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樹上のフォレスティア  作者: 菊日和静
第三章 覚悟の種子
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女王の樹

 城内の一角にて<音樹>からガーベラの声が響き、廊下を歩いていた樹士たちが歩みを止めた。


「おい、これから何が始まるんだ?」

「わからん。だが、ガーベラ様が<音樹>を使っているのだ。何か伝えたいことがあるんだろう」

「芯蟲のことかな?」

「だと思うが——それについては、既に隊長たちから通達はあったからな」

「じゃあ、何だ?」

「わからんって最初に言っただろうが……」

「そりゃそうだ。では、我らが女王の声を静かに聞くとするか」

「あぁ」


 普段は顔どころか声すらも聞けない女王の語りに、樹士達は粛々と耳を傾けた。



 キーンと城内にガーベラの声が満ちる。ここからでは、城内の様子はわからないが、音樹は正常に動作しているようだ。


「樹士隊の者たちはもう知っているだろう。ユグドラシル下層の防衛が破られ、芯蟲がこのミズガルズに侵攻を開始したのを確認した。その数はおよそ千を超えるとのことだ」


 ユグドラシルの生命力が低下し、それと共にユグドラシルの守りもまた低下した。その隙を抜いて芯蟲は既に上層までの侵入を許している。


「修復を急がせているため、これ以上芯蟲の数が増える心配はない。だが、これよりミズガルズは戦場となり、樹士の皆には命を掛けて戦ってもらうことになるだろう」


 城内からガヤガヤとした声が聞こえ始めた。姿は見えずとも、その雰囲気だけは執務室にいようと届いていた。


「しかし、諸君達に伝えてはいなかったが——この戦争は犠牲をほぼ出すことなく回避する方法が存在する」



「はぁ!?」

「戦争を回避できるって……マジかよ」

「知らないが……ガーベラ様が言うならばあるんだろう」


 樹士達がガーベラから告げられた情報により驚きの色に染まっていた。歳が若い樹士ほど驚きの大きさは強く、かたや、経験を積んだ樹士たちは表情にこそ出していないが困惑していることは見て取れた。


「ねぇ、リーフ。これってもしかしなくても」

「あぁ……。間違いなくルナリアのことだな」

「ってことは、ルナリアちゃんを——『使う』ってことか」


 同じようにルナリアの探索を行っていたクヌギ達も、突然の女王の演説から探索を一旦中止して聞いていた。他の者より事情を知っている故、むしろ最悪のケースが頭をよぎる。

 しかし、


「俺たちは樹士だ。我らが女王の意思は何よりも優先される」

 

 有無を言わさないリーフのその一言で、クヌギとフェンネルは静かに女王の言葉に耳を傾けた。



「この件に関して今まで公表できずにいたことは誠に申し訳ないばかりだ。けれど、妾自身この方法を採るべきか迷い時間が掛かってしまった。許されよ」


 誰も見てはいない執務室であっても、ガーベラは声の向こう側に居る者たちに向かって頭を下げる。


「その方法について話をしよう。もしかしたら、諸君達の中には知っている者もいるかもしれないが——トネリコの民という特殊な血を引く者の力を使うというものだ」

「陛下っ!?」


 話しすぎだ。

 クロッカスの思惑としては、トネリコの民の存在は秘匿したまま限られた人数でのみ戦争の回避を行う想定であった。

 クロッカスは、慌ててガーベラの話を遮ろうとするが、偉丈夫なシャガの大きな手により止められることとなる。

 それを見たサイカスは、ふっと微笑み、シャガもまた野性味溢れる笑いを交した。


「トネリコの民は芯蟲を引き付けて止まない血を自らの身に有している。その特性を利用しトネリコの民を生贄にして時間を稼ぎ、フォレスの実が生るのを待てば——我らは犠牲なく生きることができる」


 かつて何度も売り返された歴史であり、既に歴史の闇に葬られた——犠牲の数々。最小限の犠牲で多数を生かすという選択は間違っていない。むしろ、為政者としてはその選択を迷わず決断しなければいけない。


「トネリコの民である少女——ルナリアというのだがな。その者は妾にこう言ってくれたよ。『自らの命を使ってミズガルズを、家族のことを救ってほしい。そのためならば自分はどうなっても構わない』とな……」


 その場面を思い出し、ガーベラは一拍溜めた。 


「そこで、諸君らに問いたい。——本当にそれで良いのだろうか?」


 ガーベラは語りかける。城内にいる誰かにではなく、城内にいる全ての者たち――彼女の瞳には全ての者が確かに映っている。


「妾は先代の王が亡き後、女王としての勤めを果たしてきたつもりだ。芯蟲討伐によって帰らぬ人となった父の意志を継ぎ、ミズガルズに活気が少しでも取り戻せるよう尽力したつもりだ」


