生贄の日
フォレスティアにしては珍しく木の少ない、短い草が生えている場所。そこで、樹士の格好をした男二人が抱えていた木の籠を降ろした。
「もう、この辺りでいいだろう」
そう言って、樹士達は運んできた籠の中身を見る。
その中に居るのは一人の少女——ルナリアだった。
「しかし、何故こんな少女を置き去りにしなければならないんだ?」
「知らん。我らは言われた任務をこなすのみだ」
「……そうだな」
納得がいかないと態度に出ているが、それでも渋々と作業を続ける。クロッカス直属の樹士である彼らは今回の命令について全てを知らされてはいなかった。
下された命令は——少女をこの農業プラントに置くこと。そして、少女を傷つけて血液を流させることだった。
「おい。すまないが手を出してもらえないか?」
檻の中にいる少女――ルナリアは、言われるがまま手を伸ばした。
「痛むだろうがすまないな」
ルナリアの手を取った樹士は、持っていたナイフでルナリアの手の甲を浅く、すっと傷つけた。深く傷つけなかったのは任務だからなのか、それとも樹士自身の判断なのかはわからなかった。
「それでいいのか?」
「あぁ、次の任務に移るぞ」
「別働隊に合流するんだっけか?」
「あぁ」
「芯蟲に対抗するための極秘作戦とはいえ——気分の良いもんじゃねぇな」
本来なら守るべき対象であるはずの少女を置き去りにすることに抵抗がある樹士は、嫌々そうに言った。
「言うな。これも俺らの仕事の内だ」
「わかっている。すまないな嬢ちゃん」
樹士たちは、その場を離れ、ルナリアは一人取り残されることとなった。
手からは血がとめどなく溢れている。別段、何もしなくても問題なく血は止まるだろう。元々トネリコの民はフォレスの実と同様の力を秘めているだけあって回復力はもとより高い。
そして、その血がこれから芯蟲を呼び寄せることとなる。
もっと流れればいいのにと、遠くを見るルナリアはそう思った。
普段は来ることのない外周部の果て。そこに広がるのは果てのない雲海。白く染まる海は、ふわふわと漂う綿の種だと思った。
最後の最後にこの光景を見ることができて良かった。
これから死ぬことになるのだから。
「そうだよね。私は生きていちゃ……いけないんだよね」
女王やリーフが自分を犠牲にしないと言ってくれたことは確かに嬉しかった。しかし、その結果がこれだ。誰かがどんなに救おうとしても、違う誰かが犠牲にする。
当たり前の話だと思った。トネリコの民は誰かを助けるために、犠牲になるよう運命づけられた民なのだから。
こうして連れ去られることになって、痛感した。
希望なんてもういらない。
家族を助けることができればそれでいい。
だって、一度は全てを失ったのだから。それ以上望むのは欲張りというものだ。
女王にそう言ったはずなのに、揺らいでしまった。
もう間違えない。
誰かを救うためならば、呪われた自分の血さえ愛そう。
「皆を私が助けるんだ」
いつも助けられたばかりだった。
トネリコ民が住んでいたユグドラシルが滅んだ時は、必死にルナリアを逃がそうとした両親に助けられた。
逃げた先で死にそうになったのをクヌギに助けられた。
自分を抱きしめてくれたカトレアの優しさに助けられた。
臆病な自分が、少しでも前向きになれるようリーフに助けられた。
弟や妹たちができて、生きる勇気が持てるようになり助けられた。
そして今、芯蟲から皆を救う。
自分にしかできない手段で。
「恩を返さないと」
そう、恩を返すのだ。今まで生かしてもらった恩を全ての人に。
だから、クヌギを傷つけてまで別れの言葉を告げ、追い討ちをかけるように、リーフに帰らないとまで伝言を託したのだ。
「もう……死んでもいいよね?」
遠い空にいる、同胞たちにそう呟いた。
「私……皆のところに行くね」
手を合わせ、祈りるように天を見上げた。
どのくらいの間そうしていたのだろうか?
少しずつであるが、何かが近づいてくる音がはっきりとわかる。
血が教えてくれる。
――芯蟲の存在を。
びくっと、身体が震える。幼い頃に刻まれた恐怖が現れた。
「だめっ! 怖いなんて思っちゃだめ!!」
今から皆を守るために死ぬのだから。そのために覚悟を決めたのだから。
さらに芯蟲の近づく音がわかる。
手が震えだす。
「止まってよ! お願いだからっ!」
怖くなんてない! 死ぬことを望んでいるのだから!
なのに、手が止まらない。震えが止まるようにもっと強く手を握り締める。
肩が震え、上半身が震え、全身が震えだす。
「何で止まってくれないのよぅ……!」
とうとう、外周部の果てから芯蟲の姿が見え始める。
怖い。怖くない。怖い。怖くない。怖い。怖くない。怖い。怖くない。怖い。怖くない。 死の恐怖、芯蟲の恐怖、失う恐怖がルナリアを襲う。
「皆を救うんだからっ! 止まってよ!!」
そう、皆を救うんだ。
クヌギが優しく笑って孤児院の皆を守っていた日々を。
カトレアがパイを焼いて、お母さんのように抱きしめてくれた日々を。
子供たちが歌って、踊って、楽しく過ごしていた日々を。
リーフが、強くかっこよくフォレスティアを守っていた日々を。
これからずっと、『自分』がいない未来の中で……。
「あ、あぁ……あっ…………!」
そう、ルナリアのいない世界で皆は生きる。
――そんなのは嫌だ!
もっと、クヌギと話したかった。
もっと、カトレアから色々な料理を教わりたかった。
もっと、子供たちの世話をしたかった。
もっと、リーフと恋をしてみたかった。
今になって、最後の最後になって、ルナリアは直面する。
本当に自分が欲しかった未来を夢見てしまった。
「生きたい……死にたくない……!」
みっともなく涙を垂れ流しながら、顎がガクガクと震える。
とうとう、芯蟲がルナリアの目と鼻の先にまで迫る。
「怖いよ……もう、やだよぅ…………」
自分の覚悟なんて、所詮こんなものなのだ。
結局は、土壇場で泣いてしまうような弱いものでしかない。
臆病な性格を変えたくて、ずっと、がんばってきたのに。何も変わらなかった。
きっと、ずっと、何も変わらない。
この死という運命からは。
「お兄ちゃん……どこ?」
だから、最後の最後まで頼ろうとしてしまった
あの時、自分を救ってくれた兄の存在に。
そして、眼前に芯蟲の壁が、醜く歪んだ鋭い爪と牙を向けて、ルナリアが閉じ込められている木の檻ごと壊そうと振り上げられる。
――私、死ぬんだ。
ただ、それだけが心に浮かんだ。
「僕はここにいるよ。ルナリア」
幻聴だと思った。
都合のいい妄想が作り上げた幻だと。
だけど、いつだってルナリアが悲しくて泣いていた時、いつも一緒にいてくれて、手を取って助けに現れてくれる——兄、クヌギの姿がそこにあった。




