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樹上のフォレスティア  作者: 菊日和静
第二章 花を守る。それは何と難しいことか
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守るための決意


 落ち着かなかった。

 気分が、というよりも、この部屋の雰囲気自体がだ。


 さっきから、ベッドの上に座ったり立ったりして、ルナリアは部屋にある調度品を見て回ったりしていた。城に連れて行かれ、てっきり牢屋にでも入れられると思っていたばかりに、こうした豪華な雰囲気に馴染めなかった。

 むしろ、あえて落ち着かないようにしているのかも――ふと、そんなことをルナリアは思った。


 目を閉じれば、すぐにあの顔が浮かぶ。去り際のクヌギの顔が。

 家族を悲しませたいだなんて、これっぽっちも思わなかった。本当ならば、今日だってこれから料理をして、リーフと一緒にワイワイご飯を食べていたのだ。


 それが、全て台無しになった。……いや、いつかこうなる日が来ることを知っていただけに、夢を見ていたのだ。うたかたの幸せの夢を。それがただ破れただけ。

 最初から覚悟していたはずなのに、目じりに涙が浮かぶ。


「ルナリア。入るぞ」


 リーフの声が聞こえた。あわてて涙を拭い返事をした。


「ど、どうぞ」


 パタパタとドアの元に向かい、リーフが入ってくるのを待つ。貴賓室にいるルナリアは客扱いだというのに、こうしたところは変わらなかった。

 ドアが開き、リーフが入ってきたと思ったら、綺麗な――そんな言葉さえ憚られるような美しい女の人がいた。ルナリアは初めて知った。本当に美しく、気高い人を前にすると息を呑むことさえできなくなることを。


「ふむ。そなたがルナリアか」

「え、えっと、はい。そうです!」


 自分の名前が呼ばれて声が裏返った。


「ルナリア。そう固くならなくていい。この方は、ミズガルズを治める女王ガーベラ様だ。お前に聞きたいことがあるらしい」

「――――――――――!?」


 驚きで悲鳴すら上がらなかった。ミズガルズの女王といえば、ルナリアたち一般人にしてみれば、フォレスティアを作った神様の次に偉いとされる人だ。樹の上の存在。その人を前にして、固くなるなというリーフは言っても、無理なことだった。