 それは、昔の記憶。父が死んだという知らせを聞き、自分が王となることを決めたときのことだ。悲しみで人は何故死ねないのだろう? 本気でそう思うぐらい胸が張り裂けそうな日々を過ごしていた。

 そんな時、一人の少年——リーフが言ってくれた。


 ——お前が王になるなら、俺は王に仕える剣として生きるよ


 十年も前の、互いが子供の頃の口約束のようなものだ。

 しかし、ガーベラは父が亡くなった後、初めて自分を王として支えてくれる人の存在を知った。少なくとも、少年だけは自分が王になっても味方でいてくれたのだ。

 そして、リーフは樹士となって約束を果たしてくれた。

 だからこそ、ガーベラはその少年が生きる大地である、ミズガルズの王となり、花と平和に満ちた世界にしようと決めたのだ。


「この国を治める王ならば——迷う必要のない選択だ。たった一人の犠牲でミズガルズの民は犠牲なく生きれるのだ」


 けれど——ガーベラは言った。王としてではなく、一人の『ヒト』として。


「だが、妾はそんな誰かを生贄にするような選択などしたくない!」


 最低な王だと思う。感情のまま吐き出すように言葉を紡ぎ、未熟さ故にこんな真似しかできないことを恥ずかしく思う。


「わかっているのだ。少女を犠牲にしなければ、芯蟲と戦う樹士たちの誰かが死ぬことになることなど。王ならばその責任を負わなければならないことなど! だけど! 妾は一人を犠牲にして、自らが助かるような選択はしたくないのだ! その少女を死なせたくない!!」


 賢王などと言われているが、今はガーベラはちっともそうは思えなかった。

 自分はこれから守るべき民に――最も酷なことを言うのだから。


「これは王としての命令ではない。ただのガーベラとしての頼みだと思ってくれてもいい。その少女を――守るべき民を一人生かすために、皆が傷ついてくれ! 少女が背負うべきだった痛みを皆が背負ってくれ!!」


 ガーベラはなおも問いかける。


「そして、その上で妾は王として命ずる! 皆の者よ、生きてくれ!!」


 そのためならば、自分はいくらでも痛みを背負おう。

 そのためならば、自分はどんなことでも耐え忍ぶことが出来る。

 愛おしき、この世界を守るためならば。


「妾は信じているのだ! そなたたちの力を! 父が死んでからずっと辛い訓練に耐えてきた樹士たちの力を! ミズガルズで生きている民の力を! 芯蟲との戦いになっても必ず生き残ってくれると!!」


 かつて、少年は王の剣になってくれると約束してくれた。

 かつて、力なき幼かった王に代わり力になってくれた総隊長がいた。

 かつて、知恵なき幼かった王に代わり知恵を授けてくれた軍師がいた。

 誰一人欠けても、今の自分はいなかった。

 皆が居てくれたからこそ——今の自分がある。


 そして、この一言にガーベラの心を全てをかける。



「だから、この愚かな王に皆の力を貸してくれ!!」



 肩を大きく揺らしながら呼吸をするガーベラの手は震えていた。


「……妾からは以上だ。無論、これは命令ではなく罰則もない。少女を救うと決めた者は城の正門前に集まってほしい」


 プツリっと音樹からの声は途絶えた。


 ――父上。これで、良かったのですよね?


 今は亡き王を想い、ガーベラの目じりに浮かんだ涙を、指でそっと拭った。もしも父が生きていたならば何て言うだろうか。王としては駄目だと叱るのか、笑って褒めてくれるのか。王に即位してから意識しないようにしていた——父に会いたい想いが溢れてきた。


「これが妾の決断だ。そなたたちも好きにするがよい」


 部屋にいる、クロッカス、シャガ、サイカスの三人にガーベラはそう告げる。


「ふふっ。陛下には驚かされることばかりですね」

「だぁーはっはっは! さすがは我らが女王! 最高の演説でしたぞ!!」


 楽しくて仕方がないと言わんばかりに、二人は愉快そうに笑う。そして、同時にガーベラの前に跪いた。


『我ら、王の樹を守る根となり葉となり、永久に守り続けることを誓います』


 総隊長と軍師の二人は、自分たちよりも年も背も小さい王に忠誠を誓う。


「ありがとう。二人とも」


 礼を告げると――突然、城内が揺れ、大量の声が聞こえた。


 ——ガーベラ様の信頼に応えよ!

 ——民を守れずして何が樹士か!

 ——今こそ我らの力を見せる時ぞ!

 ——必ずや蟲達に一矢報いて見せよ!

 ——そして、必ず生きることを誓え!!


