第056話 ー再び、風の地へー
おかえりなさいませ。
本日は、新章「辺境再興編」第一の刻をお届けいたします。
帰還の風が吹き、沈黙を越えた地に再び光が芽吹く瞬間をお楽しみくださいませ。
旅路の果て、雪解けの風が頬を撫でた。
馬車の車輪が小石を弾き、春の光を反射する。
リリアナは窓を開け、懐かしい景色に目を細めた。
「……ただいま、ですわ」
遠くには、かつて暮らした辺境の城が見えた。
屋根の一部は崩れ、塔には布が掛けられている。
それでも灰色の石壁は確かにそこにあり、彼女を迎えてくれていた。
門の前では、領民たちが集まっていた。
農夫、鍛冶師、孤児院の子どもたち――皆が手を振る。
「奥さまだ!」「おかえりなさいませ!」
歓声が風に混じり、リリアナの胸に温かく広がった。
アルフレッドが馬上で頷く。
「……彼らは恐れを超えた。
王都の噂も、宰相の言葉も、ここには届いていない」
「いいえ、閣下。届いていても、信じなかったのです」
リリアナは微笑んだ。
「恐れより、信頼の方が強かったのだと思います」
馬車が停まると、執事マティアスが駆け寄ってきた。
「閣下、奥さま……本当に、お戻りになられたのですね」
老いた声が震えていた。
アルフレッドはその肩を軽く叩く。
「長く留守を任せたな。――また、共に立て直そう」
「はっ!」
マティアスの瞳に光が宿る。
城内に足を踏み入れると、冷たい空気が残っていた。
冬の間、火の入らなかった大広間には、埃が薄く積もっている。
リリアナは裾を掴み、ゆっくりと歩みを進めた。
「……静かですね」
「この静けさが、俺たちの出発点だ」
アルフレッドが窓を開け放つと、風が一気に流れ込み、
カーテンが大きく膨らんだ。埃が舞い上がり、光に照らされてきらめく。
「ほら、まだ息をしている」
リリアナは小さく笑った。
「ええ……この城も、きっと待っていてくれたのですね」
その夜、領主館の広間では火が焚かれた。
領民たちが集まり、久しぶりの明るい声が響く。
パンとスープの香り、木杯に注がれた葡萄酒。
「ようやく戻られた」「これで春が来たぞ!」と笑いが広がった。
リリアナは焚き火の前で子どもたちに囲まれていた。
小さな少女が尋ねる。
「奥さま、王都ってどんなところなの?」
リリアナは少し考え、微笑んで答えた。
「綺麗な場所よ。でもね……光が強いほど、影も濃くなるの」
子どもたちは首を傾げる。
「だから、わたしたちは影を恐れず、光を分け合うの。
――それがこの地の強さなのよ」
アルフレッドはその会話を遠くから見つめていた。
マティアスがそっと囁く。
「閣下。やはり、奥さまがいてくださると領が息を吹き返しますな」
「……ああ。リリアナの言葉には、風がある」
その夜、リリアナは寝台の傍らで窓を開けた。
遠くの森から、春の鳥の声が響く。
空には星が散りばめられ、風が灰のように柔らかく流れていた。
「恐れを断ち、慈しみを残す――
この地で、もう一度始めましょう」
彼女の瞳に、灯火が映る。
再び動き出した風が、カーテンを揺らした。
それはまるで、王妃イリスの祈りがこの地に息づいているかのようだった。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
二人は恐れを越え、再び“風の地”に戻りました。
次の刻では、辺境の再建と、過去の影が残す新たな試練を描いてまいります。
どうぞこれからも見届けてくださいませ。