 その様子を見てガーベラは少し苦笑し、


「安心するがいい。そなたに聞きたいことがあるだけだ。そこに掛けよ」


 貴賓室の中央においてある草色のソファに腰掛けるよう勧めた。


「は、はひっ!」


 手と足が同時に出て、ネジ人形のようなカクカクした動作で座った。


「……リーフ。この娘はいつもこうなのか?」

「大体はこんなものだが……いつもよりひどいな」

「むぅ。そこまで妾は怖く見えるのか?」

「安心しろ。花には怖く思われない程度だ」


 場を和ませる冗談で言っただろうリーフの一言なのだが、ガーベラは上品な笑顔を浮かべてリーフの足の指を踏み抜いた。


「たわけが」


 格好悪いところは見せたくないのだろう。リーフは引きつった笑いを浮かべた。

 二人のそんなやりとりを見て、ルナリアは――女王の前であるのはわかっているが――ほんの少しだけ口元を隠してクスリと笑ってしまった。


「少しは肩の力が抜けたか?」


 ガーベラの微笑。その綺麗な柔らかい声音にルナリアは、先ほどまでの体の震えが収まってきた。


「はい。ありがとうございます」

「そうか。では、早速だがそなたに聞きたいことがある」


 こほんと、一旦間を置いてガーベラは姿勢を正した。


「ルナリアよ。そなたは――トネリコの民だな?」


 女王の目は、ルナリアの正体を見抜くように真っ直ぐ瞳を見てくる。

 わかっていたはずだ。いずれはこうなると。過去に失った自分の生い立ちが、今こうして追ってきただけなのだ。

 だから、ルナリアはもう怖気づくことはなかった。


「はい。陛下の仰る通り、私はトネリコの民の生き残りです」

「やはりか……」


 ルナリアの答えに、ガーベラは得心がいったように深く頷いた。

 二人の中では、それで通じたものがあったのかもしれないが、一人リーフだけはどういうことがわからず、尋ねた。


「ガーベラ。トネリコの民とは何だ? お前は何を知っている」

「あぁ、そうだったな。まだお主は知らなかったのだな」


 ガーベラは貴賓室に置いてあった花瓶――その中にある茶色く変色した枯れた花を一輪取り出した。それを、ルナリアの前に差し出した。


「わかるな?」


 ルナリアは無言で、差し出された花を持ち、もう片方の手の指を口元に持っていき、小さな傷をつけた。傷口から血が滲み、その血を一滴枯れた花に落とした。


「なんだと……!?」


 リーフは目を疑った。

 ルナリアの血を吸った、枯れた――死にゆく花が瑞々しい色を取り戻してくる。むしろ、最初にあったころ以上に美しい生命の輝きが見える。


「リーフ。樹術を使うのに必要なのは何だ?」


 それを見ても驚かないガーベラは淡々とリーフに問う。


「それは……普段の修練と植物に呼びかける意志の強さ――」

「違う。もっとも根本的なものだ。呼びかけるために必要なものだ」

「……《樹血》か」

「その通りだ」


 樹血。

 それは、樹術を使うときに必要な媒体。樹士隊の面々は、自らの体内に流れる樹血をもって植物と語り合い、その意志を伝え、形を変えさせる。


「しかし、樹血そのものには力はないはずだ。しかも、すでに死に絶えた植物を蘇らせるなど……まるで――」

「フォレスの実であるかのようか?」


 その先の言葉を予測していたかのようにガーベラは続ける。


「リーフ。お前の予想は正しい。トネリコの民はフォレスの実の力が樹血の中を流れておるのだ。ゆえに、その血をかければ植物の生気を取り戻すことなど造作もない」

「……そして、その民がルナリアというわけか」

「うむ。その通りだ」


ガーベラの説明に納得のいったリーフだったが、それでも、長らく接していた幼馴染の少女にそんな秘密があったことに困惑を隠せない様子だった。

 ルナリアも、そんなリーフを見て心を痛め、目を床に伏せたままだった。


「待て。確かにトネリコの民の力はわかった。だが、それが一体今回の事と何の関係がある?」

「察しが悪い。芯蟲が何故このフォレスティアに攻め入っているかを考えてみよ」


 何故芯蟲がフォレスティアに攻め入って来るのか?

 簡単なことだ。

 芯蟲がフォレスティアに攻め入る目的。それは――フォレスの実だ。

 フォレスの実が無くなればユグドラシルの防衛機構は弱体化し、その隙を狙って芯蟲は瞬く間に攻め入り、人々は生きる場所を失うことになるだろう。

 だから、そうさせないためにも樹上世界で生きる人間達は死に物狂いで戦ってきた。長い歴史の中、芯蟲との生死を分けた戦争をずっと繰り広げてきたのだ。生きるために、制限のある大地を守るために、人々はずっと戦ってきた。

 つまり、芯蟲がフォレスの実を狙うということは――


「フォレスの実の力を有する、トネリコの民もまた芯蟲に狙われるということかっ!」


 リーフの答えに、ガーベラとルナリアは同時に頷いた。


「そもそも、トネリコの民が生まれた経緯は至って単純だ。まだ防衛機構が完全でなかった頃、各ユグドラシルでは芯蟲の猛攻に疲弊していたからな。その回避策としてフォレスの実から芯蟲の目を眩ますための……生贄にしたのだよ」


 改めて言われると、さすがに過去のこととはいえ、ルナリアの心が痛んだ。


「そして、窮地から脱するようになった人々は平和を得て終わり……だったら、良かったのだがな。――ある問題が起きた」


 嫌なことを思い出すように、ガーベラは顔をしかめた。


「トネリコの民がいるせいで、芯蟲の攻めてくる数に偏りが現れ始めたのだ。トネリコの民の保有数が多いユグドラシルほどより多くな……。今度はそれをどうにかするために、各ユグドラシルの長が出した結論が――トネリコの民の隔離なのだ」


 知っている。ルナリアもまた、隔離されたユグドラシルの中で生まれ育てられていたのだから。

 そして、滅んだ。

 誰にも知られることなく。誰かに知られることを忌み嫌われて。ひっそりと。忽然と。


「わかるか? 彼ら僻地に追いやられ、我々はその存在を隠蔽したのだ。しかも、彼らを生かしておいた理由もまた醜悪だ。有事の際にの有用性を鑑みて、ユグドラシルの危機が迫ればまた生贄にするつもりだったのだよ」


 自虐的ににガーベラは言う。

 ガーベラ自身、このことについて知ったのは王が臥した後のことだった。王家とそれに連なる者しか知らない機密の一つとして、歴史の闇を背負うことになったのだ。


「その結果は、言わずともわかろう。トネリコの民は——芯蟲に滅ぼされたのだ」


 自嘲気味に呟く、ガーベラの声もまた鋭く尖っていった。


「いや、我々が滅ぼしたと言われても仕方がないことなのだがな……。しかし、先代の王、妾の父上はそのことを悔やんでおった。故に、十年前に彼らが芯蟲に襲われていると知ったときに、父上は討伐に出向き帰らぬ人となったのだ」


