玉砕陰陽師
「変態や!」
喚ぶなり三秒で現れ抱き付かれたので顔もみていませんが、この華々しい香りはカヲルでしょう。
アッシー、盛大にツッコんでください。なんなの、もう!
「もう……二度と、会えないかと思った」
「私は会いたくなかった」
その言葉を合図に拘束が解かれ、今度は私がアッシーにしがみつく。
二ヶ月ぶりに顔を合わせたカヲルは少し頬がこけて、初めて会ったあの日みたいに眼を泣き腫らしていた。
でもそんなの、私には関係ないことだ。
「妖怪退治に喚んだのよ、はやく唯斗を助けて」
体育館で蠢く七歩蛇を一瞥し、カヲルがコクリと頷く。
「…………御意に、御主人様」
救出劇は一分もかからなかった。カヲルの太刀が唯斗の胴を締め上げる蛇の肌を浅く斬り入れ、緩んだ隙に落ちてきた唯斗を白虎が受け止めた。次にカヲルは蛇の身を断絶しようと太刀を深く突き刺したが、刃身は半分も入らない。悶絶する蛇をそのままに刀を鞘へ納めてしまった。
「俺には無理だ」
「……どうして? あれくらいすぐにやっつけてたじゃない!」
鏡都でカヲルが倒したやまとの大蛇は七歩蛇の三倍は悠に超えていた。カヲルは申し訳なさそうに瞼を伏せる。
「お前が一番に体感していただろう、転移は霊力を根刮ぎ奪う。今の俺は無能に等しい」
「そんな……!」
「この二月で霊力を養い気付いた筈だ、毎週転移を繰り返すお前は霊力だけではなく体力も奪われていた。あのまま続けていれば、恐らく御霊までも削れていただろう。だが今は違う──そうだろう?」
カヲルの言う通り、現に四神を使役し続けていても、自身の霊力に何の衰えも感じないし底も見えない。自分でも怖いくらいに力がみなぎっている。だからって、あんな大きな妖怪どうやって──。
「お前がやるんだ、千速」
太刀ではなく一枚の折り紙を手渡され、僅かな既視感が頭を過る。カヲルに任された私にはもう、何を折ればよいのか決断を弾き出していた。
どうして今まで忘れていたんだろう──その存在を。
折り慣れたそのカラスは鏡都で出逢ったあの可愛らしいものではなく、とてつもなくでかく──振りせいだ翼は雪のように羽根を吹雪かせた。
蒼き瞳を携えた白き巨鳥、神鴉。
不知火に使える神使い。私の本当の識神──天良。
『喚ばれたのは何百年ぶりだ。……汝、新たな主か』
「不知火千速だ。喚ばれた理由、わかってるわよね」
神鴉は憮然と眼を細めながらもじっとりと私を見据え、見据え、胸を見据え?
「どこみてんのよぉ!?」
『侍るに相応しい。いいだろう』
「さっさと行け、テンラ!」
神鴉による七歩蛇の討伐は、それこそ一分もかからなかった。
喰らうでもなく、踏み潰すでもなく、七歩蛇の巨躯を白い翼に包み浄化していく。
カヲルとアッシーに見守られるなか、床に残されたのは源であろう小さな七歩蛇の骨。
『酷く醜い怨であった』
「怨……?」
『私は還るぞ。主にはまた喚ばれる日が来よう』
テンラが復すると視界が歪み、途端に私の霊力ゲージが赤い点滅まて下りていくのがわかった。四神、結界共に私の意志なく消失していく。四神より霊力奪うて何様だ、あの識神。
力尽き、後ろに倒れ込む私の肩をカヲルが支えてくれた。
「結界が……、外は……?」
「妖霧は晴れた。終わったよ、もう大丈夫だ」
アッシーのように血の気がひいているのか、頬に触れるカヲルの手がいやに温かい。そのまま吸い込まれるようにして眠り込み、目が覚めた時には保健室の天井を見上げていた。
頭を横へもたげれば、隣のベッドに唯斗が身体を起こし座っている。その周りには如月一家が。私の覚醒に一番に気付いた唯斗のお母さんは静かに頭を垂れ、微笑んだ。私が起きたことを伝えにいったのだろう、唯斗のお父さんは保健室を出ると間もなく人を連れ立ち戻ってきた。
神妙な面持ちでベッドサイドに並んだのは背広姿の男達だ。末席の男が一番に口を開いた。
「今件、娘の千夏に話は訊きましたえ。大活躍やったなぁ、不知火千速さん」
「娘……アッシーの、千夏ちゃんの、お父さん?」
「せや、よろしゅうに」
深々と御辞儀し上げた顔は、唯斗のお母さんと同じように優しく微笑んでいるが、冷々とはりつめた空気が部屋中に漂う。特に前列の黒光りスーツは、マトリックスな威圧感で遠慮なしに此方を見下ろしている。
