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白薔薇の君

 ──返信くらいしろ。帰りは何時になる。


「帝め……、こんな夜更けにまで喚越しやがって」


 着信履歴を埋め尽くす束縛女か。日本へ渡るとすぐこれだ、半刻に一度は落とし穴のように転移魔法陣が現れる。

 

 ──また明日、こちらから連絡する。


 俺が一人泣きじゃくってないか心配なのだろう。

 この悲劇の幕を上げた張本人は他でもない、帝なのだから。


 人気のない住宅街を一人歩く。

 街灯はひとつとして落ちこぼすことなく煌々と焚かれ、真夜中だというのに松明がいらない。空を見上げれば仄明るく、どこまでも歩いていける気がする。

 寒さに含みをもつ生温い風。

 日本という国は誠に暖かだ。

 艶やかな灯り。

 一角曲がれば賑やかな雑踏が耳を掠める。

 だがその先は虚偽の世界──。

 温もりは真実を覆い隠し、灯りは心の闇を消す。眠気を堪え歩く人々は虚無の笑みを浮かべる。


 それが酷く寒々しいと、強く想う。


 自然に小さく抗い生きた鏡都を懐かしみながらも、日本の利便性には抗わず目的地を目指す。

 その猫をみつけたのは、一際明るむ店先だった。

 汚い路側にただ一匹、人魂のようにふわふわと縮こまる真っ白な仔猫。鏡都にて野性の猫を見たことがあるがそれとは異質のものだ。それに刻は丑三つ、猫の霊かと見間違うた。それほど穢れひとつないその毛並みに、血統の良さを物語る整った顔立ち。娯楽にしか興じぬ貴族等がそうするように、無責任な飼い主に捨てられたばかりなのだろうか。屋内で育てられていたのだろう、寒さからか恐怖か、全身が小刻みに震えている。


「これ、お前。家はどうした」


 硬いアスファルトに膝を下ろし手を差し出せば、懐に飛び込んできた。やはり寒かっただけのようだ、やけに人懐っこい。ちいさな背を撫でれば凍てついた毛が指に吸い付く。この美しい毛並みを汚してはよくない、そう思うと、ようやくに……しだれていた涙がとまった。


「俺と、来るか」


 この日の為に借りた部屋は何もない。猫を抱き眠れば寒さはどうにか凌げるだろう。その対価に腹を満たしてやろうと躊躇なく、すぐそばの自動ドアへ足を踏み入れた。

 鏡都ではいくら金があっても独りでは生きていけない。火鉢ひとつ独りではつけられない。故に民は村に集い、貴族は下女を侍らせる。

 日本という国はこの真夜中でも、生きる糧となる物が容易に手に入る。金さえあれば生きていける。独りで歩くことになんの抵抗もなく、そして誰一人とて気に止めない。

 それが酷く、恐ろしい。


「お前、何がいい」


 猫用の餌を手に取れば、袖のなかの猫は明らかに気落ちした。握り飯なら喰えるだろうかと、その列を歩くと自身も今日一日、何も食べていないことに気が付く。猫と暮らすことで暫くは生き長らえることができそうだ。

 二日分程度の食糧を買い込み、店を出る。目的地は然程遠くはない。


「遅くなりました」


 扉に声をかければ錠が外れる音と共に内からの明かりがこもれぶ。寝ずに待っていてくれたのだろう、不知火家の当主は重い瞼を上げ温かく出迎えてくれた。中へ入れば部屋は極に温かく、心地良さそうな敷妙が敷かれている。


「お気遣いいただき、ありがとうございます」

「ぼろアパートとはいえ、今時エアコンくらいはついてるさ。布団は餞別だ」


 ちゃんと食いもん買ってきたか、と袂を覗き、顔をだした猫に顔を綻ばせる。


「ご家族が心配されております」

「言われなくとも帰るさ、邪魔するつもりはない」

「あの……、母と義弟を、……宜しくお願いします」


 こちらに背を丸め、靴を履く当主の手がとまる。


「──ふられたか」

「はい」

「難しい孫ですまんな」


 当主はジロリとこちらを一瞥すると、手を小さく振り立ち去った。

 箍が外れたように流れる涙を猫が掬いとっていく。


「すまない……もう、この二月で泣ききったと思っていたのだが」


 だが不思議と猫に舐められると絶望の波がなだらかに治まる。


「お前に逢えてよかった。暫く世話になりそうだ」

「にゃあ」


 独りになり部屋を見渡せば、腰を下ろしていても隅に手が届くほど狭い一部屋。ふられた日のために、当主を保証人にして借りた部屋だ。自身を嘲笑してやろうと近隣で最も安価な部屋を借りたのだが、居心地はそう悪くない。うろうろと部屋を跨ぐ猫にそう自失もしていられず、包装を解き畳に握り飯を並べ端から喉に押し込んだ。黙々と口を動かすその動作を真似てか、猫も手前の物を恐る恐る啄む。

