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風紀委員は何でも屋じゃありません。  作者: ハンサムアジフライ
11/15

風紀委員は正義が味方になる場所です。

夏休み明け最初の朝。

結局結衣やあかりとの「偶然」もなく理想的な夏休みを謳歌していた。

久しぶりの制服は、思っていたよりも窮屈だった。


シャツの生地が肌に張り付き、ネクタイの感触が妙に主張してくる。

たった一ヶ月程度私服で過ごしただけなのに、人間は簡単にだらけるらしい。


校門をくぐると、校舎の空気が変わる。

蝉の声はまだうるさいのに、どこか勢いがない。

代わりに、ざわついた人の声が校内を満たしていた。


「久しぶりー」

「焼けた?」

「宿題終わった?」


笑い声は多い。

けれど、その一つ一つが、どこか探るようだ。


夏休みという長い空白は、人間関係を一度リセットする。

距離感を測り直し、立ち位置を確認し合う。

それは楽しい再会でもあり、面倒な再配置でもある。


まあ、俺には関係ないが。


下駄箱で靴を履き替え、廊下を歩く。

すれ違うクラスメイトの顔は、知っているようで知らない。

いや、正確には知っているつもりなだけだ。


教室に入ると、すでに何人かが集まっていた。

夏休み前と同じ席、同じ机。

なのに、配置が微妙に変わったような錯覚を覚える。


俺は席に座り、机に突っ伏す。

周囲の会話は自然に耳に入ってくる。


「ねえ、あのグループ、なんか雰囲気変わってない?」

「わかる。夏休み中に何かあったんじゃない?」


こういう時、人は変化に敏感になる。

理由なんてなくてもいい。

違いがあれば、そこに意味を見出そうとする。


「久しぶり恒一」

隣から山本の声が聞こえる。

「なんか夏休みらしいことしたか?」


意外と俺にもリセットされない関係はあったようだ。


「喫茶店の冷房効きすぎて外出た時逆に『あったか…』て感じる現象経験した」

そういうと山本は楽しそうに笑って他のクラスメイトに話しかけに行く。


始業式は、特に変わったこともなく終わった。

校長の長い話、夏休み中はどうだったかという答えを求めぬ問い、二学期への抱負。

話を右から左へ流しながら、俺はぼんやりと考えていた。


教室から体育館へ移動する時の事だ。


今日は仕事はない。

夏休み明け初日、風紀委員の出番はないはずだった。


「相馬くん」


振り返ると、結衣が立っていた。

背筋はまっすぐ、表情はいつも通り。

ただ、ほんの少しだけ、視線が泳いでいる。


「放課後、少し時間ある?」

「今日は仕事ない日だろ」

「ええ、本来はね」


本来は。


嫌な言葉だ。


「依頼があったの」


結衣は声を落とす。

その仕草だけで、軽い内容じゃないことが伝わる。


「朝、依頼箱に入ってたわ」

「……早いな」

「ええ」


それ以上、結衣は何も言わなかった。

廊下の向こうから、クラスメイトの笑い声が響く。


この中の誰かが、

あるいは、この笑い声の外側にいる誰かが――

そう考えると、胸の奥が少しだけざらついた。


授業はないはずなのに、時間の進みが遅い。

教室の空気は落ち着かず、誰もが所在なさげに過ごしている。


固まって歩くグループと、ぽつんと一人でいる影。

それを誰も気に留めないふりをしている。


俺は、目を逸らした。

今は、何も起きていない。

そう思い込むために。


教室でのホームルームが終わる。

ようやく時間が動き出した気がした。


委員室へ向かう途中、

胸騒ぎがする。


委員室のドアを開けると、

結衣が既に待っていた。


机の上には、一枚の紙。


「それが、依頼か」

「ええ」


結衣はそう言って、紙をこちらに向ける。


俺は、名前を見る。


黒澤美琴。


喉の奥が、静かに詰まった。


――あの娘だ。


夏休み前の何も依頼が来なかったあの日。

ノック。

言葉にならなかった声。

「やっぱ、いいです」と言って去った背中。


あの時、俺は言った。


《今は、来なかったってだけだ》


本当に、そうだったのか。


結衣はまだ、気づいていない。

ただ、紙を見つめている。


「放課後、本人と話す約束をしてるわ」


その言葉が、

この日の本当の始まりだった。



風紀委員室は、静かだ。


窓は半分だけ開いていて、廊下の向こうから部活の掛け声がかすかに聞こえる。

夏休み明け初日だというのに、校舎はもういつもの放課後の顔をしていた。


結衣は机の前に座り、依頼用紙を整えている。

俺は壁際に立ち、特に意味もなく掲示物を眺めていた。


ノックの音は、小さかった。


一度。

ためらうように、もう一度。


「どうぞ」


結衣がそう言うと、ドアがゆっくりと開く。


入ってきたのは、小柄な女子生徒だった。

黒いボブの髪。

肩より少し下で揃えられていて、毛先がわずかに揺れている。


――黒澤、美琴。


その名前が、自然に浮かぶ。


彼女はドアの前で立ち止まり、室内を見回すでもなく、ただ床を見ていた。

両手は体の前で軽く握られ、指先が微かに動いている。


「……」


言葉は出ない。


結衣が、はっとしたように息を吸うのがわかった。

視線が一瞬だけ揺れる。


あぁ。

たぶん、気づいたんだ。

あの時のこと。


声をかけるべきだったかもしれない、あの瞬間。

何も言わずに見送った背中。


結衣は椅子から立ち上がり、できるだけ柔らかい声を出す。


「どうしたの? 座ってもいいわよ」


黒澤は一瞬だけ顔を上げた。

目が合いそうになって、すぐに逸らされる。


それでも、数秒遅れて、小さく頷いた。


椅子を引く音が、やけに大きく響く。

