ちょと待て
神社の朝は早い。朝拝にあわせ御出しできる様、四時に起床し神迎え御膳を二時間かけて調える。神様を御迎えした後はひたすら境内の掃除だ、お社に降り積もる落ち葉を払っていると、隣接する道場から激しく竹刀を打ち鳴らす音が聴こえた。
まだ六時過ぎだというのにカヲルとじーさんが道着姿で打ち合いをしている。カヲルとじーさん?
「いつの間に来てたんだ、あの変態陰陽師」
今日は平日の金曜日。カヲルに会うのは先週末以来、五日ぶりだ。明日鏡都に渡る予定だったから、不意をつかれた気分。
「おじいちゃんと対等に打ち合えるなんて凄いわね。あんた、いい男捕まえたじゃなぁい?」
ぼう、と突っ立っていると同じ竹箒を抱えお母さんが並んだ。格子の隙間から親子揃って覗き見る。真剣に打ち合う二人は遠目からでも凄まじい迫力だ。
実はじーさん、剣道界では名だたる重鎮らしい。師範として道場で竹刀を振っていた頃は、入門待ちが現れるほど賑やかだったという。私がまだ小さい頃に腰を痛めてしまい、引退後の今は貸し道場としてなんとか機能している。
そりゃ、じーさんがどんなに強かろうと、カヲルだって一時期は近衛大将に即位したほどの剣才なんだから──、ってお母さん!
「べ、別にカヲルはそんなんじゃ」
「ふーん……別にそんなんじゃ?」
「か、カヲル!」
ぬっ、と背後から巨神兵が。
竹刀を担ぐカヲルの肩は激しく上下し、この寒い冬の朝に首筋まで汗を流している。
「あのじーさん何者だ? 腰痛めてなきゃこっちがやられていたぞ。まぁ勝ちは勝ちだ千速、許しをもらったから着替えてこい」
「は?」
「文化祭の振替休日だろ? 修行は明日、今日はデートだ」
「……デート?」
あぁら、ラブラブじゃないー、お恥ずかしいですお母さんー、なんてキャッキャ言い合いしながら親子のように実母と変態二人が家の中へ入っていく。
後を追う気になれず再び格子を覗けば、じーさんが生まれたての子鹿のようにふるふる腰を押さえていた。
「大丈夫か、じーさん!」
「因果応報というやつか……ごふっ!」
朝飯前に死なないで!
抱き起こしたらなぁんだ、まだ生きてたや。
「じーさん、も少し生きたい」
「まったく、カヲルったらじーさん相手に少しくらい手加減すればいいのに」
「いや、先に挑発したのはじーさんだ。最初は小手調べ程度だったんじゃが、熱くなってしもうて。まさか本気でやって勝てんとは……わしも年じゃのう」
「九十近い長老が何言ってんの」
じーさんがこの状態なのでデートは辞退したのだが、朝食後にはお母さんに巫女装束を剥ぎ取られ、無理矢理着替えさせられ、玄関前では家族総出で見送られた。ちなみにカヲルはいない。駅前で待ち合わせ「待った?」「ぜんぜん待ってないよ」をご所望です。何故私がカヲルのドリームカムトゥルーに付き合わねばならんのだ。
「まったく、駅前ったって広──」
探す手間ないわぁ。
駅の正面改札口がハリウッド俳優、空港出待ちみたいな大入りですよ。群がる女子にサインしてるけど、何様ですかアナタ。
「……待った? 待ってないよね、どうみても」
「うむ、待ってない。千速も俺のサインいるか?」
「いらな──」
問答無用で手のひらにサラサラっと書かれた。しかも油性ペン代表格マッキーで達筆に「坂田金時」て、これ皆さんもらって嬉しいの?
