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風紀委員は何でも屋じゃありません。  作者: ハンサムアジフライ
17/18

理屈は、弾いてからでいい。

文化祭の二日後。

振り返り休日を挟んで、金曜日の朝。


二日前まで校内を満たしていた騒がしさは、まるで最初から存在しなかったみたいに消えていた。

学校に残っているのは、校庭に落ちて砂利と一体化した焼きそばのカスと、やけに整った掲示物。それと、疲れきった空気だけだ。


登校時間ぎりぎりの下駄箱は、それなりに人がいるはずなのに、不思議と静かだった。

誰もが文化祭を終えた後特有の、力の抜けた顔をしている。


靴を脱ぎ、上履きを取り出す。

いつも通りの動作。


その途中で、視界の端に見覚えのある背中が入った。


黒澤美琴。


少し猫背で、周囲を気にするようにきょろきょろと視線を動かしながら、彼女は下駄箱の前に立っていた。

慣れない手つきでどこか慌ただしい。


ああ、そのクラスだったのか。


それだけだった。

文化祭の間、彼女の存在はほとんど意識の外にあった。


声をかける理由はなかった。

視線を向ける理由もない。

俺が彼女に関わる理由は、もうない。


俺は自分の靴箱に視線を戻し、そのまま上履きを履いた。

それで終わりだ。


金曜日は、何事もなく過ぎた。


授業はどれも集中できないまま流れ、休み時間は文化祭の反省と雑談が混じった曖昧な空気で埋まる。

誰かが騒ぐでもなく、誰かが落ち込むでもなく。


日常に戻る、というよりは、音量を下げただけ、そんな感じだった。


帰り道、朝に見た黒澤のことを思い出すことはなかった。


土日が過ぎる。


特別なことは何も起きず、時間だけが進んだ。


月曜日の朝。

また下駄箱に立つ。


月曜特有のだるさを抱えながら、靴を脱ごうとしたとき、視線が、また同じ場所で止まった。


黒澤美琴が、そこにいた。


金曜日と同じ下駄箱。

同じ位置。

同じように、少し落ち着かない様子で。


特別不思議なことはない。

今まで気にしてなかっただけだ、そこが彼女の下駄箱ならば…

登校の時間が被ること自体、珍しくはない。


それでも、視線が一瞬だけ、離れなかった。


黒澤は、周囲を一度見回してから足早に立ち去った。

俺はその背中を、ただ見送る。


声はかけない。

何も起こらない。


それでいい。


放課後。

風紀委員室には、二人いた。


「あ、恒一。おつかれー」


あかりが、いつも通りの明るい声で手を振る。

文化祭のときと変わらないテンション。

結衣の隣で机にもたれる顔が、やけに元気そうに見えた。


「おつかれ様」

結衣も既に席についていて、依頼の紙を確認している。

内容は軽いものだった。文化祭で披露した歌の感想が欲しいらしかった。

すぐ終わる。

というか、こんな依頼受ける必要生を俺は感じないが、結衣は「困ってるなら」と俺たちを引っ張るのだった。


三人で思い出しながら感想を出し合い、DMを送って、風紀委員室を軽く掃除して鍵を閉める。

それだけ。


あかりは、最後まで何も変わらなかった。

笑って、喋って、冗談を言って。


噂のことなんて、微塵も感じさせない。


結衣と視線が合う。

何も言わない。

それが、二人の共通認識だった。


知らないふりをする。

あかりの前では。


それが正しいかどうかは分からない。

でも、今はそれしか選べなかった。


三人で下駄箱に向かう。


ふと横を見ると、あかりがいた。


靴を履き替えながら、スマホで誰かとメッセージを打っている。

鼻歌混じりで、楽しそうだ。


――位置。


その下駄箱の位置を見た瞬間、朝の光景が脳裏に浮かんだ。


黒澤美琴。

金曜日の朝。

今日の朝。


同じ場所。


「なぁ、あかり」


気づけば、声が出ていた。


「ん?なに?」


あかりは振り返り、首を傾げる。


「そこ……本当にあかりの下駄箱だよな?」


一瞬、きょとんとした顔。

すぐに笑う。


「なにそれ。うん、そうだけど?どういう意味?」


「いや……なんでもない」


自分でも、どういう意味なのか分からなかった。

結衣も不思議そうに首をかしげる。

あかりは気にせず靴を履き終え、立ち上がる。


「変な恒一。じゃ、また明日ね」


「ああ」


軽く手を振って、彼女は結衣と帰っていった。


一人残された下駄箱前で、俺は動けずにいた。


考えすぎだ。

偶然だ。

関連付ける理由なんてない。


それでも。


もし。

もしも、噂が噂だけじゃなかったら?


