第074話 ー揺れる風、寄り添う影ー
おかえりなさいませ。
本日は、王都からの“影”が辺境へ届き、
リリアナと閣下が胸の内を重ねる刻をお届けいたします。
風の中で揺れる不安と、それを包む静かな温度を――どうぞご覧くださいませ。
フローベル港に、夕陽が沈みかけていた。
潮騒が静かに響き、倉庫の影が長く伸びている。
アルフレッドとリリアナは、港路をゆっくりと歩いていた。
王都から届いた新聞――
“辺境誓約、狂信か理想か”
その見出しが、倉庫の壁に貼られた一枚として港人の間に噂を呼んでいた。
リリアナは紙を胸元で握りしめていた。
「……姉が、こう仕向けたのでしょうか」
声はかすかに震えていた。
怒りではなく、傷つきに似た震えだった。
アルフレッドは足を止め、紙面に視線を落とす。
「この文の歯切れ、筆の流れ……王都の記者ではないな」
「姉ですか?」
「名を使いたがる癖がある。君を語れば自身が高く見えると、
あの方は今も信じているのだろう」
風が吹き、リリアナの髪が揺れた。
その揺れを、アルフレッドの手がそっと押さえた。
指先は軽く、痛みを避けるようだった。
「……怖ろしいのです」
リリアナは小さく言った。
「私の名を、勝手に形を変えられるのが。
まるで、私の歩いた道が嘘にされるようで」
「嘘には、上塗りを重ねる影が必ずある。
だが、君の歩みは数字にも人の声にも残っている」
アルフレッドは視線を合わせ、静かに続けた。
「君が息をしてきた日々は、君だけのものだ。
誰にも奪えない」
リリアナの胸に、ゆっくりと言葉が染み込んでいく。
「……それでも、戦うのは怖いのです」
「怖さを知らぬ者は、誰も守れない」
「では私は、守れるのでしょうか」
「守れるとも。すでに多くを守っている」
沈黙の後、アルフレッドが細く息を吐いた。
「だが――守られることも、忘れるな」
「閣下?」
彼はまっすぐに言った。
「君一人で、王都の影と向き合う必要はない」
その言葉に、胸の奥が熱を帯びる。
弱さを恥じるのではなく、支えを受け取ることを許されたような――
そんなぬくもり。
倉庫の裏手では、港人たちが笑いながら荷を運び、
遠くの屋台からはスープの香りが漂ってきた。
日常が脈打ち、辺境は確かに息づいていた。
リリアナはゆっくりと、新聞を丸めた。
その仕草は怒りではなく、覚悟の形に見えた。
「閣下。私……逃げません」
「知っている」
「でも……ひとりではありません」
「もちろんだ」
その瞬間、港を抜ける風が二人の隙間を静かに通り抜けた。
風に乗って、遠くから馬の蹄の音が響く。
伝令の姿が、夕景の向こうに揺れていた。
「王都より至急便!」
その声に、ふたりは同時に振り向いた。
春の風が、次の波を運んでいた。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。名を語られ、道を歪められる痛みは深いもの。
それでも寄り添う者がいれば、影は輪郭を失ってまいります。
次の刻では、王都からの至急便が新たな動きを告げ、
姉妹の因縁と国家の揺らぎが、さらに交わり始めます。




