第5話 秘密
ジミィがうちに来てからこの2週間、
私は毎日さなえと葵の誘いを断り、
遠藤も振り切って、ダッシュで家に帰っている(駅から家まで本当に走ってるんだから!)。
だってジミィとの時間は限られている。
夏休みが終わればジミィとの同居も終わる。
いつも夏休みは終わって欲しくない物だけど、
こんなにもそれを強く思うのは初めてだ。
でも、あんまり早く帰っても実は意味がない。
予備校にでも通っているのかジミィは昼間は家におらず、
だいたい夕方くらいにフラッと帰ってくる。
だから私が早く帰っても、たいていはジミィはいないんだけど・・・
それでも!
もしかしたら今日は家にいるかもしれないじゃない!
そういう訳で、毎日こうして急いで帰ってきているのだ。
もっとも全敗だけど。
私は最後の角で足を止め、呼吸を整えた。
もしジミィが家にいてたら、息を切らせた私を不思議に思うだろうから。
わずかな希望を胸に家の門へと向かう。
と、家の前に黒い人影が見えた。
女の人だ。
大人の女の人っぽいけど、よく分からない。
だってこのクソ暑いのに、黒のコートに黒の帽子、サングラス、
ご丁寧に黒いストッキングまで履いていて、ヒールももちろん黒。
長くボリュームのある髪と身体つきで、かろうじて大人の女の人かもって分かる程度だ。
その黒づくめの女は、うちの2階をじっと見ている。
視線の先は多分・・・
私かジミィの部屋。
二つは隣り合っているから、どちらを見ているのかは分からないけど、
多分、ジミィの部屋な気がする。
誰なの、この女?
だけど私は「どちら様ですか?」なんて声をかけるようなことはしない。
怖いというより、私がこの家の住人だとばれてしまうのがなんか嫌だ。
私は逸る気持ちを押さえて、
女が家の前から去っていくのをじっと待った。
「ただいまぁ~」
私が家に入れたのは、それからたっぷり20分後のことだった。
あ、暑い!
だけどあの女は汗一つかかず、悠々と帰って行った。
なんか悔しい!
「あー、もうっ!!!」
「愛実?どうしたの?」
イライラしながら玄関で靴を脱ぎ捨てていると、
ジミィがひょっこりとリビングから顔を出した。
「あっ、たっただいま!いたんだ!?」
「うん。おかえり」
毎日走って帰ってきた甲斐があるってもんだわ!
私は放り出した靴を丁寧に揃えて玄関に上がると、
手も洗わずに、ジミィと一緒にクーラーの良く効いているリビングに入った。
「って、暑っ!クーラーは!?」
「勝手につけちゃダメかな、と思って」
「ダメな訳ないでしょ!」
大慌てでクーラーをつけたけど、何故か窓も締め切っていたようで、
部屋の中はまるで蒸し風呂状態。
私は仕方なく一度クーラーを切って、部屋の空気の入れ替えをすべく窓を全開にした。
窓から心地よい風が吹き込み、汗を拭う。
「どうしてクーラーつけてないのに、窓閉めてたの?」
「泥棒でも入ってきたら困るからね」
「泥棒が入ってくる前に、熱中症になっちゃう、」
その時ふと、さっきの女の姿が頭をよぎった。
どこか思いつめたような表情でうちの2階を見つめる女の姿が。
「・・・ねえ、ジミィ。ジミィのお母さんってどんな人?」
「お母さん?別に普通の人だけど」
「髪は長い?」
「いや、短い」
「・・・」
どうやら私の目論見は外れたようだ。
でも、髪なんてウィッグでどうにでもなるし。
あ、だけどジミィのお母さんって海外に行ってるんだっけ。
じゃあやっぱりあれはジミィのお母さんって訳じゃなさそうだ。
「まあいいわ。とにかくクーラーなんか遠慮しないでバンバンつけて」
「うん。分かった」
「ママも、クーラーくらいつけっぱなしにしとけばいいのに・・・ん?あれ、ママは?」
うちはダイニングとリビングとキッチンが一体化してるから、ここにママがいないのは一目で分かる。
ジミィがクーラーを「勝手につけちゃダメかな」と思ったくらいだから、
ママは家にいないのかもしれない。
買い物か何かかな?
