第061話 ー影の手紙ー
おかえりなさいませ。
本日は、王都から届く“影の手紙”の刻をお届けいたします。
過去の棘が胸を刺し、けれど新たな温もりが生まれる夜をご覧くださいませ。
夜の帳が静かに降りていた。
修道院から戻ったばかりの疲れを癒すように、リリアナは窓辺で温かい紅茶を啜った。
遠くで狼の遠吠えが響き、暖炉の火が木霊のようにぱちぱちと弾ける。
机の上には、一通の封書が置かれていた。
王都の印章――けれど、封蝋の形がわずかに違う。
見慣れた薔薇の紋章。姉・セレナの家のものだ。
胸の奥が冷たくなる。
しばらく見つめていたが、やがて静かに封を切った。
『辺境の地はもう春かしら。
泥にまみれた花も、あなたには似合うかもしれないわね。
婚約の件、王都では“悲劇”として語られているの。
けれど人々は面白いものね、
あなたが辺境伯に拾われたと聞いて、今度は“慈悲の令嬢”と呼んでいるのよ。
本当に――あなたは他人の憐れみを集めるのが得意ね。』
淡々とした筆跡。
血のように赤いインクが、ところどころ滲んでいた。
リリアナは手紙を折りたたみ、静かに息を吐いた。
(わたしは、もう“憐れまれる”ことを選んだつもりはないのに……)
指先が震え、机の上の灯が揺れる。
そのとき、扉の向こうから低い声がした。
「眠れぬのか」
アルフレッドだった。
鎧は脱ぎ、黒の上衣に包まれた姿はいつもより近く見えた。
「……ええ。少し、胸が重くて」
「手紙か」
リリアナは驚き、彼の視線を追った。
火の明かりが封書の薔薇紋を照らしている。
アルフレッドはゆっくりと椅子を引き、向かいに腰を下ろした。
「読んだことを悔やむ必要はない。
だが、その言葉を心に残すのは無駄だ」
「……それでも、痛みは消えません」
「痛みがあるということは、生きている証だ」
彼の声は静かで、けれど芯があった。
沈黙が落ちる。
リリアナはうつむき、手紙をそっと火の中へ落とした。
赤い炎が広がり、文字が煙に変わる。
「……燃やしてしまうのか」
「はい。もう、必要のない言葉ですから」
アルフレッドは短く頷いた。
燃える火を見つめながら、リリアナが口を開いた。
「閣下、どうしてわたしを……拾ってくださったのですか」
アルフレッドは少しの間、答えを探すように黙し、やがて微笑んだ。
「拾ったつもりはない。――選んだのだ」
その言葉が、火よりも温かく胸に灯る。
リリアナは静かに頷き、目を閉じた。
燃え尽きた灰がふわりと舞い上がる。
その中に、微かに銀の光が混じっていた。
――祖母が遺した小さな銀鎖。
手首に巻かれたそれを、彼女はそっと撫でた。
(わたしはもう、誰かの影ではない)
外では春の風が吹き抜け、窓の外の夜明けがゆっくりと近づいていた。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
姉の影はまだ遠く、けれど確かにリリアナの心を揺らし始めました。
その痛みを包む言葉の中に、彼女が見つける新たな強さを描いてまいります。
次の刻もどうぞお楽しみくださいませ。