「私、何か悪いことしました?」
「いや……、後始末は済んでいる。それより話に聞いた袴姿の男を探していてね、識神なら君が喚べんか」
「あれは識神ではないので、喚べません」
「おかしいなぁ。千夏によれば君が描いた魔法陣から現れたっちゅう話やけど?」
アッシーのお父さんが笑いながらも眉を潜め、私には嫌な予感が走る。カヲルは異世界の陰陽師──その強い力や鏡都の存在が知れれば、どんな扱いが待っているのだろう。本家にとって脅威であると判断されれば抹殺も考えられる。
押し黙っていると、空気を読めない唯斗がいきなりしゃばってきた。
「袴姿の外人なら、結構前に俺と喋ってたぜ。途中で千速のじーさんが連れていっちまったけど」
大人達の視線がこちらに一斉集中する。
「……君のお祖父さんは不知火家の当主やったね」
「はい」
「近所やさかい、うちが案内しましょう」
アッシーのお父さんの言葉を最後に騒々しく身支度が始まり、私はふらついた身体を無理矢理起こされ車に詰め込まれた。変に口裏を合わせないように配慮されたのだろう、家に着くまでアッシーに会うことができなかった。見れたのは、二台目の車の中から必死に手を振る姿だけ。
その後、黒づくめの男達に混ざり私も家中、敷地内をくまなく探したが、じーさんとカヲルの姿は何処にも見当たらなかった。じーさんにおいては日暮れ後に家を空けることなんて今まで一度もなかったため、お母さんは泣きながら庭のどぶ池まで探す始末。家族総出の大捜索となった──居間で一人茶を啜るお祖母ちゃん以外は。
しつこく居座っていた男達が諦めて帰ったのは午後0時を過ぎていた。また明日くる、そう言い残して。
「はぁ……」
長い一日がようやく終わりを告げ、疲れきった身体をベッドに横たえる。お気に入りのふかふかお布団にくるまれば、私の安眠はすぐに訪れる──そう思いたかったのに。私が吐いた溜め息は、一日の終わりを示すには少し重すぎる。
「探し回ってた奴らをみたでしょ? 早く帰ったほうがいい」
くるまろうと上げた掛け布団の下に、小さなミケ猫がとぐろを巻いていた。私の見下しに耐えきれなかったのか、「さすがにデレんか」と可愛い猫はたちまち、袴姿の男へ姿を変えた。私のベッドにはかさ張りすぎるサイズ感だ。
「千速、如月唯斗を助けた報酬に、ひとつだけ頼みがある」
「何? いっとくけど、朝までここにいたら男達の前に突き出してやるからね」
「話を聞いて欲しい。それだけだ」
その格好では寒いだろうとベッドを下りたカヲルは、私をベッドに座らせ、自分は正座で畳に手をついた。まるで土下座だ。そんなカヲルを見ていられず、そっぽ向き布団を頭から被る。
「まずは、謝らせて欲しい。猫を化生し帳台を共にしていたことを。本当にすまなかった」
帳台でひとりきり、猫を相手にカヲルへの想いを語っていた日々を思い出し、カッと顔が熱くなる。
「許さない。土下座なんかしたって、絶対に許さない……!」
「千速」
「からかう日を虎視眈々と狙って、楽しんでいたんでしょ。陰では腹抱えて、笑ってたんだ!」
「そりゃ、笑ってたよ」
「さいってい……!」
「嬉しくて嬉しくて、涙がでるほど、笑ったさ」
心底嬉しそうに語るその声に耳を疑い、布団から顔をだす。カヲルもまた畳に伏せていた顔を上げていた。泣き腫らした顔をだらしなく緩ませ、笑っている。
「俺はな、千速。お前が俺を想うずっと前から、お前を愛していた。お前が俺を想うよりずっと、ずっと深く、愛しているよ」
一瞬、言葉を失った。
だがすぐに艶やかなお姫様の姿が頭の中でチラつき、カヲルの声を遮る。
「婿に仕付く男がいう台詞じゃないわね。じゃあムツミ様との婚姻は皇位を取り戻すための足継ぎでしかないとでもいうの? 私は延々カヲルのはしためでいろと? 私は性欲の吐き捨て場か、どこまでゲスなのよ……!」
「あの家とは当に縁を切った。ムツミと添い遂げるつもりはない」
「嘘つき! 引越の準備して、婿にいく気満々だったじゃない……!」
「不知火家にな」
息継ぎなしで怒号をまくしたて、目が眩む。不知火……?
