依頼箱は解決するための箱じゃありません。
今日も授業が終わり、風紀委員室に向かうと、風紀委員室の前に結衣が立っていた。
風紀委員室の前には机が一つ置かれており、その机に依頼箱が置いてあるのだが、結衣はその前にただ待っているような立ち方だった。
「お疲れ」
声をかけると、結衣は一瞬だけこちらを見て、
「いいところに来たわね」
と、すぐに話を切り出した。
風紀委員室に入ると、結衣は依頼箱から取り出した紙を、俺の方へ差し出してくる。内容は…
「ふぅん……喧嘩の仲裁か。そんなこともせないかんのかね」
思ったままを口にすると、結衣は少しだけ眉をひそめた。
「まあ……悩んでる人が声を上げてくれたのよ。それは素晴らしいことだと思わない?」
そう言いながら、紙に書かれていたSNSのアカウントをスマホで開き、迷いなくDMを送る。
しばらくして、通知音。
『今から2―1の教室に来てください!』
短い文面だった。
俺はそれを見て、なんとなく胸の奥がざらつくのを感じた。
喧嘩の仲裁なんて、だいたいは「遅すぎる」か「余計なお世話」か、そのどちらかだ。
二年一組の教室に近づくと、中から声が聞こえてきた。
騒がしいということはなく、笑い声とも違う、少しだけ硬い声だった。
教室の扉をノックすると、すぐに開いた。
中には三人。
教室の中央に、微妙な距離を空けて立っている。
二人は並んでいて、片方は肩までの黒髪、もう片方は明るい茶色のポニーテールが揺れていた。
もう一人は少しだけ離れていて、短めの前髪を額にかけるようにして俯いていた。
その距離と見た目が、喧嘩の内容をだいたい物語っている気がした。
「風紀委員の……」
結衣が名乗ろうとしたところで、一人の方が慌てて口を開いた。
「あ、すみません。わざわざ来てもらって…」
謝罪の言葉だったが、誰に向けたものかは曖昧だった。
俺は三人の顔を順番に見てから、教室の後ろに視線を流した。
誰もこちらを見ていない。
見ていないふりをしている、と言ったほうが正しいかもしれない。
喧嘩というほど激しくもない。
でも、何もなかったことにできるほど軽くもない。
そんな空気だった。
三人の話を聞いて、俺の頭の中で状況を整理すると、だいたいこんな感じだった。
・三人で行く約束をしていた映画があった。
・当日になって、一人にどうしても外せない用事ができた。
ここまでは、誰も悪くはない。
問題は、その先だ。
・残った二人は、元々の予定通り映画を見に行った。
・一人になったそいつは、それを知って腹を立てた。
・二人は「仕方ないだろ」、「後日改めて三人で行ける」と思い、一人は「その日以降に改めて行くことにしてほしかった」
要するに、
約束を破った誰かの話じゃなく、期待を裏切られた誰かの話だった。
俺は三人の顔をもう一度見た。
誰も声を荒げていない。
誰も相手を罵っていない。
ただ、それぞれが自分の正しさを、少しだけ譲れずにいる。
正論は三つあった。
でも、正解はひとつもなかった。
三人の主張を一通り聞いて、
俺の中には一つだけ、はっきりしていることがあった。
全員を納得させる方法はない、ということだ。
時間をかければ、全員に少しずつ我慢してもらうことはできるだろう。
言葉を選んで、順番に説明して、「どっちも悪くないよね」みたいな着地点を用意すれば、たぶん表面上は丸く収まる。
でも、風紀委員として、そこまで世話を焼く必要があるとは思えなかった。
それに――
三人を同時に納得させるより、一人に納得してもらうほうが、圧倒的に早い。
俺は、少しだけ離れて立っている短髪の子のほうを見た。
悪いことをしたとは思っていない顔。
でも、裏切られたと思っている顔でもあった。
手はポケットに入れたまま、微かに肩が揺れている。
だからこそ、言うべき相手は決まっていた。
「気持ちは、わかる」
そう前置きしてから、俺は続けた。
「行けなかったのが不可抗力だったのは、仕方ないと思う。それで寂しかったって気持ちも、別におかしくない」
ここで一拍置く。
「でもさ、今回当日キャンセルしたのはあくまで君のほうだ」
短髪の子の肩が、ほんの少しだけ強張った。
茶色のポニーテールの子は髪をかき上げ、黒髪の子は軽く肩を揺らす。
二人も無意識に、自分の立場を噛みしめているように見えた。
「二人の予定を狂わせた側なのも、事実だ。だから、行ったこと自体を責めるのは、違うと思う」
責めているつもりはなかった。
ただ、立場を整理しただけだ。
俺は正しさを選んだわけじゃない。
ただ、一番効率のいい落としどころにストンと落としただけだ。