 そして、ルナリアはその騒乱の時に、命からがら逃げ出すことに成功した。数十日歩き詰めて、辿り着いた場所がミズガルズだった。


 そこで、初めて出会った人が――兄となってくれたクヌギだ。

 疲れで身体は疲弊しきっており、悲しみで心が潰され、それでも一人の少女が生き抜くことが出来たのは、ひとえに生への執念だった。


 故郷がなくなったルナリアを助けてくれたクヌギ。優しさで立ち直るきっかけをくれた姉のカトレア。前向きな強さが眩しいリーフ。そして、守る大切さを教えてくれた弟や妹たち。


 全てが愛おしい思い出。

 だからこそ、ルナリアは本来の自分の運命を全うしようとした。

 それこそが、自分にできる家族への恩返しとなると信じて。


「陛下」


 今まで黙っていたルナリアが口を開いた。


「そのお気持ちを聞けただけでもありがとうございます。皆もそのお言葉だけでも喜ぶと思います」


 そして、ここに来た本当の目的を言う。


「だから、どうぞ私の命を使ってミズガルズを救ってください。私の家族を守ってください。そのためなら、私はどうなっても構いません」

「ルナリア。お前はそのために……」


 それを聞いて一番驚いていたのはリーフだ。

 争いを見るのを嫌い、人が傷つくのを誰よりも悲しむルナリアが、そんなことを言ったのだ。それほどの覚悟を持っていた言葉だ。

 城に来る前から。芯蟲に襲われたときから。

 持っていなかったかもしれない、持たされることになった覚悟。

 家族が悲しむことになっても、家族を助けることに決めたのだ。

 クヌギに別れを告げたのは、誰よりも家族を愛していたから。


「――だが、俺はそんなこと認めないぞ」


それでも、リーフは足掻く。


「ルナリアが犠牲になるのは駄目だ。そんなことは俺が許さん」


 ——いつもそうだ。リーフはこんなに真っ直ぐ私を見てくれる。


「お前が死ぬと皆が悲しむ。俺も悲しむ」


 恥ずかしくて気持ちを言えないのに、リーフはいつも正直な気持ちを語ってくれる。

 それが、ただ嬉しくて。――ルナリアの瞳から涙がこぼれた。


「そして、俺は誰かを犠牲にする樹士になったつもりはない。そして、誰かを犠牲にする王に従ったことなどない。そうだろ、ガーベラ?」

「無論だ」

 リーフの愚直なまでの言葉に、ガーベラもまた強く頷く。


「妾もまた、そなたに会えたことで迷いは断ち切れた」

 そして、ガーベラはここに宣言する。


「トネリコの民を犠牲にする選択はしない。その上で、皆を生かしてみせよう」


 ガーベラがそう言うと、静かにギィっと貴賓室のドアが開いた。


「――それは真ですかな。陛下」


 仰々しい衣を纏ったクロッカスが入ってきた。その顔には、笑みではなく、奥歯を噛んだ険しい顔をしている。


「盗み聞きとは感心せんな。クロッカスよ」

「これはこれは陛下。私はただ保護された客人に会いに来ただけのことでございます」

「そうであったか。すまぬが先に会わせてもらったぞ。そこの娘がトネリコの民の生き残りであるルナリアだ。おっと、そなたにはすでにわかっていることであったな」


 わざとらしく言うガーベラに、ますますクロッカスの顔が険しくなる。

 話題の中心であるはずのルナリアであるが、二人のそんな様子を見てオロオロと口を挟めずにいた。


「……知っております。それで、陛下。先ほどのお言葉に関しては?」

「詳しいことは、シャガやサイカスが揃ってから言うつもりだ。何か問題でも?」

「……ありませぬ」


 うやうやしく頭を垂れるクロッカス。だが、その顔は明らかに追い詰められた人のそれに良く似ていた。


「では、それを含めた対芯蟲会議を行う。リーフそなたも参加せよ」

「はっ。了解しました」


 話も一段落したようで、ルナリアもホッと一息がついた、

 そう思っていたはずだったが――ある一報が彼女の耳に入った。


「へ、陛下! こちらでしたか!」

 バタン! と勢いよくドアが開かれる。入ってきたのは、一人の若い樹士だ。


「何事だ。騒々しい」

 いきなりの闖入者に驚く一同。リーフはガーベラの前に立ち剣を構えていたのを解く。


「城に賊が一人侵入しました!」


 その一言が、ルナリアに嫌な予感を抱かせた。

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