「千速が妖怪退治を成功させた暁には、その夜に求婚しようと準備を調えていた」
「そんな……、そんな、バカげた話……」
「急いでいたんだ。お前は冬を越せないほど転移に体力を奪われていた。だからといって俺は千速と離れることなどできない、結婚する女は千速だけと決めていた。だから先回りして、当主、ご家族と話をつけてたんだ。春には母上も弟のクウガも連れ、不知火家に上がる予定だった」
あまりにも突拍子のない話に開いた口が塞がらない。私の気持ちお構いなしに家に上がり込もうなんて、どこまで図々しいの。それも家族まで巻き込んで。
「私が断ったら?」
「断られても、国は移すつもりだった。母上とはよく話し合ったさ、特にクウガのことについてはな。鏡都で生きる限り不義の子のレッテルは一生つきまとう。あの子にこそ新天地が必要だと、母上もそう決断された」
カヲルは再び顔を下げると懐をごそごそ探り、扇子を扱うように畳に合わせ、膝手前にある物を置いた。何時しかムツミに奪われた白い薔薇の蕾の簪だ。
目線は下向いたまま、深く息を継ぎ肩が上がる。
「一生千速を守る。私と結婚してください」
──騙されるな、千速。
カヲルは母上やクウガのためにこの国へ来たんだ。自分だって態々転移を繰り返さなくても、大好きな漫画やゲームに囲まれて暮らせる。
一生私を守る?
婿として役目を果たす。それ以上の意味はないだろう。
──心にもない恋。
花簪の花言葉が何度も、何度も頭のなかで反復された。
「ごめんなさい……ちょっと、考えられない」
白い花弁が散ったみたいに、頭のなかが真っ白に埋め尽くされていく。何も考えられない。考えたくない。考えるほどに自分が嫌いになってしまいそうだ。
カヲルの前から今すぐ消えてしまいたい、そう思いながら一ミリも動くことができない私に反し、カヲルは威勢よく立ち上がり晴れやかな笑みをみせた。
「あー、スッキリした! これで新生活スタートきれるってもんよ」
「……はぁ」
「まぁ、今日はふられに来たようなもんだからな。聞いたよ、如月唯斗に。婚約したんだろ?」
「はぁあ?」
今度は唯斗の暴言に言葉がでない。
「やっぱり現実でも、幼馴染みの鉄板ルートは砕けないもんだよなー。あんな手の込んだ本命チョコ見せ付けられたら、諦めるしかないだろ。あはは」
「あ、あれは──」
ある意味大本命だけど、カツアゲの横流しだ。
「なぁ、千速。いつか如月唯斗は星が悪いといったな」
「うん」
「ありゃ、俺が妬んでついた嘘だ。二人は腹が立つほど最高の星回りだぞ。まさに運命、あいつを逃せば人生のほとんどを損したことになる。変に強がって、逃がしたりするなよ」
からから笑いながら私に背をむけ、部屋の窓を開ける。二月の夜風は肌に突き刺さるような冷たさだ。暖まった身体ごと頭の中まで凍えていくのがわかる。
このままカヲルがいなくなったら、もう会えないのかな。同じ世界にいるのに、会えなくなるの?
そんなことないよね、だって母上やクウガがこちらに移る際、否応なしに会うことになる。
でもその時にはもう──カヲルは私と異なる道を、歩いているんだ。
「幸せにな、千速」
その言葉を最後に瞬き一度、小さな猫が手の届かぬ枝へと飛び移り、いってしまった。




