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おれが指名手配       :約5500文字

作者: 雉白書屋
掲載日:2026/02/02

 ――なあ、ほら! やっぱりあそこの人さ……。

 ――ああ、似てるな……。


「またか……」


 夜のバー。薄暗い照明に煙草の煙が溶けて、グラスの乾いた音がかすかに響いている。おれはぼそりと呟き、声のしたほうへ体ごと向けた。テーブル席に座る二人の男が、こちらを窺うように見ていた。おれの視線に気づいた瞬間、二人ともギョッとした顔で固まった。

 もはや見慣れた反応だが、それでもどこか可笑しくて、おれは笑いを堪えた。口角をほんの少し上げる程度に留め、グラスを持ち上げて軽く会釈した。すると二人は、緊張が解けたように肩を落とし、ぎこちなく会釈を返してきた。


 ――人違いっぽいな。

 ――ああ、でもかなり似てたよな……。


「指名手配犯に……か」


 おれはグラスを置き、深く息を吐いた。

 この一週間で、何度間違えられたことか。もう、あしらい方まで身についてしまった。

 そう、あれはちょうど一週間前の朝のことだった。

 おれはテレビのニュースをぼんやり眺めながら、もそもそとパンをかじっていた。


『昨夜、二人の大学生を車で撥ね、そのまま逃走した男ですが――』


「えっ、おれ……?」


 思わず声が漏れた。画面の中では、アナウンサーが険しい表情で原稿を読み上げていた。どこにでもありそうな轢き逃げ事件。だが、次に映し出された犯人の男の顔を見た瞬間、眠気は一気に吹き飛んだ。その男は、信じられないほどおれに似ていたのだ。

 緊急指名手配され、懸賞金までかけられているという。

 確かに、おれの顔は平々凡々。どこにでもいそうだと昔からよく言われてきた。中学の美術の時間、似顔絵を描き合ったときなんか、『すごく描きやすい!』なんて、褒められているのか貶されているのかわからない妙な評価をされたものだ。

 これまでにも、他人と間違えられたことは三度ほどあった。だから、似た顔の人間が存在すること自体には驚かない。しかし、その相手が指名手配犯というのは初めてだった。

 おれは妙な胸騒ぎを覚えた。だが、たとえ胸焼けしようが痛もうが、会社は休めない。おれはいつもどおり身支度を整え、家を出た。


 ――ねえ、あの人……。

 ――昨日……。


 会社に着いてみれば、案の定だった。通勤途中から何人かに「あれ?」という顔で見られていたから、予想はできていた。

 同僚たちは最初、距離を取ってひそひそと囁き合っていたが、やがて親しい連中が先陣を切っておれを茶化し始めた。


「お前、人を轢いて逃げたくせに会社にはちゃんと来るってどういう倫理観だよ!」

「早退して出頭しな」

「はははは!」


 正直、かなりイラッときた。だが、ここでムキになれば面倒が増えるだけだ。波風を立てないよう、おれはへらへらと笑って受け流した。やがて上司がやってきて、「おい、不謹慎だぞ」と、なぜかおれまで注意され、ようやく皆仕事に戻った。

 おれは椅子に沈み込み、ほっと息をついた。だが、事はそれで終わらなかった。


 二、三日もすれば犯人は捕まるだろう――そう思っていたのだが、男は逃走を続け、窃盗などの罪まで重ねていったのだ。

 ニュース番組では連日、目撃情報が流れ、このまま番組のレギュラーコーナーになりかねないほどの勢いだった。

 犯人のせいで――ついでにマスコミも――とんだ迷惑だ。おれの日常はじわじわと侵食されていき、通勤中も買い物中も、視線が突き刺さった。

 社会人なら一つくらい行きつけのバーがあったほうがいいなと、せっせと通い詰めていたこの店でも、さっきのような目で見られる。マスターですら、グラスを磨きながらちらちらとこちらを疑うような目を向けてくる始末だ。

 これはもう、犯人が捕まるまでおとなしくしていたほうがいいかもしれない。通勤時はマスクとサングラスをして……いや、サングラスはやりすぎか。かえって怪しまれ――


「隣、いいですか?」


「えっ、ええ……まあ」


 不意に背後から声をかけられて振り返った。そこに立っていたのは、サングラスにマスク姿の男。

 男は「どうも」と小さく言って、おれの隣に腰を下ろした。

 驚いたな。ちょうど今、こんな格好を想像していた。それはさておき、知り合いか? ……いや、どうせまた例の件だろう。


「あなた、指名手配犯に――」


「はいはい、似てますけど違いますよ。犯人だったら、こんなに堂々としていられないでしょう?」


 おれは男の言葉を途中で遮り、そう言った。グラスに口をつけ、深くため息を吐く。


「……ええ、そう思って声をかけたんです」


 男はそう言うと、ゆっくりサングラスとマスクを外した。


「え……おれ、そっくり……?」


 おれは思わず息を呑んだ。目の前に現れた顔は、おれと瓜二つだったのだ。輪郭、眉や鼻の形、目の位置。髪の分け目や肌の細かなシミなど、細部は少し違うが、双子だと言われれば誰も疑わずに頷くだろう。おれ自身がそう感じるのだ。第三者から見れば、なおさら似て見えるだろう。見分けすらつかないかもしれない。


