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不知火家の事情

 帳のないガラス戸から強い陽射しが落ち、自然と目覚める。

 未練たらしく千との思い出をネチネチ譫言のように呟いているうちに、眠り込んでしまったようだ。

 見慣れぬ天井を見据えたまま枕元を手で探るが猫の気配がない。やはり霊であったかと、心寂しく想う。日本の神が俺を憐れみ仕えさせたのだろう。猫が居ぬなら世話はない、再び瞼を閉じ眠りを待った。


「まだ寝るの? もう待ちくたびれたんだけど!」

「は?」


 千の小五月蝿い声が聴こえたような。いや、幻聴だ。ようようヤバイな。だがこうして目を瞑っていても人影に陽光が遮られ、またいやに美味そうな出汁の匂いがする。様子を窺おうと目を閉じたまま寝たふりを決め込む。小さな嘆息の後に人影が消え、そろそろと薄目を開けた。

 その人影は水屋に立ち止まり、トントンと軽快な音を奏でている。


「千……?」

「千速だ」


 ガバリと起き上がり頭が眩んだ。鼓動が跳ね上がり呼吸がうまくできない。千速だと言われても、目の前の彼女は鏡都でそうしていたように袿を羽織り──白バラの花簪を、挿している。


「どうして……」

「泣くな。よく聞け」


 千はえらい男前に仁王立ちを決め込み、ふんぞりかえって息継ぎをした。


「私が唯斗の隣で幸せそうに笑ってた? ムツミさんに変な幻影見せられたんじゃないの。折姫は異世界の未来は絶対みれないっていってたもん。綺麗になったとカヲルに言われて嬉しくないわけじゃないが、この二ヶ月で私がしたことと言えば眼鏡を換えたくらいだ。愛用眼鏡をムツミさんに壊され仕方なく新調しただけだ、唯斗にあげたチョコは眼鏡屋を教えてもらった対価の義理チョコだ。いや義理チョコにも相当しない、アッシーという友達候補に告白するため誂えた友チョコを唯斗にカツアゲされたのだ。唯斗の暴挙暴言にはほとほと迷惑している、そもそも生理的に受け付けない、私は断じて唯斗と結婚するつもりはない。私が好きなのは、……あ? あー……その、ええと、あのぅ──」


 急にモジモジし始めた。いい、凄くいい。可愛いぞ。これはあれか、押し倒していい都合よしな夢か。


「私、いま……どんな顔してる?」

「男に無理矢理処女陵辱されている最中のような絶望を背負っt──」

「だー!」


 な、何故だ。都合よしな夢の中で尚且つ正直に語ったのに、フライパン投げつけられものスッゴい痛い。


「わ、私はね、その、感情が昂ると変顔になるの」

「変顔? そうか? むしろ下半身が昂るぞ」

「がー!」


 今度はなべぶたがブーメランに!


「思ってることが、真逆で顔にでるの。腹が立つとにやけるし、嬉しいと悲しい顔になるの。だから……だから……、今は凄く、嬉しいの!」

「俺が憐れで?」

「ネガティブ移っとる!」


 息継ぎ分が尽きたらしい、ぜいはぁ息を切らしている。その陰でクツクツと味噌汁が煮たる音がする。


「なぁ、飯食いたい」


 これは俺を憐れんだ神が与えてくれたまたとない機会である。俺は全力で楽しむぞ。千の手作りご飯堪能したら一緒にお風呂入ってベッドインだ。最後の最後で目が覚めるパティーンだろうから、敢えて朝から入浴シーンを投入だ。シレッと風呂で襲うもありだ、だとしたら何だ、先程の千の絶望的な顔は予兆か。


「あぁ……美味い」


 やはりこれは夢だ。

 この二月喉を通らなかった飯がスルスル入っていく。

 箸を忙しなく動かしていると「私も」と千が真向かいに腰を下ろした。

 この膳、俺の想像力が欠けているのか、またしても粥だがそれを囲う小鉢は甘辛い芋や出汁の強い青菜の煮浸しなど、目にも鮮やかで飯が進む。またとろみのある味噌汁がやけに美味い。


