卒業です
「カヲル……」
大丈夫? なんて──軽率な発言を手前で飲み込み、自室のベッドに腰を埋める。先に座っていたカヲルは私の右手に大きな左手を被せ、意を決したようにこちらへ肩を捻った。
「後から部屋へ入室してきた彼女がベッドに並んで座る。これはもう暗黙の了解と受け取ってよいのだろうか」
「うん、後五分もしたらお茶とお茶菓子もったお母さん入室という悲劇が待ってるから少し理性を保とうか」
「うんって、言った!」
そのシチュを想像してか顔面両手のひらで覆い、小刻みに震えている。
話が決着し解散となり、居場所を追われた私達は部屋へ退き今に至る。お母さんが尻を叩いて急がせたのはカヲルを思ってのことだろう。
もう二度と故郷へは帰れない。
話はそれだけではなく、出生を真っ向から否定されるような歴史に加え、滅亡が先読みされた母国を見捨てろと言われたのだ。
正気ではいられない──隣に座る私もまた日本人であり、カヲルに国を捨てさせる当事者。
「……私、いないほうがいい?」
「いや。絶対、襲わないって誓うから……今は離れないでくれ」
再び被さった手のひらはぎゅ、と子供みたいに力を込め握られた。
「実はな、婿入り後は一切の往来を禁ずると先帝に言われていた。故に皆との別れは心に踏んでいたつもりだ」
「うん」
「だが滅亡とは……、少しからず……その、動揺している。帝や折姫を想うとな」
「うん」
カヲルに猶予がないわけではない。じーさんが午前中既に皆を説き伏せてくれていたのだが、母上とクウガをこちらへ喚び寄せる段取りに一度、鏡都へ渡ることを許された。意を返せば戻れてしまう。国の真意を伝えぬまま別れを成すことで、カヲルもまた当事者の仲間入りというわけだ。悪く言えば共犯に手を染めることになる。
それぞれに黙然と想いに耽り五分後、ノックもなしに部屋の扉を押し開いたのはお母さんでもお祖母ちゃんでもなくじーさんだった。
「なんじゃ。肌と肌で慰め合うておったのではないのか」
「そうだったとして、どうする気だったの」
「勝手に話し進めるから続けてよいぞ」
「もうもの凄い辱しめを受けていたのね、私たち」
「私たち……!」
そのシチュを想像してかカヲルはまた顔面両手のひらで覆い、小刻みに震えている。
「じーさんが辱しめを顧みず来たからには、皆の前で話せない話題だよね」
いい話しであることを願う。
「ご明察。気休めにしかならんがの。いや、カヲルにとっては罪と罰か」
「罪と罰?」
「ほれ」
ポフリ、と手前のテーブルに捨て置かれた白い紙は、友チョコ作りで忙しく、一昨日投げ返し忘れたカヲルからの恋文だ。カヲルが犬のように食らい付いてきたので空かさず私もパシーン手の内へ納めた。悪いがカヲル、私は小学生の頃神童と謳われた百人一首の名手だ。
「やめてぇえええええぇえええええお願いだからこのタイミングで読まないでぇえええええ」
「心配するな、後世に語り継いでやる」
昼休みにでもこっそり読もうと思い、学生鞄に入れてたんだっけ。文を開く前に「とーても可哀想だから」とじーさんに制された。
「今件の原因だ。文に七歩蛇の卵がついとった。まったく祓いもなしにこちらへ放り込みおってからに」
「え……? じゃあなにか、滅亡の予兆なんかじゃなく、単に手紙に妖怪がくっついてたってこと?」
「ご名答。妖怪大騒動はカヲルくんの凡ミスでした。陰陽師家だけでなく政府まで動かしおって、皆にバレないかハラハラしてたんだからねっ!」
じーさんは女子高生みたいに可愛い膨れっ面でぷん、と明後日を向いた。それはとても眼に堪えられるものでなく、チラリとカヲルへ視線を横流しにしてみる。
「酷く醜い怨て、まさか──」