 何事かと思い、執務室にある窓から外を見る。そこには、大勢の樹士たちが足で地面を蹴りつけリズムを取り、剣を掲げていた。

 樹士だけではない、城内にいる全ての人間が集まっていた。


 ――自分のやってきたことは、間違いではなかった。無駄ではなかった。


 ガーベラは自らの胸に、言いようもない力が満ちるのを感じた。

 そして、シャガとサイカスの後ろに居るクロッカスをガーベラは真っ直ぐ見据えて言う。


「クロッカス。ルナリアの居場所を教えてくれぬか?」

「陛下……。あなたという方は……」


 クロッカスの身体は震えていた。


「私は……少しばかり、年を取りすぎたのかもしれませんな……」

「そなたがいたからこそ、今の妾がある。愛おしき民を守ってはもらえぬだろうか?」


そっと白く純白な手を、クロッカスに伸ばす。その手をクロッカスは取り、シャガとサイカスと同じように陛下に跪いた。


「はっ……!」


 跪いたまま、クロッカスは涙を絨毯の上に垂らす。

 未来と過去。平行線だった王と大臣の信頼が確かに交わった瞬間だった。



 十年前の王が亡くなる直前のことだ。

 芯蟲の猛攻により救出に向かった王と樹士隊が全滅し、後方に控えていたクロッカスは芯蟲の恐怖を刻まれながらも王の最後を看取ることができた。


 ——クロッカスよ。余が死んだ後、ガーベラのことを頼んだぞ。

 ——あの子の才は大きいがまだ若い。誰かが付いていなければ折れてしまう若木なのだ。

 ——余はもうあの子が王として輝く姿を見ることはできそうもない。

 ——だから、頼む。我が友よ。余に代わり最愛の娘を見守ってほしい。


 その言葉を最後に王は逝った。

 嘆きと悲しみがクロッカスの胸中に渦巻き、それでも、王であり友であった男の約束を果たそうともした。

 けれども、芯蟲に刻まれた心の傷は深く、クロッカスは如何に傷を負わずに済む方法を模索し、また、ガーベラには先代の王と比較し立派な王になるよう厳しく当たりすぎた。


 ——我が王よ。あなたの最後の約束すら守れず申し訳ありませぬ。

 ——けれど、どうか安心召されよ。

 ——あなたの娘は、今や立派な王となりましたぞ。


 樹上よりも遥かに遠き空にいる友に−−クロッカスはこの光景を見せてやりたいと心から思った。



 クロッカスとの和解が済み、ガーベラはルナリアの詳しい居場所を聞き出していた。


「少女は、外周部の第三食料プラントに向かっております。あそこは現在使用されておらず、リアースを支える枝が細い場所でもあるので、大地を落とすには最適な条件が揃っておられます。出来る限り芯蟲を引きつけてから大地を落とすよう指示していますので……大地を落とす正確な時間までは把握できておりません」


 申し訳ないと一言添えてクロッカスは座った。

 少しだけ、クロッカスの身体が小さくなったように見えた。ガーベラだけでなく、クロッカスも王が死んでから気を張り詰めていたのだ。それが、ようやく解かれた。

 だが、それでいいと思う。人は――空を向いて生きるべきなのだ。


「陛下。過去のトネリコの民の情報を調べ直したところ、芯蟲はトネリコの民の居る場所に集まりやすくもなりますが、侵攻も早くもなるとの報告があります。救出に向かうのならば急がれた方が良いでしょう」

「わかった。芯蟲の大群との遭遇の危険性も高いが、拙速を優先して先遣隊を募るとしよう。ルナリアの救出が最優先だ」


 誰を遣わそうかと、数瞬考えたところ――すぐに答えは別のところから出た。


「その任務、僕に行かせてください」


 執務室に三人の男女が入ってきた。リーフ、フェンネル、クヌギだ。


「そなたは、ルナリアの――、一体何をしに来た?」

「樹士になりに参りました。樹士隊の末席を汚すことをお許しください」

「それは……妹を助けるためか?」

「いいえ」

「ならば何を守るために来たのだ」

「ミズガルズを守るためです。そして、陛下の剣になるために。先の陛下の言を聞きました。我が愚妹のために、あれほどの情け……もはや感謝の言葉もありません。その温情に報いるには、樹士となることでしか示せません」


 クヌギもまた、その場にいる者と同じようにガーベラに礼をする。


「俺からも頼む。ルナリアを守れと命じた任を果たさせてほしい」

「アタシからもお願いします。陛下」


 リーフとフェンネルも二人同時に片足をつく。


「では、そなたたちに命じる。ルナリアを助けに行くがいい。そして、必ずや生きて帰ってくるのだぞ」


 今まで辛く耐え忍んできた種は、優しく可憐な花を咲かせた。


『はっ!』


 そして、全てを守りたいと誓った女王という樹に、多くの花が集った。

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