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風紀委員は何でも屋じゃありません。  作者: ハンサムアジフライ
15/18

続ける

最後の音が途切れて、音楽室に妙な静けさが落ちた。

アンプの残響と、耳の奥に残るキーンという感覚だけが、さっきまでの騒音を主張している。


ひどかった。


それが、正直な感想だった。

リズムはズレる、指はもつれる、譜面を追うのに必死で周りを見る余裕もない。途中で何度も入りを間違えたし、走ったり溜めたり、統一感なんて欠片もない。


なのに。


「……」


俺は、ベースを抱えたまま小さく息を吐いた。

汗が額を伝って落ちる。手のひらがじっとりと湿っている。


ひどかったのに、不思議と嫌じゃない。


胸の奥に、熱の残り火みたいなものがあった。


「いやー! 楽しかった楽しかった!!」


沈黙を破ったのは、あかりだった。

スティックを机に放り投げて、満面の笑みを浮かべている。


「グダグダだったけどさ! 音出してる時、めっちゃテンション上がったんだけど!」


「……そうだな」


俺は曖昧に頷いた。

自分の評価と、彼女の評価が噛み合っていない気がして、どう返せばいいかわからなかった。


その様子を見ていたジミヘンが、軽く肩をすくめる。


「まぁ、初日だしこんなもんだろ」


ギターをスタンドに立てかけながら、あっさりと言う。


「音出たなら合格。ゼロ点じゃねぇ」


褒めてもいないし、貶してもいない。

結果よりも、今日やったという事実だけを拾い上げるような言い方だった。


あかりは「それな!」と勢いよく頷き、恒一は何も言えずに視線を落とした。


でも。

足を引っ張ったのは、どう考えても俺だ。


反省会、というほど大仰なものではなかった。

片付けをしながら、さっきの演奏を振り返るだけの、だらだらした雑談だ。


「途中、ちょっと走ったよね」


あかりが言うと、ジミヘンは「あぁ」と短く返す。


「俺だな。テンポ欲張った」


「え、そう?」


あかりは首を傾げるが、俺は内心で違うと思っていた。


違う。俺だ。


入りが遅れた。フレーズを落とした。

自分が崩れたせいで、全体が引っ張られた感覚は、弾いていた本人が一番わかっている。


 「ベースも悪くなかった」


 不意に、ジミヘンがそう言った。


 「……」


 俺は思わず顔を上げる。


「久々であれなら相当だ。合わせは次から詰めりゃいい」


あっさりとした口調だった。

まるで本当にそう思っているかのように。


嘘だ。


俺は確信していた。

この人は、気づいていないはずがない。


……違うだろ。


でも、その違和感が、妙に胸に残った。

責められなかったことよりも、庇われたことの方が、じわじわと効いてくる。


「じゃ、今日はこんな感じで!」


あかりがスマホを手に取る。


「私、ちょっとトイレ寄ってから帰るね」


そう言って音楽室を出ていくと、空間は一気に静かになった。


俺とジミヘン、二人きり。


窓から差し込む夕方の光が、床に長い影を落としている。


しばらく無言のまま、ジミヘンは弦を軽く拭いていた。

その仕草を、俺ははなんとなく眺めていた。


「……続けてるんだな」


気づけば、そんな言葉が口から出ていた。


ジミヘンは手を止め、「あぁ」と短く返す。


「上手い人なんて、いくらでもいるのに」


自分で言っておきながら、何が言いたいのかはよくわからなかった。

ただ、聞いてみたかった。


ジミヘンは少しだけ考えるように視線を上げてから、言った。


「上手くいかなくてもいい、そういう意味だと、さっきのセッションは悪くない」


淡々とした声だった。


「ただ、途中で投げるのが一番ダサい」


その言葉に、俺の胸が小さく鳴った。


逃げないということは、きっと才能なのだ。


ふと、そんな独白が頭をよぎる。


格好も言動もふざけている。

でも、この人は、ここから逃げない。


「……」


俺はベースのネックを見つめたまま、何も言えなかった。


ただ一つ、はっきりとした感覚だけがあった。


ああ、こいつは続ける側だ。


そして。

自分は今、その隣に立ってしまったのだと。




ガラッ、と音を立てて扉が開いた。


「お待たせー」


あかりが、少しだけ息を切らして戻ってくる。

何も知らない顔で、さっきまでの空気を軽々と踏み越えてきた。

ジミヘンは気のない返事をしながら、ギターケースを閉める。


「今日はもう解散でいいだろ。初日だし」