「んじゃ、参りますか」
「う、うん」
切符は? あ、私チャージしてあるから大丈夫。なんて普通にやり取りしていたら本当にデートみたいでドキドキしてきた。デート? これ、デートなのかな。カヲルだってはっきりデートって言ってたし。デデデデデートて、軽く言いましてもね、私にとっては人生初の初デートなのですよ。私の初めてはカヲルが尽く奪っていくおつもりですか。
「カヲル、で、デートて、どこいくの? 私、普段外出しないからわからなくて」
「大丈夫だ。俺に任せろ」
「そ、そう?」
お任せだなんて、益々デートっぽいじゃないですか。電車乗り込んで、微妙な距離空けても、掴んだ手すりのすぐ傍にカヲルが立っていて。袴姿のエセ外人ならまだしも、白シャツにジャケットをフォーマルに着こなしていてコーディネートも完璧だ。今日のために買い揃えたのかな、なんて想像すると余計に意識してしまう。
「……五日では、顔色は戻らんな」
「え」
「可愛いよ、千速」
カヲルの冷たい手の甲が頬にあたり、肩を竦めた。
私が着ている服はデートなんだからちゃんとめかしこめと、お母さんに強制着用させられた古着のワンピースだ。「流行は十年で帰ってくる」なんて言ってたけれど、本当なのかしら。
「せっかくだから、髪もほら」
「あっ」
小首を傾げている間に、きつく結っていたおさげのゴムをほどかれてしまった。カヲルの指が私の髪をほぐしながら顔回りを何度も往復し、身体中から湯気がでるほど恥ずかしい。
「ほらもっと、可愛くなった」
もっと、可愛い……私が?
「どこが」
「ない、ない」
「眼鏡女が調子乗んな」
恥死してしまうほどの台詞は車両内にいた女子からの蔑みによりかきけされ、なんとか目的地まで持ちこたえることができた。
言われっぱなしも不公平に思い、改札出口でカヲルの後ろに並び、顔が見えないことをいいことに呟いてみる。
「カヲルの今日、の、格好、いいと思う…………っぶ」
急に立ち止まられ、カヲルの背中に顔面突っ込んでしまった。振り返ったカヲルの顔は満面の笑みだ。
「──、だろ!?」
「は、はぁ」
「千速が今やりこんでる乙女ゲーム《妖し学園》で攻略対象の眞壁先輩のデートスタイルをもろパクリしてみた」
──ちょと待て!
「登下校の僅かな時間を利用しこっそり楽しんでるだけなのになんで知ってるのぉ!?」
「陰陽師に不可能はない。千速のアバターから俺のアバターへ友達限定アイテムをプレゼントしようと企んだ末、みつけたなんてことは一切──」
「プライバシー侵害!」
「ぶふっ」
回し蹴りかました先でチラシ配りのメイドに「おかえりなさい、お兄ちゃん」と声をかけられ、両手紙袋のお兄さんに「カヲル君、今日もセントラルドグマへ襲来か」と手を差しのべられている。
「俺の島へようこそ」
「一週間で秋葉原攻略してんじゃないわよ」
そりゃお任せだわ、と溜め息ひとつ。カヲルが今持てる電子機器はじーさん名義のスマホ一台。折姫の袿を売った金で、ここぞとばかりに大人買いしに来たんだろう。さしづめ私は荷物係。
「俺を馬鹿にしても、秋葉原を馬鹿にするな」
「秋葉原という水に浸かりすぎでは」
「スーファミしかない不知火家が悪い」
「あれはお父さんの婿入り道具だ」
「進化がないところをみると、不知火家には山の神がおるな」
「お母さんという名の鬼がね」
不知火家は女家系だ。
じーさんは分家から養子にきた稀なケースで、通常は長女が当主となり婿養子を迎える。私のお父さんは平凡なサラリーマン、家計の大半をお父さんの給料で賄っているというのにその扱いは狛犬以下。ゲーム機を買うお小遣いなんて到底もらえやしないので、ゲーマーが婿入りするかもしれないっ、と密かに心を震わせている。
我が家はカヲルにとってゲート、ただの通過地点でしかないのに。私みたいに夢をみたって、いつか必ず別れる日が来るのに────に、に、にゃ、にゃにゃにゃにゃにゃにゃ?