黒澤は椅子の端に腰掛け、背中を丸めた。


沈黙が落ちる。


結衣も俺も、何も言わない。

こういう時、下手に急かすのは逆効果だ。

きっと、そういう内容だ。

本人が話し出すまで、待つしかない。


廊下の足音。

遠くで鳴るチャイム。

窓から入る風が、紙をわずかに揺らす。


黒澤の視線は、ずっと机の上だった。

指先が、制服の裾を掴んで離さない。


逃げ場を探してる。


そう見えた。


「……あの」


かすれた声だった。


結衣が、ゆっくりと顔を向ける。


「大丈夫よ。ゆっくりでいいわ」


黒澤は小さく息を吸い、もう一度口を開く。


「……その……」


言葉が、途中で途切れる。

喉の奥で詰まっているのが、見ていてわかる。


俺は、視線を落としたまま、何も言わない。

ここで俺が口を挟む理由はない。


数秒。

あるいは、もっと長かったかもしれない。


「……風紀委員室に……来れば……」


黒澤は、そう言って止まった。


結衣は、相槌も打たない。

ただ、頷くだけだ。


「……助けて、もらえるって……」


そこまで言って、黒澤の声が震えた。


拳が、きゅっと握られる。


結衣の表情が、少しだけ曇る。

責めるでも、驚くでもない。

ただ、静かに受け止める顔だ。


「うん」


結衣は短く答えた。


「ここに来てくれて、ありがとう」


その一言で、黒澤の肩がわずかに落ちる。

張り詰めていたものが、少しだけ緩んだのがわかった。


まだ、具体的なことは何も言っていない。

それでも、この部屋に来たという事実だけで、十分だった。



結衣は、一瞬だけ、唇を噛んだ。


黒澤は、顔を上げないまま、ぽつりと続ける。


「……2年生に…なってからのことなんですけど……」


まだ、核心には触れない。

触れられない。


でも、確かに、話し始めた。



黒澤の言葉は、ところどころ抜け落ちていた。

主語も目的語も曖昧で、文としては完成していない。


けれど、足りない部分は想像できた。


教科書が消える。

机に落書きをされる。

後ろの席から、くすくすと笑い声が聞こえる。

それを先生に言えば、「気にしすぎじゃないか」と返される。


よくある形だ。

派手じゃない。殴られるわけでもない。

でも確実に、居場所を削っていく行為。


本人にとっては全部が初めてで、

周囲にとっては全部が「よくあること」。


そうやって、誰も悪者じゃないフリをしたまま続く。


『いじめ。』


たぶん、名前をつけるならそれでいい。


結衣が黙って聞いている理由もわかる。

今、言葉を挟んだところで、何も良くならない。


俺も同じだ。

わかっているからこそ、軽々しく言えない。


あの日。

ノックだけして、何も言わずに帰っていった後ろ姿が、頭をよぎる。


言わなかったんじゃない。

あの時は、言えなかっただけだ。


そう理解してしまった瞬間、

胸の奥に、小さな、でも無視できない引っかかりが残った。



黒澤は、話し終えたあとも俯いたままだった。

助けてほしい、とも。

どうしたらいいか、とも言わない。


ただ、ここに来て、話した。

それだけだ。


委員室の空気が、妙に静かになる。


時計の秒針の音がやけに大きく聞こえて、

俺はそれをごまかすように、椅子に深く腰をかけ直した。


「……依頼は、これで全部?」


結衣が、慎重に言葉を選ぶみたいに問いかける。


黒澤は一瞬だけ顔を上げ、

それから小さく首を振った。


「……どうしていいか、わからなくて」


その一言だけが、やけに重かった。


わからない、というのは。

何も考えていない、という意味じゃない。


考えすぎて、どれも選べなくなった時に出てくる言葉だ。


「ありがとう、話してくれて」


結衣はそう言って、すぐに続けなかった。

励ましも、約束も、提案もしない。


それが、正しい距離だとわかっているみたいだった。


俺は、依頼箱に入っていた紙を思い出す。

そこには、簡単な文字で名前とsnsのアカウントだけが書いてあった。


黒澤美琴。


内容は、空白。


最初から、全部を書くつもりはなかったんだろう。


「今日は、ここまでにしましょう」


結衣がそう言った時、

黒澤の肩が、ほんの少しだけ緩んだ。


「大丈夫、風紀委員として、ちゃんと対応するわ」


黒澤は、小さく頷いただけだった。

安心したようにも、期待しているようにも見えない。


それが、余計に気になった。


黒澤が帰ったあと、委員室には沈黙が残った。


「……相馬くん」


結衣が、俺を見る。


「これは、待つ案件じゃないわ」


「わかってる」


俺は答える。


「でも、黒澤が何を求めてるか次第だろ…何より情報もまだ少なすぎる、下手に動くべきじゃない」


結衣は一瞬だけ黙り、そして言った。


「それでも」

「何もしないで助けられなくなるよりは、いい」


その目は、迷っていなかった。



それから2日後


結衣は、主犯格として黒澤から名前の挙がった二人を呼び止めた。

風紀委員として。

正式に。


注意は、穏やかで、明確で、逃げ道を塞ぐものだった。


その日以降、学校内でのいじめは、確かに消えたように思う。


黒澤に向けられる視線も、言葉も、行動も。


少なくとも、見える範囲では。


けれど。


黒澤は、元気にならなかった。


休み時間には席を立たない。

依頼箱にももう何も入らない。


助ける、それは便利すぎる言葉だ。

使った瞬間、そこで正義が味方になる。


俺は、何も言わなかった。

それが正しかったのかどうかは、分からない。

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