第060話 ー古き声の源ー
おかえりなさいませ。
本日は、“恐れの法”の源を辿る刻をお届けいたします。
古き修道院に眠る言葉と、二人が見出す新たな誓いをどうぞご覧くださいませ。
森の奥へと続く道は、かつての修道院へと通じていた。
陽が差し込むたび、朽ちた石壁が金の粉を散らす。
苔むした扉の前でアルフレッドが立ち止まった。
「……誰も来なくなって、もう十年以上か」
リリアナは頷き、指先で扉に刻まれた古い文字をなぞった。
「“恐れに膝を折る者、己を見よ”――古い祈りの文ですね」
二人が中へ入ると、埃と冷気が迎えた。
床には散らばった羊皮紙の破片。
中央には崩れかけた石の祭壇があり、その上に小さな封筒が置かれていた。
「……残っていたのか」
アルフレッドが手に取り、慎重に封を切る。
中から現れたのは、滲んだ文字で綴られた古記録。
『恐れは人を滅ぼす。されど、恐れを失えば人は獣となる。
ゆえに恐れを形にせよ――それを“律”と呼ぶ。』
リリアナは静かに読み、眉を寄せた。
「恐れを形にする……“恐れの法”の原文かもしれません」
「つまり、これはラザール以前の言葉ということか」
「ええ。恐れの思想は、彼が作ったのではなく“拾った”のですね」
壁の一部には、修道士たちが残した古い彫刻があった。
焔に手を伸ばす人々、そしてその上で光を掲げる人物。
アルフレッドが呟く。
「光は恐れを照らすものではなく、恐れを映すものか……」
「恐れを消そうとすれば、光もまた揺らいでしまうのかもしれません」
リリアナの声は低く、それでいて温かかった。
二人が記録を集めていると、背後で軋む音がした。
入口に一人の男が立っていた。
黒衣ではないが、旅装の影が森に溶け込んでいる。
「……訪れる者がいるとは、珍しい」
声は掠れていたが、穏やかだった。
アルフレッドが警戒を滲ませる。
「この修道院を知っているのか」
「ええ。私は、ここで“恐れの記録”を写していた修道士の弟子です」
リリアナは一歩前に出た。
「ならば、教えてください。“恐れの法”は何のために作られたのですか」
男は目を伏せ、ゆっくりと答えた。
「恐れを抑えるためでした。……ですが、いつしか人は恐れを“崇め”始めた。
恐れが秩序を生むと思い込んだのです」
静寂が落ちる。
外の風が割れた窓から入り、古びた羊皮紙を揺らした。
リリアナは小さく呟いた。
「恐れは、神ではない。
人が形を与えたとき、それは支配へと変わるのですね」
アルフレッドが頷く。
「ならば俺たちは、恐れに形を与えずに生きる術を示さねばならん」
男は深く頭を下げた。
「……どうか、その道を見失わぬように。
“恐れ”を光で包める者は、そう多くはありません」
外に出ると、森の風が二人を包んだ。
空はすでに茜色に染まり、木々の影が長く伸びていた。
リリアナは封筒を胸に抱き、静かに言った。
「恐れは人の弱さ。でも、弱さがあるからこそ、人は寄り添えるのですね」
「その言葉こそ、母が残した導きだ」
遠くで鳥が鳴いた。
夜の帳が降りる前、二人の足音が森に溶けていった。
古き声の残るその地に、新しい誓いが刻まれようとしていた。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
恐れを律と呼んだ古の思想――その残滓が、今の世にも息づいておりました。
次の刻では、この発見が辺境と王都、そして人の心をどう揺らすのかを描いてまいります。
どうぞ次回もお楽しみくださいませ。




