それぞれに、色々と‐弐‐
「俺は……、千を泣かせたか」
振り返ると、金髪に風と悲愴感を漂わせたカヲルが真後ろに立っていた。
「気配なしに近付くな、怖くて泣きそうになったわ」
ズザザーッと遠ざかる。従順すぎてまた怖い。
「二人とも幸せそうだったね」
「ふん。新婚なんだ、当然だろ」
「私もいつか、帝様みたいに素敵な人と結婚できるかな」
「…………」
変な間が空いた。
私の乙女発言はそんなに不気味ですか。
「千も、帝がいいか」
「ザ、陰陽師ってかんじがね」
妖し多き鏡都では最も強い陰陽師が国を統治する。十六歳で先帝を超えた帝は未曾有の天才と謳われている。
底無しの霊力に帝らしい覇気。
黒髪黒瞳の女らしい妖艶な顔立ち。
「現代の安倍晴明!」
「悪かったな……どうせ俺は金髪碧眼、陥落皇子ですよ」
今年の夏、カヲルは祖父である右大臣の謀反により御所を追われ、冤罪により皇位を剥奪された。玉座を譲るばかりか、貧しい港町に流されてしまった憐れな陰陽師である。
能天気に田舎暮らしを楽しんでいるかと思いきや、意外と未練があるのかもしれない。母親譲りの華やかな顔立ちもコンプレックスか?
「全国の地味顔に手をついて謝れ」
「アイプチつけまつげでお化粧頑張る女子高生には怠惰なお前が謝れよ、青春無駄遣い娘が」
涙声でツッコみ返されても。
「折姫にもらった巻物を母屋へ持ってこい。教示してやる」
「わーいっ」
したたたっ巻物を抱き母屋へ直行。酔い醒ましに熱い茶を淹れ茶菓子を探すが、干し芋が見当たらない。一年分はあったのに、何処へいったのだろう。まぁいいやと茶を運べば、掛け軸のかかった床を前にデン、とカヲルが居住まいを正していた。いつもは縁で胡座をかいているのに珍しい。師匠っぽい。俄然やる気が出て参りました。
そんな師匠に美味しいお茶を飲ませてあげたいので今日はリスがいいっ!
と、意気揚々に巻物をひろげ指を差したが、カヲルの教示はひとつでは終わらなかった。
「ジャンプ一冊、一説じゃないの?」
「千に買ってもらう必要がなくなった。干し芋が袿に換わってな、鏡都の着物は日本で大金になる」
「だから姫様は身軽だったのか」
「これからは己で買う」
甘味に目がない折姫に干し芋を献上して金にするとは、なかなかの藁しべ長者だな。
そうするとなんだ、教示に払う対価がなくなってしまったではないか。
「もう……教えてもらえないってこと?」
「そう不安がるな、約束は約束だ。千が一人前の陰陽師に育つまでは俺が面倒をみる。お前のクラスメイトが泡吹いて驚くくらいにな」
カヲルがウサギの折り紙に命を吹き込む。うつ向き瞼を伏せたまま小さく、そしてはっきりとこう言った。
「……早く覚えて、早く帰ってくれ」
*
私には陰陽師の素質がないんじゃないかと思う。リスニングが弱く何度も聞き返してしまったし、二、三成功させただけで霊力が底をつきお開きとなった。
惰気を背負い着替えもままならぬまま、帳台のふかふかベッドへダイブする。
「久しぶり、ミケ」
心なしか元気のない仔猫をぎゅうと抱きよせ目を瞑る。お布団にミケが埋まるだけで体感温度が急激に高まった。この冬には湯たんぽ代わりに欠かせなくなりそうだ。
越冬するほど、長くはいられないかもしれないけど。
「ねぇ、ミケ……私ね、集英社が潰れない限り、この関係は続けられると思ってた」
夢見る夢子ちゃんですか、私は。カヲルはそんなこと一ミリも考えていない。カヲルにとって私は、ジャンプを持ってきてくれる女子高生でしかないのだから。そのジャンプが自分で買えるとなれば、いまや私はただの冴えない女子高生。つけまつげをつけた色っぽいギャルならまだしも、根暗なおさげ眼鏡女子。
「カヲルって、本当に優しいよね」
「……にゃ?」
