哀しき真意の扉
出現率は低いが、不知火神社でいつぞやのイケメン外国人が見られるらしい。そんな噂が横行しているためか下校途中、クラスの女子に幾度となく話しかけられるようになった。
「金曜日ならいるのね?」
「毎週とは限らないけど……」
「もしかして金曜日は神社で、土日は彼の家にお泊まりデートだったり?」
デートではないが、否定はしない。
「そうなんだ!」
「いいなぁ、幸せそうで」
「不知火さん、最近急に綺麗になったよね」
「占い得意なんでしょ? 来週月曜日、占ってよ」
「……う、うん」
手を振り去っていく彼女達から敵意は感じられない。今までずっとそうしてたみたいに馴れ馴れしく、そして優しい。
「さっきの二人は高原さんと……篠木さん、だっけ」
話しかけられ気付いたことは、私自身クラスメイトの名前をろくに覚えていないこと。知ろうともせず、関わろうともせず、自分から壁を作ってたんだなって改めて思う。
心入れ換えるには今更すぎるので、せめて春から通う短大では壁を取っ払い、友達作りに積極的になろうと密かに心に誓っている。
「髪下ろすと呪いの日本人形みたいだから、やめろっていっただろ」
「い、いた……っ、やめてよ」
いきなり髪を引っ張られ、後ろに仰け反る。逆さにみえるのは幼馴染みの唯斗だ。
「色気付きやがって、妖怪女がキモいんだよ」
「二つ結びならいい?」
両手で髪をつかみ、持ち上げる。これどっかでみたことあるな。
「卑弥呼か!」
「ぶ……っ、なんだよそれ」
「あはは、唯斗が笑った」
はっ、とまた何時もの歪み顔に戻る。
「そんな顔ばっかりしてたら、癖になっちゃうよ。可愛い顔が台無し」
「か、可愛いだと?」
「唯斗の眼鏡も可愛い。それどこで買ったの? 私も買い換えようかな」
「これは駅前の──て、なんだよまじキモい」
また同じ方向に顔を歪めている。別にお揃いにしようって訳じゃないのだけれど。
「もっと笑いなよ、その方が幸せになれるよ」
唯斗はまだ何か言いたげに口角を曲げていたが、私は自分に言い聞かせるようににっこり笑い、先を急いだ。
コンプレックスだった髪を下ろしたのは、この方がカヲルが似合うっていってくれたから。
これも今更すぎるんだけど、好きなひとには少しでもよく見られたい。私らしくないのはわかってる。でも年内にはお別れかもしれないんだもの、怠惰なままではいられない。
季節は師走。
端目に映る東京の街並みはクリスマス一色に包まれ、街路樹も電飾で華やかに彩られている。
「ただいま……ぁあ?」
閑散とした神社より、我が家の居住区がずっと騒がしい。ガタガタと大型家具を動かす音や、パタパタとハタキを叩く音がきこえる。あの家共々夜逃げか? この真っ昼間に、神主が夜逃げて聞いたことないわ!
「なにしてんの、お母さん」
「何って、カヲル君の部屋作ってるのよ。いつまでも客間じゃ落ち着かないでしょ?」
そうは言ってもお母さん……お母さん?
なぁに、この電磁波の集合体。最新ゲーム機器にパソコン、見たことない通信機。神社でテロ活動始めるおつもりですか。婿には随分と寛大ですね。
土間をぬけ居間へ上がれば、何時ものようにカヲルとじーさんが茶を啜っている。
「じゃ、そゆことで」
「賑やかになりそうじゃの」
話が決着したような口ぶりだが、紙面に判子を捺すじーさんの哀愁ったらない。カヲルがじーさんに借金を取り立てているようにしか見えない。
この期に及んでカヲル金融道発動か。カヲルがじーさん丸め込めたのは金か! 世知辛いな!
「よぅ、千速~」
「な、や、やめれ」
毎度毎度、真名呼んでクマのぬいぐるみみたいにぎゅう、抱き締めるな。昇天するわ。
じーさんが「ハレンチだわぁ」みたいな顔してガン見してますよ!
