平穏がやってこない
「好きです」
学園生活最後となる学期末テストを終えた真冬の放課後。ホッと息吐く間もないまま、私は名前も知らない隣のクラスの男子に呼び連れ出された。周りの不穏な空気に脅威を感じながら彼の後を追う。スカートのポケットの中でスマホに110番を叩きうち発信準備万全の体勢で挑んだのだが、彼から放たれた言葉は「好きです」ただひとつ。
「付き合ってください」
はい、丁寧なお辞儀で追加入りました。
「何かのご冗談で?」
「い、いや本気だよ、冬休み明けくらいからずっと気になってて」
「YouTube配信用ドッキリ?」
「本気だってば!」
両手をグーにして上げた顔は優しげで、スポーツマンらしい爽やかな短髪のイケメン男子だ。唯斗のような悪企みはなさそうだけど、私のような女子の底辺が卒業を間近にリア充とかちょっと考えられない。
「ごめんなさい」
「……如月と婚約してるから?」
「はぃい?」
「みんなに引き留められた。如月が不知火家に婿入りするからやめとけって」
「新たなる虐めか」
「今では相思相愛だって」
「ない、ない、あり得ない」
「だから最近、綺麗になったって」
──お前は自身の美を理解していない。
一瞬、空に透ける金髪が胸を掠め、それを押し殺すように笑う。
「嬉しい、ありがとう」
彼もまた一度目を見開いてから、私につられて笑った。
「……かわ」
「嬉しいけど、唯斗と相思相愛とか、婿入りとか絶対ないから」
「ならいいじゃん、お試しでいいから付き合ってよ」
「ごめん、体育会系苦手なの」
ガックリ肩を落とす男子に手を振り家路を急ぐが、今の様子を見ていたであろう女子の集団に囲まれてしまった。もうクラスも分からん。
「やっぱり、ドッキリ? カメラどこ」
「そんな失礼なことしてないよ、返事はどうしたの? 坂城くんと付き合うの?」
「彼、坂城くんて言うんだ」
「知らんのかい!」
知らぬ女子から何でやねん、逆手うちきた!
「きみ、ツッコミ鋭いね」
「不知火さんほどちゃうけど、それで? はぐらかさんといて!」
「はぐらかすも何も、私には勿体ないのでお断りしました」
「勿体ないので……?」
「うける」 どこでウケる?
「私、坂城くん慰めてこよー」
「ずるいっ、私も」
ぱたぱたと項垂れ男子に群がっていく女子達。やれやれと下駄箱へ向かうが、先程の群れにいたツッコミ女子が後から追いかけてきた。
「不知火さん、一緒に帰ろ」
「いいけど私の帰り道、駅とは真逆だよ」
「ひど! 私もそっちやから」
「そうなんだ?」
「まぁ、夏に転校してきたばっかりやから、わからんでも怒らんけどな。わたし芦屋千夏ね」
「アッシーか」 関西人愉快だな。
「いきなりあだ名でパシリ扱いはないやろ、千速」
「いきなり呼び捨てかい」
からから笑い合う二人。
同級生でこんなに気があう人、初めてかもしれない。
「不知火さんて、面白いわぁ。もっとはよに話したかったな」
「私が……面白い?」
「うん、いい意味でね。それにめっちゃ美人さんやし」
「美人……?」
私が文化祭で旧校舎に閉じ込められるような下級女子だということを、彼女は知っているのだろうか。
鳥居の前で別れたその背中を見送りながら、ふと思う。もっと早く話せていたら、きっと仲良くなんてなれなかった。
こうして同年代の人間と話せるようになったのは、カヲルと出逢ってから。
最初はお喋りなカヲルの聞き役に相槌をうつばかりの私だったが、陰陽師らしからぬカヲルの態度や変態ぶりにツッコまずにはいられなくなり、声をだすように。その声は「変態」「死ね」程度の単語だったが次第に言葉を繋ぎ、言葉が長くなると共に感情が露になっていくのが、自分でもよくわかった。本気で「死ねばいいのに」と何度思ったことか。決してお行儀よくはない、でもそこには「私」がいて──。
「お嬢、鏡都から御喚びです」
納屋の影からシオンが現れた。
お祖母ちゃんにこさえてもらったのか、ダサい藍色のチャンチャンコを羽織り土下座とかやめて欲しい。私はヤクザの組長の娘か。
