ブラックサラリーマン(3/3)
社内チャットが鳴り響いた。
【至急/会議室B】
「例の新規契約、相手から連絡あり」
“例の契約”——。
お調子者の同僚が、勢いだけで取ってきた案件だった。
契約書を見たとき、条件があまりにも甘かった。
リーガルチェックなんて当然していない。
良之助が眉をひそめると、同僚は笑って言った。
「いや〜、こんなのラッキー案件っしょ!」
その数日後——
同僚の顔色は、紙のように白かった。
「相手……反社だったかもしれない……」
(……最悪だ)
⸻
◆ 圧力
会議室に入ると、部長が資料を握りしめていた。
「佐々木先生! ここは一つ頼むよ」
「佐々木くんは部署横断で色々やってるし、社内の事情も分かってるだろ?」
(また、それか……)
「部長、これは危険です。代表権のある方が対応しないと——」
部長は苦笑いを浮かべながら、ネクタイを緩めた。
「すまん、どうしても今日は大事な用があってさ。先帰るね!」
(——社内不倫相手の誕生日だ)
「丸く収めといて。
これ乗り越えたら、佐々木ちゃん、マジで成長するよ〜。
よっ! 偉大なる佐々木さまぁっ!」
ドアが閉まる音が、無責任の象徴のように響いた。
残されたのは、良之助ひとり。
(……俺がやるしかないのか)
⸻
◆ 対峙
夜のビルの一角、貸し会議室。
相手の男が、椅子にふんぞり返っていた。
スーツは高級、腕時計はギラリと光る。
だが、目だけが笑っていない。
「契約、解除するって聞いたんだけど?」
声は低く、獣のような威圧感を帯びていた。
空気が、喉を締め付ける。
良之助は手元の資料を握り、口を開いた。
「御社の契約内容には、法令違反の疑いがあります。
弊社としては——」
ドンッ!
机が鳴った。
部屋全体が一瞬、震えたように感じた。
「“解除”なんて言葉、簡単に使っていいと思ってんの?」
男の目が鋭く光る。
背筋が冷える。
出口に立つ男。
スマホは取り上げられた。
——帰れない。
(まるで、拉致だ……)
足が震えた。
だが、逃げるわけにはいかない。
良之助は、一度だけ深く息を吸った。
そして、自分の未来を思い浮かべた。
(ここで折れたら、会社は食い物にされる)
(そして、俺も一生“便利屋”のままだ)
顔を上げる。
声は驚くほど静かで、澄んでいた。
「こちらには、法的な証拠が揃っています。
それを提出されるのと、円満に手を引くのと——
お選びください」
一瞬の沈黙。
男は舌打ちし、椅子を蹴って立ち上がった。
「ああそう。じゃあ好きにしろよ、課長さん」
扉が開く。
外の空気が流れ込む。
——解放された。
膝が崩れ、椅子に手をついた。
鼓動だけが、やけに大きく聞こえる。
(……もう、こんな場所にいる意味はない)
夜の街の光が、滲んで見えた。
◆ 崩壊へのカウントダウン
深夜0時すぎ。
電車の中。
疲れすぎて、座れない。
通知音が鳴る。
【緊急】明日8:00までにA社資料作成お願いします
【新規案件対応】至急やっといて
(……もう無理だ)
家に着いたのは夜中2時近く。
洗濯し、ゴミをまとめ、皿を洗う。
そして 娘からの未読Lineに気が付く、、
……
…………
「パパ、学校来ないでね。
卒業式に来ないで。
ママだけでいい」
心臓を殴られたようだった。
(……俺は、何のために働いてる?)
机の上に開きっぱなしのビジネスマネジャー検定のテキスト。
握ったまま、気づけば眠っていた。
◆ 最後の夜
60連勤目。
平日の平均睡眠 3時間。
深夜、会社からの帰り道。
歩く足がふらつく。
(始発で出社して、終電で帰って……何やってんだ俺)
通りの先に、見覚えのない神社があった。
吸い寄せられるように、鳥居をくぐる。
静寂。
ふと、亡くなった祖父の声が頭によみがえる。
祖父は神主をしていた。
『先祖は佐々木源氏なんだ。
源平の争いのときに落ち武者になり、山伏になり逃 げ切り、この山の中の今の場所に落ち着いたよう だ。
その後、神社を開いて今に至る。』
(子供の頃に色々と宝物庫の中の触らせてもらったな ぁ)
(巻物とか雰囲気あったなぁ)
(法螺貝とか全く音出せなかったんだよな)
(つーか、俺の中に……源氏の血なんて、残ってるの か)
良之助は境内で手を合わせた。
「やり直したい……
娘を笑顔に出来る人生が欲しい……」
その瞬間、視界がぐらりと揺れる。
膝が崩れる。
呼吸ができない。
(——あ。これが、限界か)
暗闇が近づく。
最後に浮かんだのは、娘の後ろ姿。
(もう一度……やり直せるなら)
—— 意識が途切れた。
前置き、終わります!