「はっ──、なんだ、その唇の輝きは」
「え、そ、その、グロスっていう、紅みたいなもので」
「畜生ぉおっ、可愛いぞ! 食べてくださいと言わんばかりだなっ!」
陥落皇子は庶民派か。
これはお母さんが「女は口許よ」と言いながら薬局で買ってくれた398円のリップグロスだ。
「婚姻まで我慢するって心決めたのに、お前って奴は……っ」
「根因?」 何をそんなに困っているのだ。
「もう無理、しゃぶりつかせてください!」
「お前が無理」
「はうっ」
言語表現アウト、鉄拳下腹部イン。
フルフル踞るカヲルを尻目に再び靴を履き、納屋へと直行。
「えへへ……気付いて、くれた」
納屋の古い鏡台を覗き込めば私の泣きそうな顔が映っている。それは見事な呪いの日本人形だ。カヲルが痛みを引きずり納屋へくるまでには変顔を治そうと、頬をぐにぐに解した。
*
鏡都の化け蟹は沢蟹のように小さく、蟻のように群れをなす。その赤き巨像は夜の漁船を襲い船ごと人を啖らい、漁師を困らせていた。
古い漁船に霊臭(人の生き血の匂いがするお香)を焚き誘き寄せれば、程なくして罠にかかり、赤い絨毯が浜を埋め尽くしていく。
その無残な浜辺で私は自失し茫然と立ち尽くした。
今日のために丹精込めて折った私のカモメは化け蟹を二、三つついただけでポフンと元の白い紙に戻ってしまったのだ。
化け蟹に逆襲され跡形もなく破かれた紙を見届け、カヲルは息を深く継ぎ笛を口に含む。
冬の海へと壮麗になだれ込む清らかな笛の音。その音が化け蟹の動きを止める様を、砂浜に座り込み眺めた。
仮死した化け蟹をなんと巨体の海坊主が大波を織り成し、拐っていく。海坊主、波間からデカ顔覗かせ変態陰陽師にウインクしたよ、バチッて火花散ったよ、海坊主て牝だったの?
いつの間に海坊主を手なずけたのか。それ以前に笛を使う妖術を初めてみた私は、身体の中でふわふわと御霊が浮くのを感じた。
カヲルは笛の名手だと、その笛の音が好きだったと、折姫が語っていたのを思い出す。
──まだ好きなのかな。
折姫を想い奏でているのか、胸に沈んでいく重い音階と、海を望み吹ききるその横顔は悲しくなるくらいに綺麗で切ない。カヲルの長い睫毛は瞬きをする度に星屑のような陰影をみせた。
「──どうだっ千、俺を惚れ直したか」
「その一言がなければね」
惚れ直すも何も心臓が鳴りっぱなしなのでこれ以上イケメンスペック上げないで欲しい。早く邸へいってカヲルの黒歴史帳なるものをしたためようと腰を上げる。
「──はれ?」
「無理はするな」
カヲルは前に倒れ込んだ私をそのままぽふ、と胸に収めた。カヲルの華やかな香に包まれながらまた酷く惨めになる。カヲルは何千躰という化け蟹を一瞬で退治できたのに、私は二、三躰。一度呪を結んだだけで霊力が底をつき歩けないほど衰弱してしまった。努力はしているのにいつまでたっても身体がついていかない。親身になって教えてくれるカヲルに申し訳なくて、もどかしくて、赤ちゃん抱っこも抵抗しない。
「……っ、カヲル?」
耳に金属製の冷ややかな感触が走り、微かに震える。
「キザだ、と言われる覚悟はできている」
右耳にかかるそれを手に納める。一輪の白い薔薇。花簪だ。金を軸にした花弁には一粒蒼い宝石が嵌め込まれている。
「これは……?」
「千にやる」
折姫がいつも挿している桜の花簪を思い出し、動悸が速まっていく。
「嬉しそうではないな……、千は、薔薇が嫌いか」
「き、嫌いじゃないけど……」
「薔薇は千によく似合う。特に白い薔薇はな」
「私に……?」
「だから、俺は好きだ」
西陽が逆光になりカヲルの顔は見えない。ただその三文字を奏でる唇の動きだけは、しっかりと目に焼き付いた。
「そ、それは──何も知らない純粋無垢な処女のくせに刺々しい下ネタツッコミをするなという戒めでしょうか」
「うん。わかってたよー、その返しくるの。ネガティブという名の真意の扉が俺を跳ね返してくるんだよね。うん、覚悟してた。覚悟してたけどね。……泣きそうな顔をしてまで言うなよぉ!」
私、今間違いなく変顔発動してますね。つられてカヲルまでうるうるしてますよ。
「俺はめげないぞ、直球はちゃんとメインディッシュに残している。だから今は黙って受け取れ」
「嬉しいけど、こんな高そうなものもらえないよ」
「受け取ってもらえんのか……そうか……」
うるうるしてる。うるうるしてるよ、泣いちゃうの?