すぐにでも厄介払いしたいだろうに、ちゃんと教示を受けさせるところが律儀だ。
「カヲルみたいに優しくてカッコいい陰陽師には、もう二度と出逢えないだろうなぁ」
「にゃあ?」
「見た目白馬の王子様が陰陽師だなんて、反則だよね」
「にゃぁあ!?」
布団の中で丸い毛玉と化していた仔猫がひょっこり顔をだした。目を丸くしちゃって、ご主人様が褒められるのがそんなに嬉しいか。
「ミケは、カヲルに愛されてるんだね」
「に、にゃあ」
「私も猫になれたらいいのに」
猫なら傍にいられるかな。ミケのように可愛がってもらえるかな。
「あはは……でもどうしたって、私は飯代かかる厄介者だ」
優しいカヲルのためにも、ここは超特急で立派な陰陽師になってみせようじゃないか。
折り紙の折り方だけでも完コピしてやろうとガバリ起き上がり、巻物を、紙をぶちまけた。灯籠の灯りだけを頼りに順序よく折っていく。
ミケはそんな私を寂しそうにフルル震え、見据えた。
「ごめんね? 先に寝てて」
「にゃぅ」
消え入りそうな鳴き声で、口を尖らせる。おやすみのちゅうをご所望ですか。
「ごめんね……もう、ミケたんとはキスできないの」
「にゃぁあああ!?」
鋭牙がキラリ光る勢いで大口をひらき憮然としている。物凄い震えてる。大きな眼がうるうるさせてますが、猫って泣くんですか。
可愛いすぎるのでキスの代わりに一度抱き締め、お布団にくるませてあげた。
「だって……カヲルの感触、忘れたくないんだもん」
ぽぅ、と頬が赤く染まるのが自分でもわかる。
あの時、カヲルの顔が近付く間に頭突きでもすれば、キスは回避できた。でも私の身体は待ち望んでいたように動かなくて、その瞬間は歓喜に満ち溢れていて──。
カヲルに恋をしている自分を認めざるを得なかった。
私は残り少ない高校生活を、失恋する恋に費やすんだ。そう思った。
だからこそ記念すべきファーストキスになったし、暫くは余韻に酔いしれたい。
──会えなくなるのなら、尚更。
「ごめんね、ミケ。……あれ?」
あんなに目が冴えていたのに、お布団にくるまった瞬間白目をむいて堕ちている。震えていたのは、寒かったからなのね。
「おやすみ、ミケ」
ミケを一撫でした後は海にかかる朝靄がみえるまで、私は一心に折り紙を折り続けた。
*
「どうしよう……っ!」
夜更かしが祟り、気が付けばお日様が昇りきっているではないか。誰が運んでくれたのか、灯籠の前で座っていたはずの私はしっかり布団にくるまり大の字で眠っていた。眠り込んでいるのをいいことに、今度こそカヲルに置いていかれたかもしれない。
帯も締め終えぬまま帳台を降りると、当のカヲルはこちらに背をむけ膳を囲っていた。
「遅い。もう昼膳だ」
「ご、ごめんなさい」
ご機嫌斜めのままだが、取り合えず置いてきぼりをくわずに済んだようだ。ホッと胸を撫で下ろし、カヲルと肩を並べる。
「昨日は……すまなかった」
「え?」
「早く帰れといったのは、その……昨日だけの話だ。酔いが回って気分が悪くてな。日本へ早く帰れといったわけではない、勘違いするな」
「そうなの?」
そういえば土産の酒飲み干したっていってたっけ。
言われてみればカヲルの顔はまだ赤い。二日酔いって赤くなるんだっけ?
「俺をキュン死させるとは……恐るべし……ツンデレ」
「どうした。最近はまったエロゲの話か」
「依頼人がお待ちだ。さっさと食え、18号」
「人を人造人間扱いすんな──な、なに、なにっ、やめれ!」
「一生可愛がってやる畜生ぅう──っ、がは」
いきなり頭をなで回してきたので背負い投げ。
あぁ、もう胸がいっぱい。と膳をほとんど食べ残し、そのまま退散したので具合が悪いのかと思ったが、馬に乗る頃にはご機嫌も直り、いつもの気色悪い変態陰陽師に戻っていた。