「あんなに馬鹿みたいにおにぎり買い込んで、勿体ないから雑炊にしたのよ。オカズは昨日の残りもんだ」

「この味噌汁は? 格別だ」

「すったキノコを溶かしてる。おいしいと思うのは多分……カヲルの身体が塩分不足だからだ」


 これまた格別な上目遣いで俺を見上げ、「このあとボロボロになるまで犯されるんだわ」みたいな悲愴感を漂わせている。完食したいからもう少し賢者モードでいさせてくれ。


「食べ終わったら、神社まで一緒に来てほしいの」


 命乞いか、千は箸を置いてまで目を潤ませ俺に懇願した。


「嫌だ。飯の後は一緒に風呂と決めている」

「お、お風呂?」

「これだけは譲れん」


 無駄に亭主関白決め込んでみた。

 千は口を結びうつむき暫くそうしていたが、折れてくれたようだ。


「わかった……」


 そう一言呟くと、その場でパサリと袿を払い、消えた。



            *



 ‐千速視点‐



「うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁあながあったら入りたい奈落の底でも地獄でも肥溜めでもいいから堕ちたいいっそ消えてしまいたいいいいい」


 カヲルが六畳一間を端から端までゴロゴロ悶え転がり十五分が経過した。どうやら風呂は回避できそうだと猫から人へ戻る。


「どうだっ、夜な夜な猫相手にデレる姿を傍観されるのは死ぬほど恥ずかしいだろう。私の気持ちがわかったか」

「はい、こんなことなら入浴シーン投入せずに押し倒していればと後悔しております」


 この短時間にどんな妄想繰り広げてたんだ。


「千に変化術を教えた覚えはないのですが」

「んなもん、カヲルがやってるのを一度みりゃわかる」

「スーパーサイヤ人並みの成長だなっ」

「……これで、おあいこだからね。許してあげる」


 ピタッとベランダ側の隅っこに貼り付いたカヲルはくぐもった声でこう言った。


「本当に……夢じゃなのか」

「うん」

「ならば、もう一度聞く。……どうして、ここへ?」


 位置は隅っこに変わらず居ずまいを正し訊ねられたので、私も倣い、互いの膝があたる距離で正座した。太ももを抱えるカヲルの指にソッと爪をたてる。


「カヲルは猫にデレる私のこと、陰で笑ってたんだと思ってた。もうすぐ自分はお姫様と結婚するのに、馬鹿な女だって」

「違う、俺は……!」

「うん、違った」


 近付きすぎたな、と思う。頭を下げたら、カヲルの膝に顔が埋まってしまったから。でも今更引き下がれないので、頭の中でずっと反復させていた言葉を声にした。


「カヲルが私を想うよりずっと、私はカヲルが好きです。不束で怠惰な私ですかどうか、お婿さんにきてくれませんか」


 カヲルもまた私に被さるようにして、ゆっくりと頭をもたげた。



「宜しくお願いします」



            *



 私とカヲルがボロアパートの隅っこで団子虫になっている頃、不知火神社に安倍宗家、五家そうそうたる陰陽師家が集結していた。帰るなり鬼の形相のお母さんに客間へ詰め込まれ、下座に座ればぞろぞろとヤクザ風情の神主達とその従者らしきチンピラが顔を揃えたではないか。

