第8話 疑い
息を切らせて玄関に入ると、
見慣れない黒い靴が二つ、並んでいた。
一つは革靴。
もう一つは底がゴム製のウォーキングシューズのような靴。
どちらも男物だ。
「愛実」
玄関の扉が開く音を聞いたジミィが、
少し緊張した面持ちでリビングから出てきて私の方へやって来た。
そして無言で頷く。
私も無言で頷き返し、視線を二足の靴へ落とした。
ジミィが私の視線を追う。
「警察の人だよ」
「じゃあ・・・」
ジミィはリビングの入り口に目をやってから、もう一度頷いた。
私はそんなジミィと二足の黒い靴を複雑な思いで見比べた。
さっき学校からジミィに電話した時、ジミィは警察にいた。
例の手紙のことを早口で伝えると、
「警察の人にその話もしてから、家に帰って愛実の部屋のゴミ箱を探してみるよ」
と言ってくれた。
私もすぐにでも家に飛んで帰りたかったけど、
顧問や先輩の手前、一年生の私が「来たけどやっぱり帰ります」という訳にはいかない。
「お腹が痛くてトイレに行ってました」と恥ずかしい言い訳をしながら仕方なく部活に戻り、
遅々として進まない校庭の時計を睨みながらスティックを振り続けた。
そして終了と同時にクールダウンもせずに家に帰ろうとしたところで、
さなえに捕まって・・・
「この家の方ですか?」
聞きなれない声にハッとして顔を上げると、
リビングから男の人が出てきた。
30歳くらいのちょっとかっこいいけど面倒臭そうな表情をした男の人で、
その服装と腰に光る拳銃から一目で警察と分かる。
「はい。藍原愛実です」
「早速ですが、指紋を取らせてもらいます」
「は?」
「今、鑑識の人間が家中の扉や窓の指紋を採取しています。
ここの住人の指紋を把握しておかないと、どれが外部の人間の指紋か分からなくなる」
ああ、なるほど。
それにしても、本当に「早速」ね。
自己紹介くらいしてくれてもいいじゃない?
まあ、そんな悠長な気分でもないけどさ。
私は横柄な態度の警官にいささか呆れながらも、
それでもジミィの話を信じてうちまで来てくれたのだからと思い直して手を差し出した。
すると警官はうんざりした声で言った。
「ちょっと待ってください。私が指紋を取る訳じゃないんです。
おい!木村!!!」
警官が廊下の奥の階段へ向かって大きな声で呼びかける。
その時、私の中で何か激しい「ズレ」が起きた。
違和感というか、不納得感というか・・・
何か分からないけど、しっくりこない。
面白い推理小説をワクワクしながら読んでたのに、
肝心要のトリックが超つまんなかった時の気分に似てる。
とにかく、気持ち悪い。
だけど、その原因が分からないまま、
私は偉そうに腕組みをして階段の方を見てる警官を眺めた。
どう見ても交番のお巡りさんだけど、実は偉い人なのかな?
それにしても、態度でか過ぎじゃない?
ジミィも同感なのか、
私と目を合せて両肩をちょっとすくめ、小声で言う。
『変な人連れてきちゃってごめんね』
『どこの交番の人?』
『隣町』
『隣町?どうしてそんな遠くの交番行ったの?』
『良く考えたら僕、交番がどこにあるのか知らないんだよね。
愛実を送った後、駅前のコンビニで交番の場所を聞いたら、教えてくれたのが隣町の交番だったんだ』
あらま。
じゃあこの警官殿は隣町からジミィに連れて来られたのね?
ちょっとくらい不機嫌になるのも仕方ないかな。
と。突然ドタドタと階段を駆け下りる音がして、
ひょろっと背の高い作業着姿の兄ちゃんが姿を現した。
警官と一緒じゃなかったら、配管工か何かと間違えそうだけど、
おそらく彼が「木村」で「鑑識」なのだろう。
案の定その「木村」さんは、
警官に分けてやって欲しいくらいへりくだった態度でペコペコと私にお辞儀をし、
「指紋を取らせて下さいね」と言った。
透明のシールのような物を私の両手に押し当てる。
「どうだ?」
「うーん」
いまだに名前不明の警官が木村さんに上から目線で訊ねると、
木村さんは玄関の扉のすりガラスから入ってくる光にシールをかざした。
一瞬、シンっという音が聞こえそうな沈黙が私たちを支配する。
光の中には小さな埃のような微粒子がたくさん舞っていて、
それがシールに付着して指紋がわからなくなるんじゃないかと、私は気が気じゃなかった。
だけど木村さんはさすがにプロだ。
「この家の中から、4つの指紋が発見されました。
戻ってからきちんと調べないと断言はできませんが、
一つは曽野江さんの物でもう1つはこちらの女性の物だと思います」
「残りの二つは、この子達の両親の可能性が高い、という訳か。
犯人の指紋はなさそうだな。手袋でも使ったか・・・」
警官がしたり顔で頷き、
睨むようにして私を見た。
「ご両親は、いつ戻られる?」
「明日です」
「夜になるって言ってました」
ジミィが補足する。
「ふん。呼び戻せないか?」
いつの間にか、私たちにまで言葉遣いが荒くなっている。
なんか、小説に出てくる「傍若無人な警官」そのまんまだな。
こんな警官、本当にいるんだ。
呆れてもはや腹も立たない。
代わりに、私は素っ気無く言った。
「無理です。ゴビ砂漠に行ってますから」
ジミィが小さく吹き出す。
「ゴビ砂漠?・・・まあいい。
今日のところは盗まれた物は犬だけのようだし、また明後日に来て、
ご両親の指紋を取らせて貰いますよ」
「はい。お願いします」
私はわざとらしく大袈裟にお辞儀をした。
「それにしても凄いね、この予告状」
警官たちが引き上げた後、
ジミィはリビングのソファに座って、奇跡的に私のゴミ箱に残っていたソレを開いた。
掃除しろよ、私。って感じよね。
でもおかしいなあ。
いつもは1週間に1回くらいはゴミ箱のゴミをまとめてママに渡すのに、
私、2週間の間、1回もそれをしなかったっけ?
夏休みでボケてるんだろうか。
私が忘れてても、ママがやってくれるんだけど。
「ゴミ箱は空だったけど、この手紙だけゴミ箱の側面にへばりつくように残ってたんだ。
多分、ゴミ箱を空ける時に残っちゃったんだろうね」
「うわ・・・執念深い手紙ね」
「うん。この毛筆からもその深さを感じるね」
私はソファの後ろから、ジミィが持っている手紙を覗き込んだ。
「藍原家のお宝を頂戴する」
改めて見ると、確かにこの達筆な墨の文字には並々ならぬ執念を感じる。
最初に見た時にそう気付くべきだった。
私の不注意で、トミィは・・・
「警察の人も『犬なんて自分で逃げただけだろう』って最初は真面目に取り合ってくれなかった。
でも愛実からの電話の内容を聞いて取り合えずうちまで来てくれて、
幸いって言っていいかわからないけど手紙が残ってたから、鑑識の人を呼んでくれたんだ」
「・・・そう」
私は心に半分ガードをかけながら、ジミィの話を聞いた。
でもそんな自分が虚しくもなる。
学校を出る前、さなえは私にこう言った。
「もう1つあるよ。鍵を使わずに家に忍び込める方法が」、と。
「ちょっとインチキっていうか、引っ掛け問題みたいなもんだけどね。
家の中の人が鍵を開ければいいのよ。そうすれば、鍵なんか使わなくても家の中に入れる」
私は、ジミィの後姿をじっと見つめた。