 苦い茶で流し込んでも最後に残るのは──千が食べさせてくれた、あの粥の味。

 このままでは一生飯が美味くないな、と目を細める。

 暖が焚かれていても冷え固まった身体は解れない、食後風呂に誘ったが猫は猫らしく、ぶんぶん首を振った。


 灯りを落としたが眠れる筈もなく、コンビニで着手した一冊の冊子を取り出す。


「にゃ!?」

「なんだよ、エロ本じゃないぞ」


 壁にへばりつくあまりの警戒に、以前の飼い主はやりたい盛りの中学生かと一人納得する。枕元に戻ってきた猫を頬に引寄せ、ページを手繰った。この国の職業一覧のようなものだ。


「警察官か……近衛に似ているが、肩が凝りそうだ。消防士に、看護士……」


 国を移したからには国家に尽くせる職業に就きたい。移住を決意した同じ日にそう決めていた。だが当たり前の如く国家公務員の一覧に陰陽師の文字はない。


「やはり、保育士だな」


 折姫と過ごした一年を思い返し、ふと顔を緩ませる。保育園で童子達と戯れる日々は眠る時間を削るほどに愉しく充実していた。


「俺が保育士を目指せば、また千はいつものように、折姫が好きだからーとか、女々しい男だと罵るだろうな」

「にゃあ」

「なんだ、お前もそう思うか」

「にゃあ!」 やけに鳴くな。

「それで千の気が休まるなら、そう言いふらしてもいいな」


 俺がこの国へ来たことは、千にとって大層な重荷になるだろう。折姫に未練があると思えば、やはりそうかと俺から目を反向けられる。華々しく女を連れて歩けば早い話だが、今の俺は以前のように女を軽々しく扱うことができない。千以外の女を、女とも思えぬ。それほどまでに魅せられてしまった──真っ白な、一輪花に。


「こんなにも愛した女は、二度と現れぬだろうな。今生、永遠」


 涙をぬぐう猫を手繰り寄せ、瞼を閉じる。

 初見は桜の向こう──折姫との別れを惜しみ、恥じることなく泣きせぐ彼女。

 最初に惚れたのはその情景だった。

 俺が折姫に失恋したのは事実だ。だがその虚空を一瞬にして彼女が埋めた。

 美しい佇まいにただ憧れ、遠くから見守るだけ──そんな日々が半年弱続いた。

 当時の俺は位にしがみつき、心のない女の元へ婿入りを決めていたような男だ。

 本家の跡取りである彼女の素性は折姫から聞いていた。到底手に入る女ではない。触れたところで傷をつけるだけ──そして、己が傷付かぬ様、静かに想いを募らせていた。

 俺を動かしたのは、帝だ。

 その膳立てに冤罪を着せられ皇位まで剥奪され、それは怨んだものだ。自身は玉座につきながら、慕い続けた女を正室に迎えたというのに。

 不合理だと泣きわめきながら半ば自棄で国を渡り、こうなったらどんな手を使ってでも堕としてやると行き逢ったものだ。

 その日、ずっと触れられなかったものに触れ、世界が変わった。

 二度惚れたのは、彼女の澱みない優しさだった。

 それは折姫のものと似た目映さで従姉妹同士ともあり、想いを重ねてしまいやしないかと畏れた。

 翌日、鏡都へ喚ぶまでは。


「これが面白いもんでな、千という女は折姫に似ても似つかんのだ」


 猫に独り言を溢しながら、千を愛おしく思い浮かべる。

 折姫は例えるなら「陽」そのもの。心に陰がなく、表面の彼女そのもののが彼女だ。

 比べ、千は「陰」の塊。翌日母屋で顔を合わせた千は気持ちがいいほどに、否定を鉄で固めたような真意の扉が顔面にドーン、と乗せられていた。

 境内で半年みとれ続けた美しい女とも違い、泣きわめく俺を慰めた女とも違う。ふて腐れ、可愛げの欠片もない女。

 その上面を引き剥がそうと必死で媚びたりふざけたりしたが、こちらが翻弄されるばかりで表情筋はびくともしない。こうなったら寝込みを襲い化けの皮を剥がしてやろうと、帳台へ上がれば見事剥がれた。千は猫相手に本腰入れてこう言った。


 ──私、カヲルと仲良くなれるかな。仲良くなりたいな。


 千は子供のように目を輝かせ言っていた。

 お前のような変態陰陽師大嫌いだ、ヘドが出るみたいな顔をしていたのに。


「俺が必死こいて探した真意の扉の対価が、猫て。ガパーあっさり開いた」

「にゃ、にゃあ」

「またその無垢な笑みがどストライク。俺のゴングがカーン鳴ったわ」

「にゃ!」 

「っだ」 何故だ。爪立ててペシリ殴られた。

 