「……ああ、ははは。違いますよ。私がその指名手配犯なんてことはありません」


 男は困ったように笑い、ポケットから運転免許証を取り出して差し出してきた。どうやら、おれが警戒して固まっていると勘違いしたらしい。単に衝撃で言葉を失っていただけだが、これをきっかけに妙な親近感が一気に湧き上がった。もちろん、顔が似ているからというだけではない。同じ状況に置かれ、同じ鬱屈を抱えている――そのことが距離を一気に縮めたのだ。

 グラスを重ねるごとに会話は弾み、互いの愚痴や冗談が途切れることはなかった。気づけば店内には閉店の気配が漂い始め、マスターが片付けに取りかかっていた。

 店を出て夜風に当たっても、酔いと熱は冷めなかった。


「――で、ひどいもんですよ! 同僚どもときたら、最初は面白がって好き放題イジってたくせに、最近じゃ『本当にお前なんじゃないか』なんて思い始めてるんですよ。もう、空気がビンビン伝わってきて、やりづらいったらないですよ!」


「ええ、ええ、わかりますよ。私も同じです……。人間って不思議なもので、冗談のつもりでも、繰り返し口にしているうちに、だんだん本気になるんですよね。……あっ、すみません。少しお静かに。この辺、やたら神経質な男が住んでいまして」


「ああ、いますよねえ。どこの住宅街にも。おしゃべりが長い主婦とか、くしゃみがやたらでかいおっさんとか」


「ええ、ふふ。そういう人たちの顔も、実はそっくりだったりして」


「ははは、ありえますね! まあ、我々ほどではないでしょうけど! ははは!」


 今、唯一同じ苦労を味わっている者同士、どれだけ愚痴をこぼしても話足りず、気づけば男の家で飲み直す流れになっていた。


「ここが私の家です。さ、どうぞ」


「ああ、どうも」


 男が声を潜めたので、おれもつられて小声で返した。

 男の住まいは、古びたアパートの一室だった。玄関に入ると、女物の靴が揃えられているのが目に入った。


「奥さんがいるんですか?」


 おれは訊ねた。


「こんな時間に押しかけて大丈夫ですかね?」


「ええ、ええ。問題ありません。ただ、壁が薄いので、その点だけお願いしますね」


 おれは小さく頷いた。だが、それなら公園のベンチで缶を開けてもよかったのに。

 いや、もし巡回中の警官に見つかったり、通報されたりしたら厄介だ。この前など、牛丼屋で昼飯を食っていたら客の誰かが通報したらしく、警官がやってきて職務質問された。

 ……もっとも、この場合はむしろ面白いかもしれん。指名手配犯と同じ顔が二人もいるのだ。警官も驚くに違いない。

 そんな光景を想像して、おれは声を押さえてくっくっと笑った。


「しかし、世界には自分と同じ顔の人間が三人いるなんて言いますけど……」


 男は冷蔵庫を開け、ビールを二本取り出すと、一本をおれに手渡してきた。ご丁寧にプルタブまで開けてくれている。おれは軽く手を上げて礼をし、「ええ、言いますねえ」と返した。


「ははは、見つけちゃいましたねえ」


「ですねえ。……乾杯!」


 おれは床に腰を下ろし、缶ビールを掲げた。口元に運んで、喉へ流し込む。アルコールが一気に染み渡り、張り詰めていた神経がほどけていくのがわかった。


「あー、疲れたなあ……。いやあ、改めて思うと、ここ最近かなりしんどかったですよ。周りの視線とかひそひそ声が、もうトラウマで……。まあ、疑われるだけならまだマシなんですけどね。中には、いきなり腕を掴んで『お前、あいつだろ?』って詰め寄ってくるやつがいたり、青ざめて逃げるやつもいたり。……ああ、写真を撮られることなんてしょっちゅうですよ。ほんと、世間って勝手ですよねえ……。でも、あれですね、こうして考えてみると、似てるだけでこの心労ですから、本人はもっと地獄なんでしょうね。おれには絶対耐えられないなあ……。ははは、なんか背筋が冷えちゃいましたよ。犯人、今頃何してるんでしょうねえ……。案外、こんなふうに酒でも飲んでたりして。ははは、なんか同情しそうになりましたよ。いやあ、ダメですよね。いくら顔が似てるからって。まあ、轢き逃げなんてするやつの神経なんてわかりませんし、案外平気だったりするのかもしれませんけど。……ねえ?」