もし、下駄箱に何かされていたとしたら?

もし、それに誰かが関わっていたとしたら?


そして、もし。

それが


自分が中途半端に関わった過去と、繋がっていたとしたら。


足が重い。

帰り道が、やけに長く感じた。


頭の中で、音が鳴り続けている。

『……気づかないふり、してるでしょ?』

その音は頭をずきずきと刺激する。


結論は出ない。

出せない。


ただ、ひとつだけ分かっていることがあった。


このまま、何も考えずにやり過ごすには…

もう、気づいてしまった。


日常に戻ったはずの学校は、少しだけ、音程がずれていた。


下駄箱を離れてから、しばらく自分がどの道を歩いていたのか覚えていない。


足は勝手に動いていて、頭だけが遅れてついてきている。


考えるな、と思うほど考えてしまう。

偶然だ、と言い聞かせるほど、その偶然が頭の中で形を持ち始める。


黒澤美琴。

あかり。

下駄箱。


どれも単体なら、意味を持たないはずの要素だ。


それなのに、三つ並んだだけで、

胸の奥に引っかかるものが生まれてしまった。


家に着いても、集中できなかった。

夕飯の味も、テレビの音も、どこか遠い。


夜になって、ようやく布団に入ったが、眠気は来ない。

天井を見つめながら、同じ映像を何度も反芻する。


俺は、何を疑っているんだ?


誰かを疑うほどの根拠は、何もない。

それなのに、疑念だけが先に立ち上がってしまう。


中途半端な介入が、状況を悪化させる。


それは、過去に身をもって学んだことだった。

助けたつもりで、手を伸ばした結果、


だから、慎重になった。

だから、距離を測るようになった。


今回も、そうするべきだ。

そうするべき…なのに。


目を閉じると、

下駄箱で振り返ったあかりの顔が浮かぶ。


「どういう意味?」


何も知らない顔。

何も知らない、ふりをしていない顔。


本当に?


