第089話 ー静かな招待状ー
おかえりなさいませ。
本日は、王都から届いた“静かな招待状”が、
未来への扉をそっと開く刻をお届けいたします。
王都の夕暮れは、金と藍がゆっくり混ざり合っていた。
政庁を後にした馬車が宿舎に着く頃には、街路には灯火がともり、
日中の喧騒が少しずつ静けさへと変わっていく。
部屋へ戻ったリリアナは、胸元に残る緊張をそっと押さえた。
セレナの名が出た瞬間の空気は、まだ肌の奥にわずかな痺れを残している。
(……あれほどの噂が、もう“形”になっているなんて)
控えめなノックが響いた。
扉を開けると、ローレンスが封書を手にしている。
「奥方殿。王都第一社交会より、非公式の招待状が届きました」
リリアナは息を飲んだ。
予測していた流れとはいえ、
“明日”という急さは王都らしい。
封蝋は深紅、紋章は王都第一社交会。
かつて——セレナがその中央に立ち続け、
自分は影として立たされた場所。
アルフレッドが封書を受け取り、淡々と内容を確認する。
「……明日の夜か。急だな」
「ええ、閣下の滞在に合わせたのでしょう」
ローレンスが静かに答える。
そこへ、再びノックがあった。
今度は少し低い音。
アルフレッドが「入れ」と声を掛けると、
扉の隙間からクライヴが姿を見せた。
「失礼いたします。
本日分の協議記録がまとまりましたので、
お届けに上がりました」
中立の査察官としての職務ゆえ、
宿舎への訪問も不自然ではない。
ただ、空気の変化に気づいたのか、
視線は机の上の封書にそっと向けられた。
「……非公式の招待、ですか」
クライヴが短く息を吐いた。
驚きではなく、「早かったな」という色のため息。
「恐らく、今日の協議の“余韻”を
そのまま社交場へ持ち込みたいのでしょう」
アルフレッドが椅子に腰をおろし、
招待状を指先で軽く叩く。
「行くのは簡単だが……リリアナ。
無理に行く必要はない」
リリアナは小さく息を吸い、
迷いの色をわずかに胸の中で転がし——
ゆっくりと顔を上げた。
「……いいえ。行きます」
「理由を聞いてもいいか」
「逃げたくありません。
わたくし自身がどう見られているのか、
どう語られているのか……
確かめる必要があります」
静かな言葉。
それは震えではなく、覚悟に近かった。
アルフレッドの表情が和らぐ。
「なら、俺が隣にいよう」
その一言だけで、
胸の奥に温かな灯がともる。
クライヴが補足するように地図を広げた。
「会場の構造と、明日参加する主な面々です。
味方よりも“噂を利用する側”を把握する必要がありますから」
リリアナはアルフレッドの隣に座り、
地図を覗き込む。
王都第一社交会の名は、
華やかさと残酷さを同時に連想させる。
(……姉様が、あの場に立てば)
場は一瞬で姉の色に染まるだろう。
過去、そうだったように。
だが——
今は違う。
自分には、隣に立ってくれる人がいる。
アルフレッドがそっと手を重ねる。
自然で、落ち着いた温度。
「明日、お前を一人にはしない」
「……はい」
窓の外では、王都の鐘がゆっくり鳴り響く。
その音は、まるで
“明日、物語が動き出す”
と告げているようだった。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
王都第一社交会——華やかさと噂が渦巻くあの舞台が、
再びリリアナを呼び戻します。
次の刻では、社交界の扉が開き、
過去と現在が交差する瞬間が訪れます。




