹士に求められるのは、何よりも強い力と心。そんな連中は自然と樹士隊に集うようになる。逆を言えば、樹士隊以外に強いものはほとんど存在しないということにもなる。
だが、何事にも例外はあり、リーフはそれを口にする。
「いる。俺の幼馴染だ」
「幼馴染ぃ? お前にそんなのがいたのは初耳だけど——リーフとやり合えるからには相当強いんだろうな。何者なんだそいつ?」
「何者と言われても困るのだが、孤児院で教鞭をとっている男だ」
「教師だと!?」
予想外の答えにフェンネルは驚きを隠せなかった。
「といっても、孤児院の中で一番年長者ということで、弟や妹に勉強を教えているようなものだな。あれは」
「いやいや! 聞きたいのは教師のことじゃねーよ! 何でそんな奴が樹士やらないでくすぶっているんだよ!? 樹士隊に誘えよ!!」
「もう何度も誘っている。その度に断られているがな」
そのことを思い出したのか、リーフは苦笑してはいるが何やら楽しそうな顔をしている。何だかんだで、付き合いの長いフェンネルも見かけたことのない表情だ。
そもそも、リーフが四六時中真面目で固い顔をしているのも要因の一つではあるのだが。
「はぁ~。何か知らないけどもったいないな。んで、外回りの名目でそいつとやり合うわけか。お前だけずるいぞ!」
「誤解されるようなことを言うな。外回りも本当だ。フォレスティアの治安維持も樹士の仕事であることに変わりないからな」
「お前は本当にくそ真面目だなぁ。んで、その幼馴染ってどんぐらい強いんだ? いくらなんでもリーフ以上ってことはないだろ?」
そのフェンネルの質問にリーフは今までと違い、答えを返すのに時間が掛かった。てっきり、すぐさま「そうだな」とでも言うと思っていたら、
「——多分、俺の方が強いはずだ」
「およ? リーフにしては歯切れの悪い物言いじゃん」
迷いを含んだリーフの態度にフェンネルは逆に興味を抱いた。
「手合わせこそすれど、本気で戦ったことは一度もないからな」
それはつまり、本気で手合わせをしいたらどちらが勝つかわからないということでもある。
「ふーん。お前にそこまで言わせるほどの奴か」
その意を読んだフェンネルはニンマリとした怪しい笑顔を浮かべていた。
リーフは、今の自分の失言に軽い眩暈を覚えた。フェンネルもまた、自分と同じように強い相手を求める傾向にあるということを失念していた。
そして、この先の展開もまたすぐさま予想がついた。
「アタシ実は午後から非番なんだよね」
「だめだ」
「うん、でな――って、まだ何も言ってねぇよ!」
「どうせ付いて来る気だろ。それで、あわよくば自分も日頃のストレス発散に存分に戦いたいと思っているだろう」
「ソンナコトナイヨ」
「やっぱりな」
「いやいや、えーと。ほら、あれだ! アタシも外回りだ!」
「非番だと今言ったばかりだろうが」
「ぐっ……!」
これで厄介払いができたと思ったリーフは、さっさとこの場からいなくなるのが正解だと思い、立ち去ろうとしたところ――
「にゃ――――――――――――!!」
フェンネルが、こらえきれずに叫んだ。
「アタシも行くったら行くんだ! リーフが置いていこうとしても無駄だかんな! なぜなら、勝手に付いていくことに決めたからだ! それが嫌なら連れて行け!」
「貴様何を勝手に言っている!? どっちにしろ付いて来る選択肢しかないではないか!?」
「お前に選択肢はない!」
「選ぶ権利すらないだとっ!?」
「だから連れて行け!」
「お前は……駄々をこねる子供かっ……!」
リーフは、これが自分と同じ小隊長とは思えなかった。さっきまでのように行き過ぎた指導を注意するような点を持ち合わせているかと思ったら、時々、こういった子供じみた真似をする。
その度に、リーフはフェンネルのわがままをきいていた。もう何を言っても無駄ということを長い付き合いから知っている。何とも嫌な現実だった。
「あぁもう、頼むから大人しくしていろよ」
「やった! さすがはリーフ」
やれやれと言って二人は訓練場の出口に向かった。訓練よりもフェンネルの相手をする方が疲れると思いつつも、それは口に出さずにいた。
「ところでさ、お前の幼馴染って名前は何て言うんだ?」
「あぁ、クヌギという男だ」
ふーん。と何気なく返した返事は、訓練場に静かに消えていった。