その手には何時しか脱ぎ捨てた袿と文が握られているが、どうせジャンプの催促か結婚式の招待状だろう。この袿着て参列しやがれと毎日しつこく投げ込んでくるので、私も負けじと投げ返す。
「おりゃあっ!」
転移魔法陣は何かしら物質が移れば消える。洗濯物のようにぐるぐる吸い込まれていく、着物の裾が見えなくなると同時に光が止んだ。
「お嬢……」
「もう二度と、いかないって言ったでしょ」
生物の世界の往き来は召喚法のみ。誰かに望まれない限り異世界への転移はできない。神や精霊においては主なしに異世界は渡れない。シオンのように本体である神木が日本にある場合、御霊還しに鏡都から日本へ自由に帰ることができるが、それはイレギュラーだ。私はそのイレギュラーを24時間使役独占し続けている。今や主は私。シオンを失ったカヲルは日本の誰かに望まれぬ限り此方へは来れない。
私は望まない。望まれてもいかない。
「だってもう、卒業したもん」
枯れ葉に浄火を灯し、枯れ木へ移す。葉が甦るわけではないが、電飾代わりにはなる。電気代ゼロの省エネイルミネーションで神社を飾り立て、街を彩るのだ。明るいだけではなく、浄火をみた者は心の邪気がおさまるので周辺地域の防犯に一役買っている。ちっとも金儲けにはならないけれど、税金貰っている分くらいは市民に還元せねば。
陽が落ちると徐々に集まりだすカップルを目端に見据え、暖かな居間へと足を運んだ。
*
あれから一週間、京都出身のアッシーは昼休みになると自転車置場に顔を出すようになった。私と仲良くしたらクラスメイトの友達と関係性が悪くならないだろうかと懸念するが、彼女はそんなこと気にもとめていない。それだけクラスの人気者だということだろう。私といる方が楽しいって、お世辞でもいってくれた。
「あと、断トツに飯が美味いっ!」
「餌付けしていたのか、私は」
「じゃなきゃ、なんなん? この重箱は」
「あぅ」
「これ自分で作ったとか、ありえへん! 巨乳美少女は料理ベタて決まりやろが!」
それニュアンス違うけど、どこかで聞いた覚えが。「どこか」を思い出しそうになる度、眼鏡を外し視界を狭める。
「千速?」
セーターの裾でレンズを擦り、かけ直せばたちまち現実に戻れるから。
「あかん、千速の素顔ドキドキするわぁ」
「アッシーてば、購買パン祭りなんだもん。だから栄養が行き届かないんだよ」
「えらい切な気にみつめはると思た、私の横隔膜周辺をみて言うなやぁ!」
「ごめん。この言葉につきる」
「世には貧乳フェチもおるわ!」
「ポジティブ!」
実のところ巨乳なんて、体重測定で足を引っ張る只の重い脂肪でしかない。体育の授業では男子に好奇な目で見られ、女子には白い目で見られる。この先私に婿どのが現れたとして、その人が貧乳フェチだとしたなら壊滅的だ。人生の半分を巨乳で損したといえるだろう。
かさばるものが求められないのは、酷く虚しい。
「乳で悟りを拓くな」
「はっ──、口に出していたか」
「人生、そう悪いことばかりちゃうで。自分求められとるんと違う?」
唐揚げが刺さっていた串をそのままに、にんまり笑うアッシーは柵の隙間に手を差し出した。
その指の先には自転車置場のスロープを上ってくる男子生徒が見える。
「邪魔者は重箱共々、消えんで」
「あっ、こら、アッシー!」
私の手のひらにおにぎりを二つ三つ落とすと、アッシーはスロープとは真逆の出口階段の方へ軽快に駆け下りていった。
現れた男子の顔をみた瞬間、お前が邪魔者だと言いたくなる。幼馴染みとも認めたくない唯斗だ。
「人気バンドマンが妖怪女に何用ですか」
「お前、坂城フッたらしいじゃん。相当ヘコんでるって話だぜ」
「唯斗には関係ない」
「あいつパ・リーグにドラフト入りだぞ、玉の輿のチャンスだったのにな」
「何ですとぉ!」
「なんだよ、その気なら今から慰めてくれば?」
体育会系どころかアスリートではないですか。相当落ち込まれるくらいならお試しで付き合っとくべきだったのかと一瞬愚慮する。
