第094話 ー静かな入場、鮮やかな影ー
おかえりなさいませ。
本日は、いよいよ姿を現す“姉”の第一歩をお届けいたします。
扉が開く音は、驚くほど静かだった。
だが、その静けさが広間全体を震わせた。
まるで——
誰もがその瞬間を待っていたかのように。
「セレナ様——ご到着です!」
呼ばれた名が空気を切り裂くと、
視線が一斉に扉へ向けられた。
リリアナも、自然とそちらに顔を向ける。
扉の向こうから歩み出たのは、
淡い薔薇色のドレスに身を包んだ一人の女性。
緩やかに波打つ金髪、
涙を湛えたように見える淡い青の瞳。
表情は儚げで、触れれば消えてしまいそうなほど柔らかい——
だが、その存在感だけは圧倒的だった。
(……姉様)
セレナは泣くでもなく、笑うでもなく、
ただ静かに頬を緩めて
“王都の民に愛される女主人公”のように歩いた。
貴族たちは息を呑む。
王妃派の青年たちは胸に手を当て、
年配の婦人たちはハンカチを口元に当てた。
「なんて……お美しい……」
「これが“痛ましいほどに”と言われた……」
「まるで物語の……」
噂は、完成された姿としてここにいた。
*
リリアナの指先がわずかに震える。
アルフレッドはそれをすぐに感じ取り、
そっと手を添えた。
「大丈夫だ」
小さな声。
けれど深く響く声だった。
リリアナは息を整え、
緑の瞳で前を見据える。
(逃げない……今のわたくしは、違う)
その時——
セレナの視線がゆっくりとこちらをとらえた。
驚くほど穏やかな微笑。
まるで“久しぶりに妹を見つけた”かのような。
しかしその目の奥にある何かが、
リリアナの胸の奥をぞくりと締め付けた。
(……この微笑み……覚えてる)
優しく見せながら、
決して触れさせない距離。
幼い頃からずっと背中で見てきた光。
セレナはゆっくりと歩み寄った。
「まあ……こんなところでお会いするなんて」
声は涙を含むように柔らかい。
けれど、それが“役割としての声”であることは
リリアナには分かった。
アルフレッドが半歩前に出る。
「セレナ殿。
こちらへ来られるとは、予想外でした」
「ふふ……わたくしが来てはいけませんか?
王都は、わたくしの故郷ですもの」
リリアナの胸が微かに疼く。
(わたくしだって……王都で育ったのに)
セレナはリリアナに優しく微笑む。
「リリアナ。
ずいぶん……変わったのね」
「……そう、でしょうか」
「ええ。
まるで別人みたいだわ。
あの頃は……いつも私のあとを追っていたのに」
その一言に、
周囲がざわめく。
まるで“過去を美しく語る姉”の図が完成するように。
アルフレッドの瞳が鋭く揺れた。
だがリリアナは——一歩も退かない。
「姉様。
わたくしはもう“追う”ことをやめました。
自分の道を歩いておりますので」
セレナの微笑が、ほんの一瞬だけ硬くなった。
その一瞬を、
リリアナは見逃さなかった。
*
緊張の糸が張り詰める中、
クライヴが小走りで近づいてくる。
「閣下……奥方殿……
王妃派の一団が、セレナ様周辺に集まり始めました。
“彼女の言葉を聞きたい”と……」
アルフレッドの視線が鋭さを増す。
「口火を切る気か」
「……そのように見えます」
セレナは扇子をひらき、
静かに囁くような声で言った。
「どうか、聞いていただけるかしら。
わたくしが——
どれほど辛い思いをして、
ここに戻ってきたのかを」
リリアナの心臓が止まりそうになる。
(……やっぱり、語るつもりなのね)
アルフレッドがリリアナに寄り添い、
小さく告げた。
「——構わない。
全て出させろ。
その上で“真実”を出す」
彼の灰の瞳には、
揺るぎない覚悟と、
リリアナへの信頼だけが宿っていた。
そしてセレナは、
ゆっくりと円の中心へ歩き出した。
“演じる女主人公”のような足取りで——。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
セレナが静かに広間へ姿を見せ、
空気そのものを味方につける回となりました。
次の刻では、彼女が“語り始める物語”が会場を揺らし、
リリアナとアルフレッドがどう向き合うかが描かれてまいります。




