第086話 ー政庁の空気ー
おかえりなさいませ。
本日は、政庁の空気のなかで二人が正式な場へ向き合い、
“王都側の本音”が初めて姿を見せる刻をお届けいたします。
政庁に足を踏み入れた瞬間、
空気が一段階ひんやりと変わった。
石壁に反響する靴音。
書類を抱えた役人たちの短い会話。
広場のざわめきとは違う、
“政治の音”がここにはあった。
クライヴが前を歩き、
重厚な扉の前で一度だけ振り返る。
「この先が第一会議室です。
本日は“辺境伯一行の上京に関する協議”が議題となっています」
アルフレッドは静かに頷いた。
リリアナは深く息を吸い、
その背中にそっと歩調を合わせる。
扉が開くと、
室内にはすでに数名の議員と官吏が着席していた。
ざわ……と、
視線が一斉に二人へ向けられる。
「辺境伯閣下……」
「そして……奥方殿か」
その声の温度は、
歓迎でも敵意でもない。
ただ、**“興味”**が混ざっていた。
クライヴが席へ誘導する。
アルフレッドが座るとほぼ同時に、
ワイン色の外套をまとった男が口を開いた。
「まず確認したい。
“辺境の誓い”を正式に公布したのは真実か?」
唐突な切り出しだった。
部屋の空気が一瞬だけ張りつめる。
アルフレッドは微動だにせず答えた。
「真実だ。
誓いとは、恐れではなく守り合うための約束だ」
別の官吏がすぐ反応する。
「では、従来の“恐れの法”を否定すると?」
「否定ではない」
アルフレッドの声は冷静そのものだった。
「民が恐れずとも秩序を保てるなら、
強制の法は必要ないということだ」
ざわめきが小さく走る。
リリアナは隣で息を整え、
静かにその様子を見守った。
その時——
一人の年配の官吏が、
リリアナへ視線を向けてきた。
「奥方殿……
あなたは、誓いの制定にどこまで関わっておられる?」
唐突な問い。
意図が読みづらい。
リリアナの心臓が一瞬跳ねる。
視線が複数集まる。
逃げ道のない、政治の場の空気。
アルフレッドが答えようとした瞬間、
リリアナは静かに口を開いた。
「……わたくしは、閣下と共に“辺境に生きる者”のひとりです。
恐れより、守り合う心を選んだだけ。
誓いは、その願いを形にしたものでございます」
部屋に静寂が落ちた。
攻撃的でもなく、
言い訳でもなく、
ただ事実だけを静かに置く声。
その瞬間、
数名が目を細めた。
「……なるほど」
「話に聞くより、ずっと落ち着いた方だ」
囁きが微かに広がる。
クライヴが小さく微笑んだのを、
リリアナは気づかずにいた。
そして——
奥の席に座るひとりの役人が、
書類を軽く叩いて言った。
「王妃派の者が、
本日の後半より参加するとの連絡がありました」
空気がすっと変わる。
アルフレッドは眉をわずかに動かした。
「王妃派……か」
「はい。
奥方殿にも関心を持っているようでして」
リリアナの胸が静かに波を打つ。
役人は淡々と続けた。
「おそらく——
“セレナ様の件”を、
彼らは放置するつもりがございません」
その名が落ちた瞬間、
部屋の温度がひんやりと下がった気がした。
リリアナは視線を落として息を整え、
アルフレッドは横目で静かに彼女を支える覚悟を固めた。
王都は、
ついに“具体的な干渉”を始めようとしていた。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
次の刻では、王妃派が姿を現し、
物語がいよいよ大きく揺れ始めてまいります。