 カヲルが警戒し柄に手を添え、カチリと刃身を見せる。

 この物騒な空気を変えてくれたのはアッシーのお父さんだ。列の最後で爪楊枝をしがみながら、腹をさすり入ってきた。


「いやぁ、不知火家の御膳は下手な京料理よりずっと美味いなぁ。炊き込みご飯二膳も食べてしもた」


 私の隣で鬼面ぶら下げ口をつぐんでいたお母さんの顔が「あらぁ」と急に綻ぶ。


「見ての通り、もう昼過ぎや。神社の跡取り娘が無断外泊で朝拝もせんとは、親御さんはもちろん客の私らもいい顔はできんで」

「そうよ! 寝坊なんて珍しいと思って部屋覗いたらいなくて、心臓飛び出るかと思ったんだから! 朝出そうと思ってたオカズが冷蔵庫にないし!」


 お母さんの鬼面帰ってきましたけど、気付いたの朝だったんかい。主にオカズの心配だし。


「素直に謝ります、ごめんなさい」

「千速さんを叱らないでください、責任は総て私にあります」


 カヲルが太刀を鞘ごと床に置き、頭を下げた。アッシーのお父さんが苦笑いで頭を掻く。


「せやなぁ、同じ年の子をもつ親としては、許されへんで……えーと、名前なんやったかいな」

「カヲルと申します。一晩共に過ごしはしましたが、千速殿には指一本触れておりません」

「そうです、今後についてお話してただけです!」 猫で聞き役でメルヘンに。

「ほんとにー?」


 お母さん、顔乗り出して興味津々じゃないですか!

 カヲルがお母さんにねだられたら嘘つけない、みたいな息子キャラをかもし出す。


「確かに娘さんから顔を舐められたり、股間に顔を埋められたりしましたが私は一切──」


 ──ちょと待て!


「ま、毎晩夜這い企んでたゲスが聖職者ぶってんじゃないわよっ」

「な、なにをっ、平安貴族の婚姻の八割が夜這い、俺は正統派だ──ぐはっ」


 グーパンチで吹っ飛んだカヲルはじーさんに受け止められたが、よしよしされているその向こう側の領域がどえらい空気になってしまった。

 ごほん、咳払いをうったアッシーのお父さんがすんなりと本題へ入る。


「ほんで、話に決着はついたんかえ?」

「どうなんじゃ、千速」


 じーさんにも訊ねられ、カヲルと二人畳の縁に並び、膝を揃えた。


「カヲルを婿に迎えたいです」

「迷いはないな」

「はい」

「カヲルは」


 皺を寄せた冷眼をカヲルへ移す。カヲルは深々と頭を垂れ畳に額をつけた。


「千速殿と共に道を歩みます」

「国を捨てる覚悟は」

「とうに、ついております」


 一度上がった顔はお祖母ちゃん、そしてお母さんへ一礼ずつ。姿勢を正す頃には客間一帯に穏やかな空気が流れていた。


「この通りでございますじゃ」


 じーさんが声をかけたのは上座に座る壮年の男だ。その男は目を細め、おもむろに頷いた。


「では、この先の話は広言なきよう。不知火家当主、この日の語り合い、末裔となる子孫に継げよ」


 いつの間にやらお祖母ちゃんが消え、客席には茶菓子が振る舞われている。閑談するヤクザ一列を背景に、じーさんが淡々と語り始めた。


「平安時代に栄えた陰陽道を、現代まで伝承する家は今座を揃える安倍宗家、五家であると世には流れている。だが六家目となる家が影ながらに存在していた、それが我が不知火家だ」

「奇跡の世代か」

「じーさんは黒子か──はぅっ!」


 カヲルのツッコミに被せたらお母さんに盆で叩かれた。


「応仁の乱で血が絶えたとされているが、幕府に隠れ密かに長らえていた。だが当時残された子孫に継承者はなく、陰陽師家としてはとうに絶えていたといえる。その力を甦らせたのは、この私」

 

 じーさんが袖の中でもぞもぞと手を動かす。それだけで(敢えて治していなかった)カヲルの顔の傷が消えた。


「婿入り前の顔に傷をつけるな」

「申し訳ございません」

「千速に言っとるんだ」 バレてた!

「じーさんが甦らせたってどういうこと?」


 そもそもじーさんに力があるなんて知らなかった。


「鏡都の神に喚ばれ、力を養った」

「鏡都の神様……?」

「うむ。私が神に与えられた使命は日本で子孫を増やし継承を続けること。千速、お前のお母さんも継承者の一人だ」

「お母さんが?」


 お母さんに目を向けると不適な笑みを浮かべながら唇に指を添えている。それが客間へ向けられると、次には全員分の茶菓子の横に湯呑みがポンッと置かれた。どの湯呑みからも熱そうな湯気がたち昇っている。