「いや……、それは……ないかな」
身勝手な理由で思わせ振りな態度をとれば、相手が傷付くだけだ。
──失恋の痛手は自分が一番よく知ってる。
「やっぱり、千速には俺しかいないんだな」
笑えば可愛いと思っていたその顔をみた私は、腸が煮え吐き気すらした。
言葉を失うとは、このことだ。
何を考えているのやら、不知火家に婿入りするとか、二人は相思相愛だとか学校中に言いふらしているのは唯斗本人だ。お陰で唯斗ファンから陰険な虐めに遭い、私としてはいい迷惑である。教科書破られたり(テスト終わったからいいけど)、下駄箱に泥団子詰め込まれたり、洗って干しておいた上履き焼却炉に放り込まれたり。泣きっ面に蜂という言葉が久しぶりに思い浮かんだわ。
唯斗だって卒業間近の告白シーズンに所帯持ち扱いされて好機を逃し、青春無駄遣いをしているのでは。これ以上波風たたせないで欲しい。私のテリトリーに踏み込むなと言わんばかりにギロリ、睨み付けた。
「……眼鏡ひとつで印象変わるもんだよな」
「え、ちょっと!」
私の《必殺妖怪ガンつけ》に動じず、アッシーのいたビニールシートにドカリ横柄に座り込む。
六年愛用していた瓶ぞこ眼鏡はムツミさんとの揉み合いでお陀仏になってしまったので、唯斗が教えてくれた駅前の眼鏡屋さんで新調した。驚いた、近頃の眼鏡屋さんはロープライスで極薄レンズも御値段変わらず。フレームは唯斗にお揃いだと思われたくないので、店員さんに「黒以外」をガン押し、赤いフレームを選んでもらった。何故かノリに乗った店員さんに「似合うから」とガン押し返された時は派手かなと思ったけど、かけやすいし意外に肌に馴染み、今では気に入っている。
「眼鏡屋紹介したんだ、礼金支払え」
「この期に及んでカツアゲですか」
「女子の端くれなら、今日がなんの日かくらいは知ってんだろ?」
「──チッ、あげるから消えてよ」
「なんだよ、ちゃんと準備してんじゃん」
これはアッシーにあげようと思って持ってきた友チョコだ!
声を大にして言いたい。
生涯無縁と思われていたバレンタインデーに同級生女子とランチ、あげずにいられますか。徹夜で手作りとかしちゃって、こちとらテンション上がりっぱなしなのよ。アッシーが箸を置いた瞬間に「好きです、友達になってください」の告白と共にあげるつもりだったのに。それなのによくも、よくも夢心地な一時をぶち壊してくれたわね。
唯斗のにやけた顔をめがけ、憎しみもってチョコを投げつけた、その時だった。
「────きゃぁあああっ!」
和やかに昼休みを過ごしている筈の生徒達が何十人と、中庭を抜け校舎裏へと走り込んでくる。
その末尾に幕を下ろす、ただならぬ妖気──。
──騷、騷。
まるで揚々と波をあげる赤い海。化け蟹ではない。もっと禍々しいもの。
血のように赤黒く二寸ほどの細糸が何千と漫ろに、白い石畳を這っている。
「……赤い、蛇」
無知な唯斗が的を得たようにそう呟き、ふと笑ってしまった。だがここは妖しのないはずの平和な日本。どうして今、この学校で──考えてなどいられない。
あれは七歩蛇。
足で踏み潰せるほど小さいが、咬まれた人間は七歩歩く間に息絶えてしまう、猛毒の蛇。街に広まれば大惨事になる。
「唯斗、結界護身法読める?」
「は? 結界……? お前、何言ってんの」
「はぁ──、この役たたず。できないなら先生にいって生徒をどこかへ避難させて」
結界師である如月一族たるもの、当に身に付いているものだろうに。これだから若造は、と年寄りくさい猫背で詠唱しながら折り紙を折っていった。
頭の足りない唯斗は突っ立ったまま、微動だにしない。
「おい……大丈夫か? まじキモいぞ、お前」
役たたずに蔑まれても、胸には何も響いてこない。
経のまつりにパン──、と一度拍子をとれば、学校の敷地一帯に網が張られた。妖魔を外に逃がさないための結界だ。
「なんだ……? 空が黒い」
「へぇ、見える程度の霊力はあるんだ」