「そういや筆をとる直前、七歩蛇退治に行ってたっけ。てへ☆」
メガサイズの七歩蛇を生むほどの怨て、どんな呪い文だ。
カヲルも魔女っ娘さながら可愛くウインク決め込んだが、とても眼福に価するとは思えず両瞼を伏せればその先には幸か不幸か恋文が。
「しんしんと雪積もり溶け知らず頃、愛しい貴女は澱み空のなか一人美しく咲き誇っているのでしょう。その姿を想い描いては涙を流し墨を滲ませる日々。私がこうして泣き伏せる間にもあの愚兄と愛し合っているのだと想像しては寝取っておけば良かったと初めて出逢ったあの日を空想し逃げ惑う白い太股を掴み容赦なく」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁなんでもいうことききますからそれだけはこえにだしてよまないでぇぇえええええ」
この先は口に出して読める代物ではないが。向かいからげふん、げふん、咳払いが聴こえる。
「……だからといって、鏡都の滅亡は憶測ではない。私だけでなく全国の陰陽師が占でみている未来──龍穴の出口であるこの東京は妖怪の巣窟となるだろう。何十年後かには、必ずな。その時にはもう私はいない。お前たちがこの国を護るんだ。カヲル、お前は鏡都で果たせなかったその役をこの不知火で全うせよ。──いいな」
「はい」
「はい」
それだけ言い残し退くじーさんに慰められたんだか、気を引き締められたんだか、二人顔を見合わせ笑い合う。
「これも運命か──、最初から答えは決まってるんだ。流されるまでだな」
「うん」
「そうと決まれば子孫繁栄、子作りだ」
「うん」
「…………あ? あのー、千。その、冒頭から予期するものがあったが念のために確認だ、うん、は肯定を示すものだよな」
「うん。肯定してるし、千速だよ」
「千速、この状況下で眼鏡を外されるとか、耐えがたいぞ」
「うん」
「千速」
「……うん」
「──愛してる」
じーさんがいても握られたままだった手は自然と絡み合い、二度目となるキスの後、枕に沈んだ。
三十秒後、ノックもなしに部屋の扉を押し開いたお母さんの手からお茶とお茶菓子が吹っ飛んだのは言うまでもない。
*
青春最後の一ページを飾る卒業式、早朝に自転車置き場で待ち合わせをしていた私とアッシーは互いの手作りチョコレートを交換し合い、むふふふ含み笑いをした。
七歩蛇退治のあの日の夜、アッシーは車内で私宛の友チョコをブンブン振り回していた。互いにあげ損ねたチョコを今日という門出の日にあわせ、少し早いホワイトバレンタインを企画したのだ。
「友チョコ言うよりは、兄弟チョコやけどな。千速とはいやでも長い付き合いになるわ」
「むふふふ、そうだねぇ」
これは芦屋家が望んだことだが、カヲルは不知火家の婿入りに備え、一早く芦屋家の養子入りを果たした。最も合法的といえる日本国籍の獲得だ。事実上アッシーとカヲルは義兄弟となり、婿入り後は私もアッシーと義兄弟。涎がとまらない未来がすぐ傍に。
「結婚は早くて二年後やのに、えらい自信やなぁ。正直斜め横前後ろどこからみてもチャラそうな義弟や、泣かされても知らんで」
「カヲルのこと、信じてるもん」
お母さんに目撃されたあの日から一ヶ月、カヲルは私の部屋に足を踏み入れていない。キスどころか指一本触れようとしない。あの日は健全な男子として誘惑に逆らえなかっただけだっ、と至極カッコ悪い発言はあったものの、婚姻するまでは我慢すると誓ってくれた。まぁ恐らく、それが遠い二年後だということを知らないのだけれども。それを知った時のカヲルの反応が楽しみだ。
されとて、あんなに一心に私を想ってくれているんだもの。いつか裏切られてもカヲルは悪くない、私に非があると思う。
