第091話 ー視線の交わる場所ー
おかえりなさいませ。
本日は、王都第一社交会の空気が動き出す刻をお届けいたします。
王都第一社交会の扉が開いた瞬間、
空気が変わった。
光、音、香、そして視線。
それらが一斉に押し寄せ、
静かなはずの夜がざわりと揺れる。
アルフレッドの隣に立ったリリアナは、
その渦の中心に踏み入れたことを肌で感じていた。
「……人が多いですね」
小声で言うと、
アルフレッドは何事もないように視線を前へ向けたまま答える。
「視線も多い。
だが、そのすべてから守るのが俺の役目だ」
その言葉は、
派手ではないのに確かな力を帯びていた。
会場中央には緩やかな階段と大きなシャンデリア。
貴族たちが談笑し、
給仕が静かに飲み物を運んでゆく。
リリアナに向けられる視線は、
好奇、軽蔑、興味、憐れみ、
色が交じり合っていた。
「——あれが妹の方か」
「綺麗な方ではあるのね」
「だが、本当に“奪った”のかしら?」
「いや、姉君の話を聞くと……」
ひそひそと広がる声が、
波のように押し寄せる。
アルフレッドは気づかぬふりをしていたが、
灰の瞳は明らかに警戒の光を宿していた。
「リリアナ、疲れたらすぐに言え」
「……大丈夫です。
ここに来ると決めたのはわたくしですから」
アルフレッドは一瞬だけ視線を向け、
その瞳にわずかに柔らかな光を宿した。
「強いな、お前は」
胸の奥が、ふっと温かくなる。
*
やがて、会場の奥から数名の貴族が近づいてきた。
その中心に立つのは、
王妃派の重鎮——レーン伯。
昨日、政庁の場でセレナの噂を“丁寧に刺した”男だ。
「辺境伯閣下、奥方殿。
本日はご参席いただき、光栄の至りです」
丁寧すぎるほどの礼。
だが声の端に、
相手の反応を“測る”色が混じっている。
アルフレッドは淡々と返す。
「礼を言われるほどのことではない」
レーン伯が穏やかに笑みを浮かべ、
リリアナへ視線を移す。
「奥方殿。
王都では、あなたのお噂が絶えませぬ。
“妹君こそが本当に守るべき女性だった”と、
そう評する声も多いのですよ」
リリアナは小さく瞬きをした。
(……守るべき、などと。
誰が、何を、どう守るというのかしら)
しかし、その疑問を表には出さない。
「光栄でございます。
けれど、噂よりも“事実”を大切にしたいと思っております」
レーン伯の目が細くなる。
「事実、ですか……
——いずれ、姉君もそれを望まれるかもしれませんな」
空気が一瞬、固まった。
“姉君”
その一言に、周囲の貴族たちの耳がそっと向く。
(やはり……今日の目的のひとつは、
姉様の名前をここでもう一度、広げること)
リリアナの胸が静かに波打つ。
アルフレッドが低く言う。
「レーン伯。
今日の場で姉妹の話を持ち出すのは礼を欠く」
「ご無礼を。
ただ——
この社交会には“物語好き”が多くてして。
姉妹の確執は、実に興味を引く題材なのですよ」
その言葉に、周囲の視線がさらに集まる。
(……これは、試されている)
逃げることも、
怒ることも、
否定することもできる。
だが、それでは“物語”の中に飲み込まれるだけ。
リリアナは一呼吸置いて、
まっすぐレーン伯を見つめた。
「物語は、誰でも好きに語れます。
でもそれは、“真実”ではありません」
レーン伯の扇子が一瞬だけ止まる。
静かなざわめきが、周囲に広がる。
リリアナは続けた。
「わたくしは、閣下とともに歩く道を選びました。
その道が、“誰かを奪った道”ではないことだけは……
この場でも、はっきり申し上げておきたいのです」
たったそれだけ。
けれどその声は、
会場のざわめきの中でも確かな温度を持っていた。
アルフレッドが隣で静かに頷く。
レーン伯はわずかに目を細め——
微笑んだ。
「……なるほど。
やはり、物語は続きがあってこそ面白い」
その一言は、
挑発でも脅しでもなく、
“次の頁へ進む”という静かな合図だった。
リリアナの胸の奥で、
小さく灯が揺れる。
——姉様は、どこかでこの空気を感じているのだろうか。
社交会の中心で、
物語がゆっくりと回り始めた。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
視線と噂が絡み合い、静かに熱を帯び始める社交会。
次の刻では、さらに新たな人物が動き、
“姉の影”がはっきりと形を帯び始めます。