仄かに陰が差す四角柱の箱庭は、内も外からも見えるものにしか見えない。
能力はあるのに知ろうともせず道に背き生涯を終えるなんて、それこそ宝の持ち腐れだな。なんて唯斗を嘲笑している暇はない。卒業前に校内で死傷者がでたら、それこそ青春の一ページに傷がつく。
短く呪を結び、折り紙に息を吹きかける。
「──もっとキモいこと、してあげる」
ス──、と手から放った紙飛行機は地につく直前、不死鳥となり羽ばたち赤い浄火の羽根を振り落とす。中庭を埋め尽くす七歩蛇は一瞬で焼失していった。
「す……げ、ぇ」
「中庭だけじゃないかもしれない、唯斗も早く避難しな」
茫然と立ち尽くす唯斗をすり抜け、二階から飛び降りる。ヒッと息をひくような悲鳴が背中をなでた。
「白虎、急ごう」
唯斗には見えているかもしれないが、私が股がる虎は常人には白い煙幕にしか見えないだろう。逃げながら振り返る生徒の群れを逆走し、また新たな折り紙を放つ。
「朱雀は引き続き七歩蛇を滅しなさい。玄武と青龍は脅してでもいいから生徒を外へださないで」
飛ばした紙飛行機は異能な風となり、それぞれに散っていった。
七歩蛇の妖気は校内へは流れていない。犠牲者はいないようだし、朱雀が一周もすれば掃討できるだろう。問題は体育館から動かない馬鹿でかい妖気。
──あぁ、無理だ。
私の第六感がお告げした。無理。一人で倒せる相手じゃない。
白虎の背から二階の窓を覗けば、想像通りメガサイズの七歩蛇が広い体育館で窮屈そうにうねりをあげている。
「怪我人がでてなければいいけど……」
「どぇえ!?」
「……アッシー?」
聞き慣れた派手なリアクションが真下から聴こえたので見下ろすと、体育館の扉の前でアッシーがただ一人立ち竦んでいる。
「千速それ、白虎様やないか」
「みえるの?」
「ま、まぁ……一応、血筋やさかいに」
アッシーの手には護符のような札が握りしめられており、それが突き付けられた扉には澱みのない結界が張られている。
「芦屋って、まさかの蘆屋子孫か」
「分家やけどな。名前も知らん貧乏神社の千速が四神使役してるて、うちの方がビビるわ」
「それより、中は」
「人払いは終わってる。もうすぐおとんが来るから、それまでの辛抱や」
ただの真似事ができてしもて、自分にもビビってんねん。と語るアッシーの顔は血の気がひいている。結界識を二重に被せその手を止めさせた。
「──あんた、本当に何者やの」
「ねぇアッシーのお父さんて、どのくらい強い」
「そんなん知らんよ。陰陽師は兼業やし、妖怪倒したなんて話は聞いたことないわ」
「……そう」
現代の陰陽師事情なんて知るよしもないが、どう見積もっても期待できそうにない。
──喚ぶしかないのか。
あんな馬鹿でかい妖怪、一晩も体育館に閉じ込めておけそうもない。
何時しか折姫の家出を手伝った際に学んだ、召喚用の魔法陣を頭に思い浮かべる。何時ピンチになってもいいように描いておこう。喚んでも妖怪退治を依頼するだけだし。そう言い聞かせながら複雑怪奇な魔法陣を体育館前の砂地に、黙々と描いていった。
「えっ、待てや──あの阿呆、なんやねん!」
アッシーが息を喘ぎながら体育館へと叫ぶ。
「何事?」
「身の程知らずが中入りよった。紙飛行機飛ばしてんで、死に急いでんのか」
バッ、と振りかぶり自転車置き場に視線を移す。そこに人影はない。代わりに泥棒の足跡みたいにわかりやすく、体育館の勝手口の扉が開け放たれている。
「それって黒ぶち眼鏡のチャラ男か」
「ビンゴや。あっ、巻き付かれとる」
「はい、ピンチ到来ー」
私の真似をしたらできるとでも思ったのか。魔女の箒に股がったら飛べるとでも? 身の程知らずというか、中二病患者だな。唯斗には霊力があると、調子に乗らせた私にも責任があるのか。
手を早める私の肩からひょこりとアッシーの顔が飛び出した。
「今度はなにしてるん」
「陰陽師を喚ぶのさ」
「陰陽師? 強いんか」
「強い。──そして、とんでもなく」
呪を唇にのせ、印を結ぶ。
「変態だ」