「にゃんですかぁ、この素敵なお店は!」
「メイド喫茶だ。──猫のな」
メルヘンな森のなかの店内で、メイド服無理矢理着せられた猫ちゃんがムラムラと「いらっしゃいませにゃーん、お嬢様」とキラキラ上目遣いで出迎えております。ダイブ、猫という名の不思議の森の中へダイブしていいですかっ。
「想像以上の食い付きだな。いつかの俺のような気色悪い手つきをしているぞ──て、聞いてない」
「はふぅーんっ、猫ちゃあんっ!」
「猫相手に嫉む俺って……」
隅っこのソファでクリームソーダ抱いて拗ねるカヲルを気にも止めず、三時間コースたっぷり猫と戯れる私。夢から醒める頃には私が猫のようにズルズル路地を引きずられていた。
「ここは……?」
「神社だ」
人一人分の狭い路地を抜け、どんなマニアックな店へ連れていかれるんだと思えば、突き当たりに小さなお社が建てられているだけの簡素な神社が現れた。カヲルならしゃがまないと通れないような低い鳥居の前には可愛いお稲荷さんが置かれているが、柵で隔てられ触れられないよう細工されている。
それをカヲルは何を思ったか、土深く埋められた柵を力ずくで取り外しにかかった。
「なっ、罰当たりな」
「後でなおしゃいーだっ、ろっと」
「そういう問題じゃ……?」
柵はあっさり外れてしまい、辺りに土が散らばり石畳が汚れる。お掃除しなくちゃとオロオロ箒を探す間にカヲルがお稲荷さんに触れ、その瞬間狐の眼窩に蒼白い灯りが点った。有無もいわさず私の腕を掴みとると、心の準備なく強制的に触れさせられる。手のひらから感じるのは豊かに流れ込んでくる清々しい霊気。
「ここは東京で唯一火の神を祀る社だ、失った霊力を補える。──ん、上等だ」
「そう、なの?」
よくわからないけど、頭をよしよし撫でられ気分はいい。
だがこの時、私の背を撫でる西陽は赤く街を染め、門限間近だった。私が猫カフェで大いに時間を潰したせいで、カヲルの買い物袋ひとつなく帰宅を余儀なくされたのだ。荷物係が手ぶらで申し訳ない。自宅へ上がる勝手口を前に、カヲルの空いた手へ謝罪した。
「ごめんね、私ばっかり楽しんじゃったみたい」
「千速が楽しかったなら、それで充分だ」
「でもカヲルは……」
帰り道、ずっと上の空で私の前を歩いていた。本当は今日限定発売のフィギュアでも買いたかったんじゃないかなぁ。
「また明日。──また、明日だ」
カヲルはそう言い残し、原点回帰するように道場へと足を延ばした。夕食の席には居間へ現れたが、皆にデートの感想を訊ねられても反応は少ない。いつもなら質問に対し「三倍返しだ!」的に質問者が死んだ魚の目になるまで喋りつくすのに。
翌朝、二人で鏡都へ渡る時もカヲルは虚ろな態度を保ち続け、着いた後なんて私と向き合ったまま動こうともしない。ついに私の我慢の緒が切れた。
「そんなに欲しいものがあったなら神社なんて行かないで真っ先に買いにいけばよかったじゃない。来週にはない限定アイテムなの?」
「千速……、いや、千」
「それとも、また私カヲルに何かした?」
「駄目だった」
「え?」
「総て奪われた。もう手の尽くしようがない」
「どういうこと──」
ぎゅ、と抱き締められ、脱力した身体をカヲルの胸へ預ける。どうした、オレオレ詐欺にでもあって大金丸坊主か。
「いいか、千。年を越す前には修行を終える。そのつもりで気張れ」
「は、はい──」 急な話でビクッと身が固まる。
「お前と縁を切るといっとるんじゃない。これは時間との戦いなんだ、千を護るための」
「私を……?」
カヲルの薔薇の香に包まれながら、その先にみえる部屋をじっと眺める。何時もなら漫画本や巻物で足の踏み場がないその一間はまるで引っ越し前夜のようにダンボールが高く積まれ、無弱な空気が漂っていた。