「淹れたのは祖母ですので、ご安心を。千速、あんたももう少し待っていれば、高校卒業後には修行を始めていたのよ」

「そんなこと、一言もいってなかったじゃない。それ以前に私、何も知らなかった」

「この力は表向きに出してはならぬものなのだ、故にこのように陰陽師家が千速を警めようと顔を揃えている」

「え! つまりは陰陽師の力で金儲けはできないってこと?」


 遠くでアッシーのお父さんが苦笑いを溢している。


「さて、本題じゃ」


 じーさんは重い腰を上げ立ち上がると、神妙にカヲルの前へ座を下ろし手をとった。


「我々は陽に浴びぬ陰の下、力を養ってきた。鏡都が滅ぶその日に備えてな」

「鏡都が……滅ぶ?」


 不吉な言葉に身を乗り出し、カヲルがじーさんに問いかける。


「いいか、カヲル。この話は決して鏡都の人間に漏らしてはならぬぞ」


 親友が生涯身をおく世界に滅亡という二文字がちらつき、私の心臓が跳ね上がった。生まれ育った国だ、カヲルは私以上にずっと衝撃を受けただろう。

 そしてじーさんが躊躇いなく語る鏡都の歴史にカヲルの顔色が澱みを増していく。


「平安時代、方違えを誤り鬼に喰われ命を落とした東宮がおってな。それを嘆いた天皇が妖しの掃討を命じられ、当時宮仕えしていた陰陽師が御所の龍穴を塞いでしもうた。ただ龍穴を塞げば龍脈が滞り大地が朽ちるが、陰陽師が龍穴を塞いだ物が魔鏡。京都を鏡に映し世界を創造した。日本に巣くう鬼、妖しを封じ込める箱庭をな」


 その後京都の街では尼憎が総力をあげ、妖し掃討が繰り広げられた。街を跳梁していた幽鬼は総て鏡都へ流れ、鎌倉時代以降になると日本中で妖しの数が激減、それに準じて陰陽師家の勢力も衰えていったという。


「以後鏡都は重罪人を放り込む奈落として幕府の管轄化にあった。応仁の乱、輪禍の巻き添えにその闇に堕とされた陰陽師が不知火家当主だ。その御方こそが鏡都を奈落から人の国へ甦らせた救世主なのだよ。故に、カヲル。鏡都に住まう陰陽師家は不知火家の子孫だ。つまり私らは遠縁となる」

「重罪人……」


 カヲルは目尻に皺を寄せ、信じがたいような疑心を含む顔をした。

 柔和な語り口調だがその内容は極めて酷しい。天皇ご都合で作り上げた箱庭? 悪く言えば要らない物を放り込むごみ溜め場のようなものだ。母国を虐げられ身を斬られるような想いだろう。

 カヲルへの配慮がないまま話は核心へと迫る。


「鏡都の源は正に鏡そのもの。現在は宗家の守護下にあるが、ひと度割れてしまえば容易に世界は滅ぶ。そして近年、ついにその星回りを占めす凶が見え始めた。鏡都が滅び、再び日本中へ妖しが広まる日がな」

「それは……、いつ」

「何年、何十年後か。定かではない。だが昨日の騒動はその予兆といってよいだろうな、鏡都に繋がる龍穴は他でもない、学園の真下に存在するのだから」

「鏡都に繋がる、龍穴──」

「陰陽師が塞いだ龍穴はな、京都と東京を繋ぐ大龍脈だ。東京の龍穴は流れに対し出口となる」  

「うちら京都勢が東京へ移ったんも、出口の龍穴を守護する為や。継承者のおる家は鏡都崩落に備えほとんどが移り住んどるえ」


 アッシーのお父さんの言葉に皆一同頷きをみせる。


「せやさかい、有能な陰陽師が不知火家に婿入りとなると、我々としては大歓迎ってこっちゃ」

「何が大歓迎なものか」


 当主の一人が苦り切った口調で機先を制する。

 鏡都が滅亡すると占術で覚ってはいても、何時起こるかはわからない。確証がないのに鏡都の人間、何千という民を日本へ移すことなど不可能だ。ましてや罪人の子孫。日本国にはそんな憂慮も土地もない。

 見殺し──そんな言葉がふと脳裏に過った。

 


「今後一切、鏡都への関与を禁ずる」




お読みいただきありがとうございます。

結果的に、やっぱりかな、どうしてもかな折姫番外編になってしまいました……。

後二、三話で完結予定です。

お付き合いくださいませ。


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