第073話 ー姉の微笑、硝子の裏ー
おかえりなさいませ。
本日は、王都側の動き――セレナの再登場をお届けいたします。
妹を想う姉の微笑、その鏡の奥に潜む影を、どうぞご覧くださいませ。
王都では午前の陽が宮廷の庭を染め、花々が風に揺れていた。
セレナ・セレスティアは、鏡の前で髪を撫でつけながら、
微笑を浮かべた。
手元の机には、辺境から届いた報告紙がある。
“恐れの法”の再審議。
王都の議場で今、誰もがその言葉を口にしていた。
――そして、妹の名も。
「リリアナ・グレイバーン夫人。
まさか、あの子が議場の議題になるなんて」
口元の笑みは、冷たい光を含んでいた。
侍女が香を焚きながら、そっと問いかける。
「姉君は……お喜びには見えませんが」
「喜び? 違うわ。これは“機会”よ」
セレナは机に肘をつき、軽く指で紙面を叩く。
「辺境の誓い、敬意の秩序……聞こえは良いけれど、
裏を返せば、王都の教えを否定している。
恐れを知らぬ民は、いつか王をも恐れぬ」
言葉の端に、毒のような甘さが混じる。
「妹が掲げる理想が崩れる瞬間を――見たいのよ」
「しかし、辺境伯閣下は評判が高いとか」
「評判は泡。見た目の清廉ほど、崩れる時は早い」
セレナは鏡を覗き込み、口紅を塗り直した。
「王妃陛下の茶会が明日に延びたそうね。
“改革派”の若い議員たちも招かれているとか」
「はい。お顔をお出しになるおつもりで?」
「ええ――妹の名を、上手に使うために」
鏡の中の瞳が、ゆっくりと細められる。
そこに浮かぶ笑みは、完璧に整っていた。
だが、映し返す鏡の奥で、
微かに震える指先が、その不安を語っていた。
「……どうしてあの子は、私よりも“信じられて”いるの」
声は囁きのように、鏡へ落ちる。
返る答えは、香の煙だけだった。
そのとき、扉を叩く音。
「セレスティア嬢、議会使節のレオン様がお見えです」
「通して」
若い貴族が入室し、深く礼をした。
「本日の件、“辺境誓約”の修正案について、
王妃派のご意向をお伝えに参りました」
「ご意向?」
「“誓い”を法としては認めず、信仰として扱う――
その案を通すよう求めておられます」
セレナはわずかに笑みを深めた。
「信仰。……良いわね、それ。
人の信仰ほど、疑うのは容易いものはないから」
香炉の煙がゆらりと立ち昇る。
鏡越しの微笑が、その奥でひび割れた。
そしてその夜、王都の新聞の片隅に、
“辺境誓約、狂信か理想か”という見出しが踊った。
誰が書いたかは、誰も知らなかった。
けれど、その影にセレナの筆跡を読む者は少なくなかった。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。静かな香の奥で、王都の駆け引きが再び動き始めました。
リリアナの名が再び議場に響き、姉妹の因縁が新たな幕を開けます。
次の刻では、その波が辺境へと届き、二人の距離を再び揺らしてまいります。