俺の言葉を受けて、短髪の子が小さくうなずいた。
「……そうだよね…私が悪かったかも、、」
その声は落ち着いていたが、
納得したというより、飲み込んだ、という感じだった。
茶色ポニーテールの子と黒髪の子も、慌てて首を振る。
「いや、私たちも言い過ぎた」
「うん…ごめんね、そんなつもりじゃなかったの」と。
ここで、結衣が一歩前に出た。
「えっと……二人とも」
柔らかい声だった。
責める色は、ほとんどなかった。
「確かに、予定通り行ったのは間違いじゃないと思うわ。
でも、それはそれとして……」
一瞬だけ言葉を探す間があってから、結衣は続けた。
「友達なら、待ってあげてもよかったんじゃないかな、って」
フォローのつもり、だったのだろう。
教室の空気が、ほんの少しだけ止まった。
『友達なら』きっと無自覚だが、残酷な響きだった。
茶色のポニーテールの子は、口元を少し引き結び、黒髪の子は肩を軽く揺らした。
短髪の子は俯いたまま、手をポケットに突っ込んでいた。
「……ごめん」
「ごめんなさい!」
言葉も、動きも、きちんと揃っていた。
それに合わせるように短髪の子が少し遅れて頭を下げる。
それを見て、俺は思う。
謝ることは、揃えられる。
でも、気持ちまで揃うとは限らない。
二人のその謝り方が、あまりにも綺麗だったせいで、
俺は逆に、不安になった。
話は、それで終わったことになった。
三人は「じゃあ」「また明日」と、
少しぎこちないけど、笑顔を作って教室を出ていった。
誰も怒鳴っていない。
机も椅子も倒れていない。
問題が起きた形跡は、もうどこにもなかった。
「……これで、一件落着、かしら」
結衣が小さく息を吐く。
「そう見えるな」
俺はそう返したが、自分の声がどこか他人事に聞こえた。
三人は並んで歩いていた。
茶色ポニーテールは少し歩幅を合わせるようにして、黒髪は気にするように腕を揺らし、短髪の子は半歩遅れたまま。
しかし同じ場所にいるということは同じ物をみているわけではないのだ。
風紀委員室へ戻る途中、
結衣は何度か振り返った。
「ねえ、さっきの三人……」
「ん?」
「本当に、あれでよかったのかなって」
歩きながら考えている、というより、考えずにはいられない、という顔だった。
「時間が経てば、たぶん大丈夫だよ」
俺は、いつもの調子で言う。
時間が解決するのは傷跡じゃなくて傷だけだということは知っていながら。
「高校生の喧嘩なんて、だいたいそうやって自然に薄れる」
「……そうかな」
「第一、人の関係はそんなに簡単に切れるものじゃない」
「先週とは言ってることが違うじゃない…」
「ケースバイケースだよ」
結衣はまだ納得していない様子だった。
「やっぱり、もう一回声かけたほうが――」
「やめとけ」
少しだけ、強めに言った。
結衣が驚いたように、俺を見る。
目は合わなかった。
「俺たちは、もうやれることはやった」
「それ以上踏み込むと、今度は“風紀委員の仕事”じゃなくなる」
人は、他人の人生の責任を背負えるほど人と関わることはできないのだから。
「……」
結衣は黙り込んで、
しばらく床を見ていた。
沈黙が続いた。
「……そっか」
その一言で、話は終わった。
時間が解決する、なんて言葉は、だいたい何もしたくない時に使われる。
俺は知っている。
今日の喧嘩は、時間が経てば忘れられる種類のものじゃない。
ただ、誰か一人が、先に距離を取るだけだ。
それが誰かは、
もう、だいたい見当がついていた。
誰かの決定的な過ちのない喧嘩ほど厄介なものはない。
風紀委員室に戻ると、依頼箱は空だった。
「今日の依頼は、これで終わりか?」
結衣が中を覗き込む。
「じゃぁ、今日の分は解決だな…」
「……解決、なのかしらね」
結衣の言葉に、俺は答えなかった。
この学校には、毎週月曜日だけ風紀委員室の前に願いを叶えてくる依頼箱がある。
だが。
風紀委員の依頼箱は、なんでも問題を解決してくれる箱じゃない。
問題を、表に出し、尚且つ部外者の介入を許容するかどうかを決めるための「箱」だ。
重めの話になっちゃいましたが読んでいただきありがとうございました!
こういうニュアンスの話を何処かにいれるのはこの物語を思いついた時に既に決めてたのですがこんなに早く出すのは自分自身想定外でした。
今までの3話では個人的に好きなようには描けていますが自身の文章能力故か読者を引きつける魅力というかフックが弱い気もしてました…
ならばここいらで一個事件を…という次第です。
感想お待ちしてます