「おじさんと旅行に行くって」
「そう、旅行・・・は?旅行?」
ジミィが当たり前のように頷く。
「うん。前から行きたいと思ってた温泉宿が急に取れたんだって。
今日から2泊してくるって言って、さっき出掛けたよ」
「・・・・・・」
姉弟とはいえ、まだ知り合ったばかりの若い男女を一つ屋根の下に置いて旅行に行っちゃうって・・・
どういう親なのよ!?
「ご、ごめんね、ジミィ」
「何が?」
「・・・気の利かない親で」
「そう?気を利かしてくれたんじゃない?」
「え?」
私はジミィの言っている意味が分からず首を傾げたけど、
ジミィはそれ以上何も言わず、冷蔵庫の中の麦茶を私に注いでくれた。
お風呂上り、鏡に映るパジャマともいえないTシャツとハーフパンツ姿の自分をマジマジと見つめた。
仮にも男の子と2人きりなんだから、もうちょっと気を使って露出度の低い格好にするべきかな。
でも弟に気を使うのも変だし、第一暑いし。
・・・でもなー・・・
Tシャツとハーフパンツはともかく、
何かあった時の為に下着くらいはかわいい物を・・・
こらこらこら。
何を考えてる、私。
「何か」なんてある訳ないでしょ?
バカバカしい。
いつも通りにしてればいいのよ、いつも通りに。
私は脱衣所の扉を開くと、
憤然と2階へ向かう・・・前に、ジミィがいるリビングへ入った。
「・・・ジミィ。お風呂上がったよ。ジミィも入ったら?」
私がジミィに声をかけると、
ジミィはダイニングテーブルから顔を上げた。
「あ、うん。もう少しやったら入るよ」
「勉強?」
「うん。受験生だからね」
ジミィの手元を見ると、以前駅前の本屋で買ったらしい問題集が置かれていた。
私も去年やったことのあるやつだ。
結構難しい問題集だったと思うけど、そこにはぎっしりと解答が書き込まれている。
「凄い。ジミィって頭いいんだね」
「何言ってるの。愛実の行ってる高校、都内じゃトップレベルなんでしょ?」
「そうだけど・・・私立だし」
「だから余計に凄いんじゃない。僕はとても無理だなー」
そんなことはないと思う。
・・・そうだ。
「ジミィ、こっちの高校受けたら?」
「え?」
「で、うちから通えばいいよ」
ジミィが目を丸くする。
「そんなことできないよ」
「遠慮しなくていいよ。パパもママも、ジミィが来て喜んでるし」
これはお世辞じゃない。
パパはともかく、ママもすっかりジミィ派だ。
ジミィも都内の高校に興味があるのか、
それともここにいられるのが嬉しいのか、
その目が少し輝く。
「愛実は嫌じゃないの?」
「嫌じゃないよ、全然っ!」
私が力を込めてそう言うと、
何故かジミィの目の輝きが急速に失われていった。
「ジミィ?」
「やっぱりそれはできないよ」
「・・・ジミィのお母さんに悪いから?」
「・・・」
・・・そうよね。
ジミィはここに住めても、ジミィのお母さんまでここに住むことはさすがにできない。
この2週間、ジミィは自分の家族のことを私に話すことはなかったけど、
私は私なりにジミィの家庭について考えてきた。
海外出張に行くからと、ジミィのお母さんがジミィをうちに預けるくらいだから、
ジミィには今「お父さん」にあたる人はいないのかもしれない。
多分、兄弟も。
つまりジミィのお母さんは結婚しておらず、
ジミィはお母さんと二人暮らしなのだ。
そしてその原因を作ったのは、もちろん他でもないパパだ。
なのに、パパは私とママと何食わぬ顔して今まで「家族」をやってきた。
それを思うと、腹立たしいような申し訳ないような、複雑な気分になる。
だけどそのことはとにかく置いておくとして、
ジミィが本格的にここに住み始めたらジミィのお母さんは1人になってしまう。
ジミィもやはりそれは気が引けるのだろう。
だけどジミィは「そうじゃないんだ」と言った。
「もちろんそれもあるけど・・・それだけじゃないんだ」
「どういうこと?」
「・・・実は・・・」
ジミィが言いよどむ。
私はジミィが再び口を開くまで、しばらく辛抱強く待つ必要があった。
そして。
「実は僕、」
「うん」
ジミィが話しやすいように、軽く相槌を打ってやる。
でも、ジミィの次の言葉を聞いた瞬間、
そんな余裕も吹き飛んだ。
「お父さんの子じゃないんだ」
「え?」
「お父さんの子じゃないんだ」
ジミィはもう一度繰り返した。