愛想つかされないように努力しなくちゃと、身も心も引き締まる。
「よっぽど如月君の方がええと思うけど」
「じゃあ、アッシーが唯斗を狙えば」
「アホいえ、如月家と芦屋家は相性最悪や」
アッシーは私よりずっと占術に長けている。なんでも転校前の京都の学校では芦屋の苗字が敷居を上げ、クラスメイトと馴染めなかったらしい。そこで極めたのが女子高生の大好物「占い」。アッシーの涙ぐましい努力に、改めて怠惰だった自分を悔いました。
「アッシーの占いでは、カヲルより唯斗との方がうまくいくってこと?」
「まぁ、千速にふられた彼方さんは間違いなく人生のほとんどを損したことになるわな。せやけど千速は別やで、なんてったって、不知火家と芦屋家は相性抜群や」
「そうなんだぁ」
アッシーのお父さんが積極的にカヲルを養子に迎えたのは、そういった配慮もあってのことなのだろうか。だとしたらじーさんが芦屋家にえらいペコペコ頭下げていた所為に納得がいく。
因みにふった覚えはないが、「友達になってください」と書かれた私の手作りチョコを唯斗が教室でお披露目してくれたお陰で、嘘の婚約騒動は綺麗さっぱりクリーンアップされた。
今日は告白ラッシュの卒業式、唯斗の高校最後の一日が青春無駄遣いにならず、私としては安堵している。
「それじゃ、また放課後な」
「うん」
さあ、あと数時間の辛抱だと気勢をあげ廊下を突き進む。
教室での私の扱われ方は変わらない。いや、酷くなっている。
一歩踏み込むだけでザザーと生徒の波が退く。
それは虐げではなく恐怖だ。
何百人という生徒が目撃した妖怪大騒動は蛇の異常繁殖で片付けられ、報道は一日で終わった。宙を浮く私の映像は山ほど存在したがニコ動アップ60秒後には消去される。週刊誌で真相を語った生徒は翌日休み、その次の日は×印のついたマスクをつけ登校していたらしい。その記事が載せられた週刊誌は世にでる前に回収されている。ネット上、どこで検索しても不知火千速の名前はヒットしない。ツイートすればユーザーごと抹殺される。
──本物の妖怪女だ。
担任の教師にすら人間扱いされていない。卒業証書を受け取ることができるか、ちょっと心配だけど私としては今日より明日のことで頭がいっぱいだ。
鏡都へ渡る、最後の一日なのだから。
限られた時間のなかで折姫と何を話そうか、ぼんやり思考を働かす間に卒業式を終え、五分咲きの桜並木を駆け抜けた。私を呼び止めたのはアッシーではなく、学ランのボタンを見事に剥ぎ取られた唯斗だ。
「相変わらずのモテようですね。収穫はあった?」
愚問か。頬にくっきりグロスのラメがついている。私の視線に気付き、ごしごし擦るが取れる様子はない。
「こ、これは隙をつかれて」
「よっ、男の勲章だね」
「千速……!」
「なに」
早く校門潜って残念な高校生活終わらせたいんだけど。
「好きだ」
「……それ、友達として、だよね」
またいつもの歪み顔でジッと私を見据える。真意の扉が開いた今、図々しくも素直に受け止めている自分がいる。
「嬉しいよ。私も唯斗のこと、好きだった──小学生まではね」
「……俺を、恨んでんのか」
「確かに私を最初に低評価したのは唯斗だよ。でもそれは怠惰な私が原因であって、唯斗のせいじゃない。むしろ感謝してる」
冴えないおさげ眼鏡女子を突き通し青春を無駄遣いにしたからこそ、カヲルの萌えくじを引けたんだもの。
「それならもう一度、チャンスをくれないか」
「だぁめ」
「どうして」
「今の私はカヲルが創ってくれたの。だから、あげられない」
最後くらい、上手に笑えたかな。
さよならの後、校門前で手を振るアッシー目掛け、私は青春のラストスパートをかけた。