 舌が回る回る。おれはビールを飲みつつ、休みなく喋り続けた。愚痴と冗談の境目は曖昧になり、何が言いたいのか自分でもわからなくなりながらも言葉があふれ出していた。

 しかし、男は話に乗るどころか相槌すら打たなかった。妙だと思い、おれは振り返った――その瞬間だった。


「うっ!?」


 突然、首に何かが巻きついた。そして次の瞬間、ぐっと締め上げられた。鼻から一気に空気が押し出され、息が詰まり、視界が白く弾けた。

 反射的に両手を伸ばし、首に食い込んだそれを引き剥がそうとした。だが、なぜか指先に力が入らない。おかしい。すでに体が痺れているようだ。


「す、すみませんねえ」


 男の吐息が、耳と頬に生温くかかった。おれは喉の奥から、かろうじて声を絞り出した。


「ど、どういう……なんで……まさか、あんたが……」


「え? ああ、違いますよお。私は指名手配犯じゃありません」


 男は小さく笑った。


「……でもね、周りから『そう見える』って言われ続けているうちに、だんだんそんな気分になってきましてねえ。気が大きくなったというか。ははは、それでちょっとした犯罪をやってみたりしたんですよ。万引きとか、痴漢とか、まあ軽いやつをね」


 男は高揚した様子で、まるで武勇伝でも語るかのように喋り続けた。

 朦朧とする意識の奥で、点と点が繋がった気がした。もしかすると、ニュースで流れていた目撃情報のいくつかは――。


「でもね、妻に感づかれちゃいましてねえ」


 ぐぐぐっと締めつけが強まった。


「ははは、最初は妻も冗談で『轢き逃げしたの?』なんて笑いながら言ってたんですよ。でも冗談って、心のどこかに一ミリくらいは本気が混ざっているものじゃないですか。『最近、何か様子が変ね』『もしかして、うちの人……。轢き逃げじゃないにしろ、何かやったんじゃ……』なーんて疑い始めましてね」


 顔の内側がじんわりと熱くなってきた。苦しいはずなのに、どこかふわふわしている。視界の端が黒く沈み、音が水の底に沈んだように遠のいていく。男の話が頭に入ってこない。意識が体から剥がれ落ちていくようだ。


「それでね、口論になって……妻を殺しちゃったんですよ。あっ、事故ですよ、事故。突き飛ばしたら、打ちどころが悪かったみたいでね。ほんの数時間前の話です。それで、どうしようかと悩んでいたんですけど……ふとSNSで検索したら、指名手配犯の目撃情報が出てるじゃないですか。バーでお酒を飲んでるってね」


「お、れ……?」


「そうです。あなたです。『本物!?』なんて書いて、写真付きでね。投稿した人は本物だと思ったんですかねえ。まあ、どうでもいいか。はははは!」


 男は喉を鳴らし、唾を飛ばして笑った。ハイになっているようだった。


「でね、閃いたんですよ。全部、指名手配犯のせいにしてやろうって。いいですか、筋書きはこうです。偶然、指名手配犯が自分とそっくりな男――私ですね――を見かけ、殺して成り代わろうと考えた。家まで尾行し、ドアを開けた瞬間、襲いかかった。しかし、男には妻がいた。なので、二人まとめて殺すことにした。ところが、計画の甘さに今さら気づき、慌てて逃走。遺書を残して近くの林で焼身自殺。夫は怪我をしたものの生存、と。……どうです? その指名手配犯っていうのが、あなたですよ。ええ、思いつきにしては上出来でしょう? 燃やしちゃえばきっと警察にもわかりませんよね。へへへ……さてと――うっ!」


 ふっと、首元の締めつけがわずかに緩んだ。おれがもう死んだと思ったのだろう。

 その一瞬に、おれは全身の力を振り絞った。体を捻り、男に飛びかかる。目玉に指を突っ込み、喉を殴る。男が大きく咳き込み、倒れた。おれは男に馬乗りになり、殴った。殴り、殴り殴り殴り、息も声も出ないまま、ただ腕を振り下ろし続けた。


 ……どれくらい時間が経っただろうか。数時間……いや、せいぜい数分だろう。気がつくと、おれは呆然と立ち尽くし、荒い呼吸を繰り返していた。視線を下ろすと、男は床に伏していた。ぴくりとも動かない。

 おれはゆっくりと視線を上げ、天井を仰いだ。意味はない。ただ、見たくなかった。

 そのときだった。ガチャリとドアの開く音がした。おそらく隣の部屋だろう。続いて、インターホンが鳴り響いた。


「あのー、大丈夫ですか? あのー!」


 その瞬間、全身に電流が走った。おれは急いで靴を履き、窓を開けて外へ飛び出した。


 ――うおっ、なんだ!?

 ――あれ、今の人……。


 脇目も振らず、ただ走った。そして通行人とすれ違うたびに、おれは叫んだ。


「おれが轢き殺した! おれが指名手配犯だ! 指名手配犯の――だ!」


 その名を叫びながら、おれは心の底から祈っていた。

 どうか、本物の指名手配犯が捕まらずにいてくれ、と。

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