第058話 ー再興の陰ー
おかえりなさいませ。
本日は、再建の地に忍び寄る“影”の刻をお届けいたします。
静かな春の風の中で、まだ消えぬ恐れの残響が揺らめき始めます。
朝の光が谷を満たしていた。
橋の修復は八割方終わり、木材の香りが風に乗って流れてくる。
川のせせらぎに混じって、領民たちの笑い声が響いた。
「閣下、これで馬車も通れます!」
少年が嬉しそうに叫び、アルフレッドが頷いた。
「よくやった。……次は北の畑を整えよう」
リリアナはその光景を遠くから見つめていた。
かつて沈黙していた人々が、今は自らの声で動いている。
“恐れ”が去ったあとのこの静けさこそ、再興の証だった。
だが、心のどこかに小さな棘が刺さっていた。
「……妙ですわね」
近くで帳簿を持っていたマティアスが顔を上げる。
「どうかなさいましたか?」
「昨日、南の集落に食糧を届けたのに、今朝の記録では“受け取っていない”と」
「確認を取りますか?」
「ええ。でも、ただの記録漏れならいいのですが……」
その時、遠くで鐘が一つ鳴った。
風が冷たく変わり、空の色がわずかに灰を帯びる。
春のはずなのに、肌を撫でる風はどこか冬の名残を思わせた。
昼下がり、リリアナは孤児院の前にいた。
木柵の修繕を見守っていると、小さな少年が駆け寄ってきた。
「奥さま! 森の方で……」
「森で?」
「知らない人が、碑の前で何かしてたんです。真っ黒い服の人」
リリアナは微かに息を呑んだ。
(碑……王妃イリス様を偲んで建てた“追悼の碑”ね)
「ありがとう。もう遅いから、今日は森に近づかないでね」
「はい……」
少年を見送ったあと、リリアナは外套を羽織り、ひとりで森へ向かった。
枝の間を抜ける風が低く唸り、木々の影が波打つ。
碑の前に立つと、確かに地面が掘り返された跡があった。
白い石の下に、黒い粉のようなものが残っている。
指でそっと触れると、灰のように舞い上がり、手のひらに淡く残った。
「……灰?」
風が一瞬止まり、耳鳴りのような音が響いた。
その瞬間、指先がわずかに熱を帯びた気がした。
リリアナは手を握り、静かに息を整える。
(この感触……王都で、宰相が封呪の文を広げた時の――)
背後からアルフレッドの声がした。
「ひとりで来るとは、らしくないな」
「ごめんなさい。でも、気になることがあって……」
彼女は手を見せ、灰の粉を見せた。
アルフレッドは眉を寄せて跪き、土を掬う。
「焦げ跡が残っている。誰かが火を使ったようだな」
「儀式ではない……けれど、意図的に残された気がします」
「……宰相の残した“教え”を信じる者が、まだいるのかもしれん」
風が再び吹き抜け、碑の上の草花を揺らした。
その揺らぎの中で、リリアナの髪が金色に光を返す。
「恐れを断つつもりが、恐れの残り火を呼んでしまったのかもしれませんね」
「いいや。残り火は消せばいい。……だが、油断はできん」
二人は並んで碑を見つめた。
王妃イリスの名を刻んだその追悼碑は、夕陽に染まり、淡く光っていた。
風が再び強く吹き、灰の粉が空に舞い上がる。
それはまるで、静かな祈りのように空へ溶けていった。
その光景を見つめながら、リリアナは小さく呟いた。
「……恐れの影が、まだ完全には去っていないのですね」
アルフレッドは頷き、肩に手を置く。
「恐れは人の心に巣くう。だが、俺たちはもう逃げない」
夕陽が沈み、辺境の空が群青に変わる。
その光と影の境で、ふたりは新しい戦いの始まりを静かに感じていた。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
辺境の再興が進む中、追悼の碑の前に残された灰が、不穏な兆しを告げました。
次の刻では、その影を追う二人の決意を描いてまいります。
どうぞ次回もお楽しみくださいませ。