「ありがたく頂戴します!」
「そうか、そうか」
カヲルは瞬速でニパッと顔を明るくし、私を小荷物にしたまま重たい砂をザクザク踏みしめ邸へと帰っていった。
「今日は千に紹介したい人がいる」
「はぁ」
キリッと背筋を伸ばし緊張感ある言い回し。だが無気力な私をずるずる連れ込むは北の対。その方向を目指すなら逢える人間は二人しかいない。今になって何故かしこまって面会する必要があるのか、首を傾げながらカヲルの胸に埋まった。小荷物継続中。
「流石に母上の手前、イチャこらしてはあれだ、名残惜しいが少しの間離れなさい」
「イチャこらしていたつもりはない」
「いらっしゃ~い、ちーちゃん」
「ご無沙汰してまーす」
そう。この邸の北の対には、カヲルの母親が棲んでいる。金髪碧眼美女、どう着崩せばそうなるのか、薔薇柄の十二単から覗く胸元は深い谷間。十四でカヲルを産んだ母上はまだまだ若々しくマドンナもびっくりのお色気である。
「クウガ、お前もこっちこーい」
「…………」
「まぁだふてくされてんのか」
「察してあげて」
母上の影に隠れ、ひたすら筆を走らせているのはカヲルの義兄弟。クウガという名の、七歳の男童だ。カヲルが先帝の子なら、クウガは謀反者の子。母上は先帝の側室でありながら、謀反者の一人と浮気して子供まで作ってしまったのだ。
母上は毒婦として、クウガは不義の子として御所から追放され、カヲルと共にこの邸で暮らしている。
クウガがこの事実を知ったのは謀反のあった夏のこと。御所では他の御子と分け隔てなく皇子として育てられていた分、傷が深い。口を結んだまま毎日半紙に向かい、黙々と絵を描き続けるばかりの日々だ。
先帝が認めているだけあって七歳が描いたとは思えぬ見事な絵である。
「綺麗な桜ね」
「…………」
「どこにある桜を描いているの?」
「…………」
返事はなく、筆も休まることがない。どうしたら筆を置くのだろうか、白い手は肘まで墨が染まり黒ずんでいる。
「母上様、ぶしつけながらお訊ねしますが、クウガはお風呂に入っていますか?」
「ぜ~ん、ぜん! 子猿みたいに嫌がるのよ」
母上がお手上げポーズで首を振る。
「ねぇ、クウガ。このままだと綺麗な手が台無しよ。夜に溶けてしまいそう」
「…………」
「お姉ちゃんと一緒にお風呂に入ろ?」
「…………」
クウガに反応はないものの、背後でカヲルが涙目でブンブン首を振った。
「クウガ! 俺より先に千とお風呂でイチャラブなど断じて許さんからな!」
「俺よりて、いつか入る気でいるのか変態陰陽師」
「くそうっ! 千のGカップは俺のもんだ!」
──ちょと待て!
「な、なななななんでサイズしってるの!?」
「な、何をいう。推測だ。揺れ具合でわかる。決して千の部屋のタンスの二段目は覗いてな──」
「二段目アウト──!」
「バチャン」
「G……だと?」
カヲルが私の下手投げで池にダイビングした次の瞬間、ピクリとクウガの肩が揺れ、筆もとまった。
「入る」
「よかった! いこ、いこ」
私に似て困った子……、と嘆く母上。母上は湯殿へ退く私達を見送ると、藻屑だらけのカヲルに声色低く詰め寄っている。
「ちーちゃんの叔父さん、独身で間違いないでしょうね」
「証拠の戸籍謄本だ、間違いない」
「よっしゃ、堕としたる!」
「じゃ、そゆことで」
その風景は誰がどうみても娼妃と妾。ホストとキャバ嬢。見てはいけませんっ、とクウガの背を押し足を急がせた。