第005話 ー辺境への門出ー
おかえりなさいませ。
本日は遠路はるばる辺境までの旅に
お付き合いくださり、誠にありがとうございます。
道中の風景もまた、物語のひとときとしてお楽しみくださいませ。
招待の翌朝、王都南門には二台の馬車が待っていた。前は物資を満載した荷馬車、後ろは客用の黒塗り。扉には白狼の紋章が刻まれ、朝日を受けて静かに輝いている。
リリアナが馬車へ近づくと、扉が開き、中にはアルフレッドがいた。旅装を纏い、軍装の硬さはないが、その姿勢は変わらず凛としている。
「準備は整ったか」
「ええ。父と母にもきちんと挨拶をしました」
「顔色は」
「……あまり良くはなかったと思います」
彼は一瞬だけ視線を外し、窓の外を見やった。
「離れるには理由が要る。だが理由は、自分のためで構わない」
馬車が動き出し、石畳がやがて土の街道へと変わる。振動は柔らかく、空気は澄み、吐息が白く浮かぶ。
道沿いの農家からはパンの焼ける匂い、遠くからは羊の鈴の音。王都の喧騒とは異なる、緩やかな時の流れがそこにあった。
途中、小さな集落で馬車が止まる。物資の確認と休憩のためだ。アルフレッドは村長と短く言葉を交わし、荷を降ろす指示を出す。その手際は迷いなく、村人たちも自然に動く。
リリアナは子供たちに干し果物を配った。最初は遠巻きに見ていた子供も、ひとつ受け取ると笑顔を見せ、次々と近づいてくる。
「……こういう光景は、王都にはありませんね」
「与える場所と受け取る場所が、離れすぎているからな」
アルフレッドはわずかに口元を緩めた。その笑みは、冷たい風を和らげる力を持っていた。
午後、遠くに山影が現れる。
「あれがグレイバーン領ですか」
「まだ外縁だ。門はもう少し先だ」
白い雪を頂く峰々が空を背景に連なり、堂々たる存在感を放つ。
「越えれば景色も空気も変わる。お前も、変わるだろう」
「変われるでしょうか」
「変わらない方が難しい」
視線が重なった瞬間、冷たい空気が妙に温かく感じられた。
やがて立派な石造りの門が見えてきた。門兵たちが整列し、馬車に敬礼を送る。
「グレイバーン領、東門だ」
門をくぐった途端、空気が変わった。澄んでいて、胸いっぱい吸い込みたくなる冷たさだった。
「……不思議です」
「辺境の空気だ。お前の色が、もっと鮮やかに見える」
その言葉に、リリアナの心臓がひとつ強く脈打った。
門を越えた道は、王都の舗装路とは違い、硬く締まった土と砕石で整えられている。両脇には雪を避けた細い用水路が流れ、冬でも水の音が絶えない。馬車の車輪はその音を伴いながら進んでいく。
日が傾く頃、山裾の開けた土地に城館が見えてきた。灰色の石で築かれた堂々たる造り、厚い屋根瓦には雪が薄く積もり、夕陽に照らされて赤みを帯びている。
近づくと、扉の向こうから暖炉の光が溢れ、外套越しにも分かる木の香りが漂ってきた。
「ようこそ、リリアナ。ここが、お前の居場所だ」
アルフレッドの言葉は低く、しかし確かな温度を帯びていた。それは長い道のりよりも深く、彼女の胸に染み渡った。
最後までお付き合いくださり、光栄にございます。
次回は新たなお屋敷と、その暮らしの始まりをご案内いたします。どうぞ良き夜をお過ごしくださいませ。