「えー、もうちょい喋りたかった」


「次あるだろ」


そう言われて、あかりは一瞬だけ考えるような顔をしてから、にっと笑った。


「じゃあ、明日もやろうよ」


あまりにも自然に出た言葉だった。

特別な決意も、重たい意味もない。ただの延長線。


俺は一瞬、言葉に詰まった。


「……明日は」


二人の視線が向く。


「風紀委員の集まりがあるから。ちょっと、遅くなる」


言ってから、自分でも意外だった。

断りの言葉じゃない。ただの、状況説明だ。


「了解」


ジミヘンは即答だった。


「何時でもいい。来れる時間で」


「ロックはお前を待ってるぜ」


あかりも、あっさりと言う。


「無理なら無理で、連絡くれればいいし」


……あっさり、受け入れられた。


その事実に、俺は小さく肩の力を抜いた。


「じゃ、決まりだな」


ジミヘンがドアに手をかける。


「明日、また音出そう」


「うん!」


あかりが元気よく頷く。


俺は、少しだけ間を置いてから、短く答えた。


「……ああ」


音楽室の電気を消して、廊下に出る。

ドアが閉まる音が、今日の終わりを告げるみたいに響いた。


明日、また集まる。


それだけのことなのに、胸の奥が妙にざわついていた。


逃げなかった。

約束を、口にしてしまった。


それが、自分にとってどんな意味を持つのか、まだ、わからないまま。



翌日。

放課後の廊下は、文化祭前特有のざわつきに満ちていた。ポスターを抱えた生徒、脚立を運ぶクラス、浮ついた声。

その流れに逆らうように、俺は風紀委員室へ向かう。


今日は直前集会。

文化祭当日の巡回、注意事項、何かあったときの連絡系統――内容は地味だが、こういうところが疎かになると、後で俺達がもっと面倒になる。


集会は淡々と進み、気づけば予定通りに終わった。

なんとなく残った空気のまま、片付けをしていると、坂下結衣が隣に来る。


「あかりさんから聞いたわ。私のかわりに、相馬くんが依頼を受けてくれたって」


「まぁ……経験者だし。依頼ってわけでもないけどな」


言いながら、少しだけ視線を逸らす。

結衣はそれを咎めるでもなく、ただ微笑んだ。


「ありがとう」


……こういうところが、ずるい。

やっぱり俺は、この人の笑顔に弱い。


そのまま二人で委員室を出て、並んで廊下を歩く。

文化祭の話題がいくつか続いたあと、結衣がふと思い出したように言う。


「そういえば、石井晴人くんには袖をなんとかするように言っておいてくれるかしら」


「あー……まぁ、文化祭だし」


「文化祭は免罪符じゃないわよ?」


苦笑い。

正論すぎて返す言葉がない。


階段の前で足を止める。


「じゃ、俺このあとバンドあるから。じゃあな」


「ええ。気をつけて」


それだけ言って、結衣は反対方向へ歩いていった。

振り返らなかったのは、たぶん正解だ。


トイレに寄って、手を洗って外に出たところで、聞き覚えのある柔らかい声がした。


「恒一くんおつかれさまー」


阿津間梓だった。

相変わらず明るく、距離が近い。


「バンドやるんだよね?楽器出来たんだ! かっこいいね〜!」


「まぁ……下手くそっすけどね」


言い慣れた逃げ口上。

阿津間梓は気にした様子もなく、少し考えるように首を傾げた。


「そうだ恒一くん。結衣ちゃん……ちょっと元気になったよね?」


「別に、変わんないと思うけど……」


自分でも分かるくらい、適当な返しだった。

阿津間梓はその返事を聞いて、にこっと笑った。

一拍ためる。


「まさかさ。あのやり方で自分は『動けた』なんて思ってないよね」


胸の奥が、少しだけひっかかる。


「……気づかないふり、してるでしょ?」


阿津間梓は責めるでもなく、ただそう言った。

ずっと、笑顔のまま。


何も言えずにいると、阿津間梓は軽く手を振った。


「じゃ、またね。文化祭、楽しみにしてるね」


なんの話?と聞きたかったが、聞かなかった。

その背中を見送りながら、俺は楽器ケースを握り直す。


動けたかどうかなんて、自分ではわからない。

ただ、、俺は追いかけなかった。



——それから数日、特に何かが起きたわけじゃない。


学校はいつも通りで、

風紀委員の仕事も、バンドの練習も、

ただ淡々と時間を消費していった。


気づかないふりをしている間に、

文化祭当日の朝は、すぐそこまで来ていた。

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