第080話 ー門前の記憶ー
おかえりなさいませ。
本日は、“二度目の王都”へ向けて歩むリリアナの胸に、
静かな決意が芽生えていく刻をお届けいたします。
城下へ続く緩やかな坂道を越えると、
春の霞の向こうに大きな影が姿を現した。
王都アルセリオ——その外郭だ。
石造りの城壁は淡く陽を反射し、
門前には商人や旅人たちの列が静かに伸びていた。
高い塔の先端をかすめるように、風がゆるく流れていく。
リリアナは馬車の窓越しにその光景を見つめた。
何度も通った場所であるはずなのに、
胸の奥に生まれる感覚は、
“戻る”というより“向き合う”に近かった。
——前回、王都へ来たのは閣下のため。
王都の圧に晒されるアルフレッドを、
自分の意思で支えに行った。
あの時の自分は、ただ怯えていたわけではない。
恐れながらも歩み寄ろうとした。
今日の胸の震えも、
あの時の延長線にあるものだった。
「……少し、静かすぎますね」
つい漏れた声に、
向かい側のアルフレッドが視線を向けた。
「緊張しているのか」
「はい……でも、前ほどではありません」
アルフレッドは窓の外を見やり、
短い間のあと、低く、静かに言葉を落とした。
「前に来た時の君は、
“私のために来てくれた側”だった」
リリアナは息を呑む。
その先の言葉を待つ間、
胸の奥で何かがそっと鳴った。
「今回は──“自分のためにも歩いている”。
そう、私は思っている」
胸に落ちた言葉は、
春風よりもやわらかく、確かな温度を持っていた。
「……はい。
そうかもしれません」
リリアナの声は震えていなかった。
前回王都に来た時よりも、
確かな足取りで胸の奥に決意が芽生えている。
馬車の外では、
門前で商人たちが荷を開き、
行き交う言葉の断片が風に乗って届く。
「辺境の誓いがどうの……」
「王都の会議で揉めてるらしいぞ」
「またあの姉妹の噂が……」
リリアナの胸がかすかにざわめいた。
“姉妹”という言葉は、
遠い記憶の棘をそっと揺らす。
視線を落としたリリアナに、
アルフレッドが静かに言った。
「怖いか?」
「……少しだけ。でも、前ほどではありません」
「なぜだと思う?」
「閣下が……隣にいるからです」
言ってから、リリアナは頬を染めた。
けれど言葉を取り消すことはできなかった。
アルフレッドは微かに目を細めた。
その瞳は、彼女を否定する色を一度も持たない。
「その言葉だけで十分だ。
私も、君が隣にいる方が心強い」
胸の奥が、静かにきゅっと締めつけられる。
痛みではなく、温度のある鼓動だった。
「閣下、門兵がお呼びです」
ローレンスの声が外から届く。
「許可が下りました。
“辺境伯一行”として、列を迂回してよろしいとのことです」
アルフレッドは軽く頷いた。
「分かった。……リリアナ」
「はい」
「行こう」
馬車が再び動き出し、
石畳特有の硬い振動が車輪から伝わる。
門の影が近づき、
王都の空気がひんやりと胸へ流れ込む。
その瞬間、
遠い記憶の中の柔らかな笑い声が、
ふとよみがえった。
——セレナ。
姿は見えない。
けれど確かに、この街のどこかにいる。
その存在を薄く感じながら、
リリアナはまっすぐ前を見た。
王都の朝が、ゆっくりと開いていく。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
次の刻では、王都の街路に足を踏み入れ、
かつての記憶と、姉の影が静かに揺らぎ始める様子を描いてまいります。




