第007話 ー市場の朝ー
おかえりなさいませ。
本日は領地の市場を歩き、
朝の賑わいをご一緒いたしました。
香りや色彩も、お心に残っていれば幸いにございます。
翌朝、まだ陽が東の山の端から顔を出す前、城館の中庭には馬が二頭、支度を終えて待っていた。吐く息が白く立ち上り、地面の霜をかすかに溶かす。
リリアナは厚手の外套を羽織り、エマに背を押されながら石段を降りた。アルフレッドは既に馬上にあり、灰色の瞳が短くこちらを捉える。
「起きられたか」
「ええ。市場の朝は早いと聞きましたから」
「辺境では、朝が遅い者は一日を失う」
南門を抜け、領都の大通りを下っていく。石畳の両脇には木組みの家が並び、軒先には干した肉や編みかごが吊るされている。道の中央には水路が流れ、桶を抱えた子供たちが笑いながら走り回っていた。
やがて、ひときわ賑やかな声が風に乗ってくる。市場だ。色とりどりの天幕の下には、魚介、野菜、穀物、羊毛、鍛冶細工まで、所狭しと並べられていた。
「王都の市場と、ずいぶん雰囲気が違いますね」
「値札を見れば分かる。こちらは日ごとに変わる。天候、漁の出来、収穫具合……全部、顔を合わせて決まる」
アルフレッドは馬を降り、ある露店の前で立ち止まった。木箱いっぱいの根菜と、干した薬草の束が並ぶ。
「この薬草、乾き方が良いな」
「今朝の霜が降りる前に干したんです。茎の水分が抜け切らないうちに陽を当てると、香りが飛ばずに残ります」
店主の女は誇らしげに答え、リリアナの方へ視線を向けた。
「お嬢さん、薬草の扱いは?」
「多少は。葉脈の張りがしっかりしていて……香りも強いです」
女はにっこり笑い、束をひとつ差し出した。
「お近づきのしるしに」
魚市場では、まだ氷の上で跳ねる小魚を少年が手際よく選別していた。王都では見られない素早さと、獲れたばかりの匂い。
リリアナは思わず足を止め、目を細めた。
「……新鮮」
「この町の港は川と海の境目にある。潮の加減で魚種も変わる。港の整備も急ぎたい理由の一つだ」
アルフレッドの声は淡々としているが、眼差しは市場の賑わいを映していた。
市場の奥で、布地を扱う露店に立ち寄る。色とりどりの毛織物や麻布が風に揺れる。
「冬用の教室なら、壁掛けにこの厚地がいいな」
「断熱にもなりますし、音も和らぎますね」
言葉が自然に重なり、二人の視線が一瞬だけ絡む。すぐにアルフレッドは視線を逸らし、値を交渉し始めた。
城館に戻る道すがら、リリアナは背に市場の喧騒を感じながら振り返った。天幕の色、香り、人々の声。それらは確かに彼女の中に残り、火の温もりと同じくらい鮮やかだった。
「どうだった」
「生きている場所だと……思いました」
その答えに、アルフレッドはわずかに口元を緩めた。
「次は港を見せる」
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。次の刻は港へご案内いたします。
どうぞ潮風に負けぬよう、
暖かくしてお越しくださいませ。