第052話 ー記録の扉ー
おかえりなさいませ。
本日は、王妃イリスの“写本”が真実を照らす刻をお届けいたします。
文の調べ一つが王国の行く末を変える、その瞬間をご覧くださいませ。
鐘の余韻が消えても、大広間の空気は冷え切っていた。
宰相ラザールは玉座の前で微笑を崩さず、手にした杖を軽く鳴らす。
「王妃の“記録”と申しましたな、夫人。
ならば、その内容をこの場で明らかにしていただきましょう」
声は穏やかだが、まるで蛇のように冷たい。
リリアナは深く一礼し、侍女が持つ革の筒を受け取った。
その中には、修道院の“第四の灯火”の裏に隠されていた写本の一部が納められている。
王妃イリスが自ら筆を入れ、灰の封印で綴じたものだった。
王の目が細く揺れる。
「……それを、どうやって持ち出した」
「命を懸けて守ってくださった方々がいました。
この写しこそ、王妃様の最後の祈りです」
リリアナが筒の封を解くと、空気がかすかに震えた。
紙端に刻まれた封印の灰色が淡く光を帯びる。
広間の誰もが息を呑む。
ラザールが一歩前に出て、手を差し出す。
「確認させていただきます」
アルフレッドが即座にその腕を制した。
「宰相殿、その手は退けていただこう。
これは妻が命を懸けて守ったものだ」
ラザールは苦笑し、袖の中からもう一冊の紙束を取り出した。
「では、こちらをご覧になっていただきましょう。
――同じ“王妃の記録”でございます」
王が息を呑む。
「何だと……?」
「陛下、修道院には“複数の写本”が存在したのです。
こちらには、王妃が“灰の血を断つべし”と記しておられる」
広間がざわめく。
ラザールの写本は確かに筆跡も紙質も酷似していた。
だがアルフレッドの目が、一文に止まる。
『灰の血は災いなり。恐れを以て鎮めよ。』
その言い回しに、微かな違和感。
王妃イリスはいつも“恐れを以て”などという命令調を避け、
“慈しみにより癒せ”と書き記す人だった。
アルフレッドは紙を掲げ、静かに言った。
「――この文は偽物です。
母は“命じる”言葉を嫌われた。
この冷たい調子は、宰相殿、あなたの文体そのものだ」
王の瞳が震える。
「イリスは……いつも“癒せ”と書いていたな」
「ええ。母は“恐れ”ではなく“慈しみ”を選ぶ人でした」
広間に静寂が落ちる。
ラザールの手がわずかに震えた。
「文体など、誰にも真意は測れぬ!」
「ならば問います、宰相殿。」
リリアナが一歩進み、淡く光る写本を掲げた。
「こちらの原文には“灰の封印”が刻まれています。
王妃様が灰の血を“導き”と認めた者にのみ使われる印。
宰相殿のものには……見当たりませんね」
広間が静まり返る。
王は長く息を吐いた。
「……ラザール、これ以上の言い訳はあるか」
「陛下、私は――ただ、陛下を護るために!」
叫んだ声は虚しく響き、誰も応えなかった。
王はゆっくりと立ち上がり、
「真実を偽る者こそ、王国を滅ぼす」と低く告げた。
宰相の杖が床に落ち、乾いた音を立てた。
その響きは、嘘の幕が崩れる音だった。
最後までお付き合いくださり、誠に光栄にございます。
“灰の封印”が真実の印として輝き、宰相の偽りを打ち砕きました。
しかし、まだ嵐は終わりません。
次の刻では、王の裁定とリリアナの覚悟をお届けいたします。
どうぞ次回もお楽しみくださいませ。