 それから毎週、千のネガティブ真意の扉をカンカン叩いては投げ飛ばされた。千は俺を投げ飛ばす時だけ少し愉しそうな、悲しそうな顔をする。だから好きなだけ投げ飛ばされた。決してマゾじゃない。多分。

 今日こそ襲ってやると思いながらも猫に化け、期待通りの心の美しさに萎える。

 扉の向こうの千は穢してはならない、真っ白な絹のようだった。


「この国で生まれ育ち、文化娯楽に浸かりながら、心には一点の滲みもない。上面は真っ黒だったけどな」

「にゃ!」 それ地味に痛いからやめろ。

「それがまた、大好きだったんだ」


 ただ傍にいたい。離れたくなくて一月もせず移住の決心がついた。自身も往来を繰返し、そして千の異常なまでの霊力の衰えに焦燥とした。

 このまま世界を往き来していれば身体がもたない。わかっていながら自身も往き来を繰り返した。

 離れがたかった──千の輝きの源である、不知火家の温もりもまた格別だった。品位が砕けきっておらず、互いを敬い信頼関係が強い。不知火家は日本の何処よりも温かだ、この家で暮らしたいと心から思った。

 千は俺を好いてくれている。

 互いに力尽きぬうちに日本へ渡り、共に生きようと──千の想いを蔑ろに、一人で事を運んでいった。喜ぶ顔がみたくて、それだけを想って。

 千がどれほど傷付くか、考えもせずに。


「千は俺という虚像に憧れを抱いていただけだった」


 三日三晩熱に魘され目を醒ますと、片していた荷物が荒らされ、婿入りにと先帝から賜られた調度品が総て壊されていた。気の毒そうに母上が俺に差し出したのは、細かく破かれた婚姻届。

 猫の姿で傍にいたことが、それほど許せなかったのだろうか。謝罪し改めて求婚しようと何度も転移門を開き文を送った。こちらから日本へいくには方法がないわけではなかったが、独自の転移術をもつ義弟の力がいる。クウガの描く墨絵が。それが描き終えるまで想いを綴った文を送っては、投げ返される日々。


 そんな折、初春に本家へ呼ばれ仕方なく重い足を運んだ席で、俺は太刀を抜きそうになった。以前の婚約者が当たり前のような顔をして、千の花簪をつけていたのだから。

 ついに婿入りを決めてくれたかと笑い合う親族共。この時ようやく謀られたことに気付いた。本家に陰陽師の異能を引き継ぐ人間はムツミ一人。その血は俺が仕付かなければ絶えてしまうだろう。

 別室にてムツミを詰れば「千に譲ってもらったのよ」と開き直る始末。

 そして見たくないものを見せられた。千の現状を。

 ムツミは星占術に長け、印をつけた者の所在は異世界だろうと鏡に映すことができるという。


「鏡の向こうで千は見違えるほど美しくなっていた。本当の愛をみつけたんだ」


 俺に裏切られ母国へ戻った先で、内に秘めていた如月唯斗への想いに気付いたのだろう。俺と過ごした日々では決して開くことがなかった扉が、如月唯斗の隣で開いていた。見たこともない笑みを浮かべ、幸せそうに語らっていた。

 その頃には日本へ渡るための墨絵ができあがっていたが、とても自ら出向くことなど出来ず、ただ溢れた想いを文にしたため、茫然と日々を過ごした。


「前触れもなく喚ばれた時は幽体離脱するかと思うほど喜んだものだがな。現実はこれだ」


 利用され見せつけられ、罵られ散々だ。人生最悪の一日といえる。

 帝め、何が必ず添い遂げられる、だ。

 これにて、無国籍無職の外国人だ。


「女にうつつをぬかすなと、戒めに家宝にでもするか」


 ムツミに穢されたように思い、再度作り直した花簪。素材は帝に揃えてもらったが、花弁ひとつひとつ俺の手製だ。故に不恰好で華やかではない。


「花がつぼんでいるのはな、枯れているからだ」

「にゃ?」

「枯れた白バラは永遠の誓い。この蒼い石は唯一無二の正室に送られる。まあ、ネガティブな千にはまわりくどすぎたけどな」

「にゃあ……」


 猫のくせに光り物が好きなのか、繁々と簪を眺め枕に転がす。


「お前、もしかして牝猫か」

「ひにゃー!?」

「ぎゃっ」


 股を広げたら盛大に引っ掛かれた。治癒する力は残ってないんだ、これ以上俺を傷付けんでくれ。


「牝なら、名前は決まってるぞ」

「にゃ?」


 本当はずっと、そう呼びたかった。

 

「千姫だ」




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