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姉に婚約者を奪われた令嬢、辺境伯の最愛の妻になって王都を見返す  作者: 影道AIKA


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第087話 ー歪んだ物語ー

おかえりなさいませ。

本日は、王都で語られてきた“セレナの物語”が、

政庁の場で初めて姿を現す刻をお届けいたします。

セレナの名が会議室に落ちてから、

 短い休憩が挟まれた。


 窓の外には王都の塔が並び、

 光は穏やかなのに、胸の奥には薄い影が残る。


 リリアナは用意された控え室の椅子に腰掛け、

 指先をそっと重ねた。


 「……顔色が優れませんね、奥方殿」


 クライヴが壁際から声を掛けた。

 政庁の中庭を見ていた緑の瞳が、

 こちらを静かに向く。


 「大丈夫です。ただ……少し、驚いてしまって」

 「“名”は、時に事実よりも重く扱われますから」


 曖昧にも聞こえる言葉だが、

 クライヴの声音には同情も非難もなかった。


 「後半から、王妃派が加わります」

 「……セレナ姉様の噂も、でしょうか」

 「恐らくは」


 短い返答に、

 リリアナの胸が静かに波打つ。


 (……わたくしが知る現実と、

  ここで語られている“物語”は多分違う)


 その違いが、

 これから形を持ってぶつかってくる。


 扉が叩かれた。


 「そろそろ後半の協議を再開したいとのことです」

 ローレンスの声に促され、

 リリアナは立ち上がる。


 「行こう」

 アルフレッドの差し出した手は、

 いつも通りの温度だった。


 それに触れた瞬間、

 心の震えがほんの少しだけ静まる。


 *


 会議室へ戻ると、

 新たな人影が加わっていた。


 青灰色の外套をまとった中年の男。

 胸元には王妃派の紋章をあしらったブローチ。


 「辺境伯閣下、奥方殿。

  初めてお目にかかりますな」


 男はにこやかに笑い、

 しかし笑みは目の奥まで届いていない。


 「レーン伯です」

 小声でクライヴが告げた。

 「王妃派の、古くからの側近です」


 レーン伯は軽く会釈しながら続けた。


 「おふたりのご活躍、

  王都でも話題でございますよ。

  “辺境の誓い”——まこと、興味深い」


 アルフレッドは表情を崩さず答えた。


 「民が穏やかに暮らせるなら、

  興味深さなど、どうでもいいことです」


 室内の空気がほんの少し、乾いた。


 レーン伯は扇子を指先で弾き、

 今度はリリアナへ視線を移した。


 「奥方殿。

  セレナ様のことは——ご存じですな?」


 名を出された瞬間、

 部屋の温度が一段下がった気がした。


 リリアナは息を整え、

 ゆっくりと頷く。


 「……姉のことでございますね」


 「ええ、そう。

  長年、王都社交界で愛されたお方だ」


 レーン伯の声音は柔らかい。

 しかしその言葉の選び方には、

 鋭い棘が巧妙に紛れ込んでいた。


 「我ら王妃派の間では、

  かねてより案じておりました。

  “妹君との婚約騒動で、

   セレナ様がどれほど傷つかれたか”と」


 ひそ、と誰かが息を呑む。


 (……逆、です)


 喉まで出かかった言葉を、

 リリアナは飲み込んだ。


 「ご安心を。

  この場で責め立てるつもりはありません」

 レーン伯は穏やかに続ける。

 「ただ——

  王都では“妹が姉の婚約を奪った”という形で

  噂が定着しておりましてな」


 その一言で、

 会議室の視線がわずかに変わる。


 好奇、同情、警戒。

 様々な色が混ざった視線が、

 リリアナの肩に静かに重なった。


 アルフレッドが口を開く。


 「噂は事実ではない。

  その場にいた者だけが、

  何が起きたかを知っている」


 レーン伯は肩をすくめ、

 あくまで穏当な口調を崩さなかった。


 「もちろん、真実は当事者のみがご存じでしょう。

  ですが“王都の空気”というものがございます。

  民も貴族も、物語を好む。

  ——とりわけ、美しく傷ついた姉の物語を」


 美しく——傷ついた。


 その言葉に、

 リリアナの胸が小さく軋む。


 セレナが王都で、

 どんな顔で語ってきたのか。

 想像すると、胸の奥に冷たいものが落ちた。


 レーン伯は扇子を閉じ、

 軽く机を指で叩いた。


 「問題は、その“物語”が、

  今や政治にも影響を与えつつあることです」


 「政治に?」

 アルフレッドの声が低くなる。


 「ええ。

  辺境伯家と王妃派の関係、

  さらには王太子殿下のご立場。

  その全てに、

  “過去の婚約”の物語が絡み始めている」


 室内の空気が重く沈んだ。


 クライヴが静かに口を挟む。


 「レーン伯。

  今日の議題は“辺境の誓い”であり、

  個人の私事ではないはずです」


 「承知しておりますよ、クライヴ殿」

 レーン伯は微笑んだ。

 「ただ、“誓い”を語るなら、

  奥方殿のお立場も避けては通れまい、

  ——そう思っただけです」


 リリアナは自分の手が震えていないことに気づき、

 ほんの少しだけ驚いた。


 (わたくしは、

  もう“黙って耐えるだけ”の人間ではない)


 胸の奥のどこかで、

 静かに火が灯る。


 アルフレッドがリリアナを一度だけ見た。

 灰の瞳は、問いかけてはいない。

 ただ“ここにいる”と伝えるように、

 穏やかな光を湛えていた。


 リリアナは息を整え、

 まっすぐ前を向く。


 「……一つだけ申し上げてもよろしいでしょうか」


 静かな声に、

 室内の視線が再び集まる。


 「噂は、噂にすぎません。

  わたくしと姉の間に何があったのかは、

  ここで語るべきことではございません。

  ただ——」


 言葉を選ぶ。

 怒りではなく、悔しさでもなく。

 それでも胸の奥から確かに出てくるものを。


 「閣下とわたくしが結んだのは、

  “奪った”婚約ではなく、

  “選んだ”誓いでございます」


 静寂。


 その一瞬だけ、

 時間が止まったように感じた。


 レーン伯の目が細くなる。


 「……なるほど。

  言葉の選び方がお上手だ」


 言葉は褒めているのに、

 声には試すような色が混じっていた。


 「では、いつか——

  姉君を交えた場で、

  その“誓い”とやらの真価を

  拝見させていただきましょう」


 その一言が、

 静かな宣戦布告だった。


 リリアナは視線を逸らさなかった。


 王都が作り上げた“歪んだ物語”に、

 きちんと向き合うために。

最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。

王都が好んできた“美しく傷ついた姉”という物語と、

リリアナの歩んできた現実との、静かな衝突が始まりました。

次の刻では、この歪みがさらに広がり、

セレナ本人の姿へとゆっくり近づいてまいります。

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