そこまで考えて、思考を止めた。

これ以上考えても、答えは出ない。


眠れないまま、夜が明けた。


翌日、学校では何も起きなかった。

少なくとも、俺の目に映る範囲では。


登校時間を少しずらした。

黒澤を見かけることはなかった。

あかりは相変わらず明るくて。

結衣もいつも通り、背筋を伸ばし、制服をきっちりと着ていた、すれ違いざまに言葉を交わした。


平穏。

これ以上ないくらいの、平穏。


それが、逆に落ち着かなかった。


放課後、校門を出たところで声をかけられる。


「弦が切れたみたいな浮かない顔してどうした?恒一らしくねぇな」


振り返ると、ジミヘンが、ギターケースを背負って立っていた。


相変わらず、自己主張の激しい服装。

袖を引きちぎったシャツに、意味があるのか分からないアクセサリー。


「別に。いつもこんな顔だろ」


「いや、今日は輪をかけてる」


納得していない顔。

こいつは、人の変化に妙に敏感だ。


「…この後、暇か?」


「まぁ、予定はないけど」


「じゃあ決まりだな。スタジオ行こうぜ。セッションしよう」


「……俺、ベース持ってきてねぇし」


「俺ん家、駅に近いし。ベースもある」


即答だった。

逃げ道を塞ぐのが上手い。


「どうだ?」


少し迷って、頷いた。


「……まぁ、いいけど」


ジミヘンは満足そうに笑った。


歩きながら、どうでもいい話をする。

文化祭の反省、次にやりたい曲、音楽の話。

それと、あかりの話。


自然と、口が軽くなる。

こいつ相手だと、妙に言葉が出てしまう。


「なぁ、恒一」


ふいに、声のトーンが変わった。


「恒一は知らないふりしてるって言ってたけど……あかり、噂のこと知ってるぞ」


「……は?」


足が止まりそうになるのを、なんとか堪える。


「というか、それ自体は元彼と別れたくらいから悩んでたらしい」


頭が、追いつかない。


「でも……あいつ、そんな素振り」


「見せねぇよ。あいつ、そういうやつだろ」


ジミヘンは、少し間を置いてから、

わざとらしい声色で続けた。


「『私ってこんな見た目と性格だから、嫌う人がいるのも理解できるし……あ、これ恒一と結衣ちゃんには秘密ね』」


似ていないモノマネ。

なのに、やけに生々しい。

優しくて、さっぱりした性格の、つよい女の子の真似。


「それ……言っていいのかよ」


「よくはねぇな。でも、今は言う」


駅から少しだけ離れた古いアパートの前に着く。

夕方の光が、妙に眩しかった。

少し待つとジミヘンがベースを持って降りてくる。


「あとそういえば…下駄箱に、なんか悪い手紙が入ってることもあったらしい」


その一言で、頭の中の線が、急に繋がった。


黒澤。

下駄箱。

あかり。



いや、確信はない。

ただ、可能性として浮かび上がっただけだ。


「……そっか」


それ以上、言葉が出なかった。


「どうすりゃいいんだろ……」


思わず、漏れた。


ジミヘンは、少し考えるような素振りをしてから言った。


「俺はさ。ロックの魂を持ってる奴としか、バンドは組まないって決めてる」


「何の話だよ」


「お前にはな、感じたんだよ」


真面目な顔。

冗談を言っているときとは、明らかに違う。


「何があったかは分かんねぇ。でも今は、隠れてるだけだ。ロックの魂が」


思わず、苦笑する。


「俺は意外と、見る目がある」


自信満々に言い切る。


「どうしたらいいか分かんねぇならさ……魂に聞けばいい」


答えは、最初から決まっていた。

でも、それを選ぶ勇気がなかった。


「でも……人っていうのは、他人の人生の責任を…」


言いかけたところで、

ジミヘンが被せる。


「理屈は、弾いてからでいい」


いつの間にか、スタジオの前に着いていた。


機材を運び込み、アンプを繋ぐ。

慣れた手つき。


「なぁ、俺達二人でも、まともなセッションになるのか?」


「ドラムは縁の下の力持ちってよく言うだろ」


特徴的なボディのギターを肩にかけながら、ジミヘンは言う。


「それで言うと、ギターはリーダーだな。で、ベースは相棒だ」


チューニングを合わせる。


「互いの音を聞きあえば、それで十分だ」


演奏が始まる。


荒い。

リズムもテンポも、正直めちゃくちゃだ。


それでも、不思議と噛み合っている。

互いに、相手の音を待つ瞬間がある。


音をぶつけ合うんじゃない。

隙間を探して、埋める。


気づけば、息が切れていた。


文化祭より、ずっと疲れた。


肩で息をしていると、

ジミヘンがぽつりと言った。


「……お前の相棒はさ」


俺のベースを指しながら。


「どうしたいって、言ってた?」


「なぁ…黒澤美琴って、知ってるか?」


答えは、最初から決まっていた。




翌週の月曜日。


朝から落ち着かない。

あのセッションのあとから中々腹が決まらず、今日まで伸びた。

それでも、足は動く。


放課後、あかりを呼び止めた。


「ちょっと、来てほしいところがある」


「なに?珍しいね、これから委員室行こうとしてたけど…」


軽い調子。

何も疑っていない。


空き教室に入ると、

すでに黒澤美琴が待っていた。


「え?」


あかりが目を丸くする。


「みこちゃん?なんでいるの?二人、知り合い?」


『みこちゃん』という呼称で俺の妄想が少し担保される。


答えずに、黒澤に向き直る。


「なぁ、黒澤美琴」


声が、思ったより落ち着いていた。


「俺達が毎週月曜日に、依頼箱をやってるのは知ってるよな」


黒澤は、小さく頷く。


「たまに……厄介な依頼が来る。人手が足りないときがある」


言葉を選ぶ。


「たまにでいい。ほんとに、たまにでいいから」


一拍置いて。


「顔を出してくれないか。力を、貸してほしい」


黒澤は、すぐには答えなかった。


あかりは、状況を飲み込めていないまま、

不安そうに二人を見比べている。


正しいかどうかは、分からない。

これで、何かが良くなる保証もない。


ただ――


理屈は、もう十分考えた。


あとは、弾いた音を信じるだけだ。

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